第十七話 見えない形と悪人

 キョウジが店に戻ると言って去った後、俺はひとりで小屋に残された。胸の中のもやもやとした気持ちは晴れず、視線はぼんやりと床に落ちていた。レイがいなくなってから、俺は何もかもを怖く感じていたのだ。


「本当の強さ……か」


 ふと横に目を向けると、エタニティクリスタルが隣に転がっているのを見つけた。エタニティクリスタルを右手で掴み、ポケットから取り出した指輪を左手で持った。白と青の輝きを見せる二つの光は、かつて俺が会った青い髪の女性のようだった。


「……会いたい……また……」


 小さく呟いた言葉が、無意味に響くだけだった。どんなに強く願っても、あの人には二度と会えないだろう。そんな思いが、俺の心をますます重くしていった。俺は無意識に腕輪に右手を近付け、優しく擦った。


 その時、俺は腕輪に付いていた小さなレバーを奥に倒してしまった。


『アクティベート!』


「えっ……!?」


 突然、腕輪から鋭い電子音声が響き、不気味な警告音が室内に満ちた。驚きと恐怖で慌てて腕輪を外そうとしたが、まるで皮膚と一体化しているかのようにびくともしない。

 

「またこれかよ……!?」


 更に、俺は自分の体の異変に気付いた。心臓の箇所が服越しに赤い光を放っていたのだ。何が起きてるのか全く理解できずに頭を抱えていると、心臓から赤い光が飛び出してきた。


「うわっ!?」


 光は部屋中を旋回した後、ゆっくりと俺に近付いてきた。俺は全身から汗を流して息を切らせながら光に手を伸ばし、優しく掴んだ。


「い、今のって……」


 昨日も似たような光景を見た覚えがあった。アクアマリンに指輪を破壊され、同じように心臓から赤い光が飛び出したのだ。


「ってことは、これが俺のディザイアークリスタル……俺の願い……?」


 手のひらに収まる赤い球体をじっと見つめる。その中は黒い濁りに覆われており、何が映し出されているのか全く見えない。どんな願いが込められているのか、俺には何も思い出せなかった。


(何も分からない……こうやって手にあるのに……)


 レイが言っていた通り、俺には何か大きな願いを持っていたようだった。その正体は分からなくても、僅かに光を灯していることも分かった。レイが見せたかったのは、これだったのかもしれない。


 ◇


『こんな命に存在意義でもあるとでも思ってるのか!』


 ◇


 その時、俺がレイに言い放ったあの言葉が脳内で繰り返された。存在意義があるかは分からないが、一度家族を失って全てを失ったはずの俺は、普通の人のように大きな願いを手にしていたのだ。


「まさか……今の俺にも願いが……」


 警報音が鳴り響く中、俺は震える手で腕輪のレバーを手前に戻した。警告音は鳴り止み、ディザイアークリスタルは俺の心に戻っていった。


(俺の願いはずっとここにある……でも、あいつは……)


 俺は一度落ち着いて状況の整理をした。


 レイ自身が話した過去の通りなら、彼女は現在ディザイアークリスタルを持っていない。つまり、デストロイヤーに狙われやすいはずだ。


(奇跡的にレイが生きていても、相当な怪我を負っているはず。そこをまたガーネットに狙われたら、あいつはデストロイヤーにされる……! でも、ちょっと待て……?)


 その時、ガーネットの行動に違和感を覚えた。彼はレイを拘束した際、殺そうとしていた。しかし、俺を標的としているなら、レイにデストロイクリスタルを埋め込んでデストロイヤーにした方が良いはずだ。


(なんで殺そうと……)


 思考が堂々巡りする中で、ふとある場所が脳裏に浮かんだ。レイがかつて兄を失い、さらに兄弟たちに見捨てられた、あの忘れられない場所を。


「そうか……あいつも新しい願いを持っているんだ」


 ◇


 俺はディザイアータワーの奥にある、広場へやって来た。たった一人で外に出るのは気が引けたが、やるべきことがあった。


「着いた……ん?」


 時計台に近付くと、そこにしゃがみ込む一人の男性が目に入った。彼は赤く滲んだ白い鳥のぬいぐるみを手に取り、じっとそれを見つめていた。

 

 俺の心臓がざわついた。あれは、レイが大切にしていたものだ。

 

「ちょ、ちょっと!」


 俺が慌てて男性に近付くと、男性は驚いて俺の方に振り返った。


「あぁ、君のものか?」


「いや……俺の知り合いの……大切な願いです」


「すまなかった。この地に来たのは久々でな」


 男性はぬいぐるみを地面に戻すと、深くため息を吐いた。


「随分古いもののようだが、血の痕以外は汚れがほとんど目立っていない」


「……でも、その血が一番いらなかった」


 俺は小さく呟いた。


「君はこのぬいぐるみを鳥だと思うか?」


「そりゃ、鳥ですよ」


「では……」


 彼の目が鋭く光る。その視線はまるで俺の心の奥底を見透かそうとしているかのようだった。


「デストロイヤーになりかけている人間も、人間だと思うか?」


「えっ……?」


 俺は驚いて自分の両手に視線を向けた。一度体験したデストロイヤー化。あの時、俺はこの鳥のぬいぐるみのように体に赤い亀裂を走らせていた。あと数秒で人間を捨ててデストロイヤーになろうとしていた俺は、人間と言えただろうか……。


