第十一話 肉と結晶の国

 ◇


 俺とレイは、騒然としていた夜の街を歩き出した。夕食を取るために適当な店を探しているが、通りには先程の騒ぎの影響か、人影がほとんど見当たらない。どこか異様な静けさが広がり、まるで街全体が息を潜めているかのようだ。


「静かだな……やっぱり、デストロイヤーが現れたせいか?」


「夜になれば、また賑やかになりますよ」


「夜? 何かあるのか?」


 その時、不意に街全体に響き渡る鐘の音が聞こえた。あの朝にも聞いた、不思議な音だ。頭に直接響くような重低音が広がり、俺は思わず耳を押さえながら周囲を見回したが、音の出所はどこだかさっぱり分からなかった。


(今の鐘……朝にも……)


「……あっ、ここです」


 レイの声に反応し、視線を戻すと、彼女が小さな木造の建物の前で立ち止まっていた。建物は素朴な造りで、どことなく古めかしい。外からは、中に明かりがついているのかさえ分からないほど薄暗かった。

 

「ここのお肉おいしいんですよー」


「肉か……脂っこいものはやめてくれよ……」


 ◇


 店内は静かで、俺達以外に客は見当たらなかった。しかし、あの外見の割には中は明るく、天井から吊り下げられたランタンが優しい光を放ち、木製の椅子とテーブルは、まるで昔の絵本から抜け出してきたような温かみを感じさせた。

 

「この店の雰囲気が何とも言えないんですよね」


「……確かに、嫌いじゃないな」


 俺は無意識に周囲を見渡し、落ち着かなさを覚えながらも、どこか安堵している自分に気づいた。ここ数日の奇妙な出来事の中で、こうした普通の時間を過ごすのが、少しだけ心を軽くしてくれるようだった。


 すると、中年の男性店主が笑顔を浮かべながら、俺達のもとにメニューを持ってきた。


「レイちゃん! また戻ってきてくれて嬉しいよ!」

 

「お久しぶりです、キョウジさん」


 どうやらレイと店主のキョウジは顔見知りのようだ。ガイトは俺の存在に気づくと、少し首を傾げて尋ねてきた。


「……レイちゃんの知り合いか?」


「えぇ。まぁ、そんな所です……」


「そうかそうか、好きなもん頼んでくれ」


 俺はガイトからメニューを受け取り、ページを開いた。その瞬間、俺は自分の目を疑った。


「……えっ?」


 書かれている文字がまったく読めない。まるで筆記体の英語のような、奇妙な文字列が並んでいるが、その意味を全く理解できない。俺は困惑しながらレイを見つめると、彼女は何の疑問もなくメニューを眺めていた。


(嘘だろ……まさか、頭を打って言葉まで忘れちまったのか……)


 俺はもう一度文字に目を通した。しばらく眺めていると、とある記憶の断片が、脳の片隅からゆっくりと浮かび上がってくるのを感じた。


(この書き方、どっかで見たことが……)

 

「私はいつもので」


 レイが言葉を発した瞬間、俺は正気に戻った。同時に、蘇ろうとした記憶は綺麗さっぱり消えてしまい、結局何だったのか分からずに終わってしまった。


「またか? 新作も作ってるんだし、食ってくれよ。坊ちゃんは?」


「……こいつと同じのを」


 文字が分からないなんて言っても信じて貰えるわけが無い。キョウジは一瞬眉をひそめたが、気にしない様子でキッチンへ向かった。キョウジの姿が消えた瞬間、俺