「……分かりません。でも、デストロイヤーと違って完全な悪人だと思いません」


 そう答えると、男性は静かに首を振った。


「そうとは限らないよ?」


「……どういうことですか?」


 男性は顔を上げ、ルナルス国と願いの象徴、ディザイアータワーを見つめた。


「知っているか? ディザイアークリスタルとはエクリプスの心に眠っているものでは無い。厳密に言うと、エクリプスの心に潜んでいるデストロイヤーの心に眠っているのだ」

 

「えっ……?」


「つまり、ディザイアークリスタルとは、元々デストロイヤーの力なのだ」

 

 男性はディザイアークリスタルの真実を語り始めた。彼の正体が分からないまま、俺は戸惑いと驚きの中で、その衝撃的な話に耳を傾けた。


「ディザイアークリスタルは確かに人間の願いの具現化だが、デストロイヤーとはそれを目指して積み重ねてきた罪や悪の具現化だ。つまり、強大な願いを持つ者ほど、それに伴って多くの罪を重ねてきたことになるのだ」


 男性の話を聞きながら、俺は息が詰まりそうになった。男性の言う通り、俺は既に記憶から消えてしまった願いのために、強大過ぎる罪を重ねてしまっていた。これこそが、俺のデストロイヤーの正体なのだ。


 でも、果たしてレイも同じなのだろうか。


「……俺は、デストロイヤーについてよく分かりません。でも、デストロイヤーの正体が罪だとしても、俺はその罪そのものを全て悪だとは思いません」


 その言葉に、男性は眉をひそめた。


「何……?」


「人である以上、誰だって願いを望みます。そのために争いや戦いを繰り返し、勝てば正義に、負ければ悪人に簡単になることができるんです。でも、それは本当の善悪を決めるものだとは思えません」


 レイが何よりの証拠だった。彼女は俺と同じように悪にされたが、彼女の素行や性格、そして過去に対する気持ちは決して悪人のものでは無かった。


「たった一度の過ちのせいで、勝手に悪にされた人間は大勢います。例え人は良い行いを積み重ねても、一度の過ちで存在意義を否定されるんです。そんな人が、本物の悪人と同じ立場に立たされるのを、俺はもう見たくありません……」


 俺は両手首に彫られた黒い線を見つめた。


 ◇


 あの事件から数日後の出来事である。


『こんな人殺しが許されるとか恐ろしい世の中だよな』


『俺達が断罪してやるよ』


 小太郎とその取り巻きに押さえつけられた感覚が、今でも鮮明に蘇る。冷たいコンクリートの床、湿った空気、そして肌に触れる鋭い痛み。

 

 小太郎は、タトゥーニードルを握りしめた右手をちらつかせ、嘲笑を浮かべながらゆっくりと俺に近いてきた。


『お前みたいな悪人には手錠が必要だよな』


 必死にもがいたが、腕を押さえ込まれてどうすることもできなかった。針が皮膚を裂き、染み込む痛みが全身を突き抜けた。

 

 その痛みは身体だけでなく、心も引き裂いていくようだった。あの瞬間の恐怖、屈辱、怒り……全てが、昨日のことのように鮮烈に思い出された。


 ◇


 背けたい過去が脳裏に浮かんだが、あれは俺の過ちで生まれたものだ。こんな俺とレイが、本当に同じ立場に立って良いとは、俺は到底思えなかった。


「君なら……」


 男性が何かを口にしようとしたその時、俺は頭痛を覚えた。


(何だ……何か嫌な……!)


 意識の片隅で、地面に奇妙な違和感を覚える。まるで遠くから不気味な波動が伝わってくるような感覚だ。何が起きているのか分からず混乱する中、突然俺と男性のいる地面が爆発を起こした。

 

「うわぁあ!?」


 爆発の衝撃で吹き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。この光景には見覚えがあった。最悪の記憶が胸を過ぎり、目の前にそいつが現れた。


「よぉ、さっきのガキ」


「ガーネット……!」


 不気味な笑い声を上げながら、ガーネットは楽しそうに口角を吊り上げ、俺を睨み付けた。


「こんな形の再会は考えても無かっただろ!」


 ガーネットの拳が振り下ろされた瞬間、鋭い音と共に空気が切り裂かれた。咄嗟に腕を上げて頭を守ろうとしたが、衝撃は来なかった。何者かが俺の体を持ち上げ、爆風の外へ引きずり出していた。

 

「うっ!? おっさん……」


「おっさんとは失礼な。名前で呼べ、フェリックスだ。お前は?」


「すいません……レヴァンです」


 フェリックスは俺をちらりと一瞥し、再び視線をガーネットに戻した。彼の表情には迷いも恐怖もない。ただ何かを確信しているかのようだった。


「レヴァン、お前の善悪の定義を信じる。」


「えっ……?」


 彼の目は強い意志に満ちており、俺は息を呑んだ。直後に、フェリックスは俺の左腕を取り、腕輪に視線を落とした。


「これを使って、あのデストロイヤーと戦え」




 現在使えるルインクリスタル 一個(エタニティ)

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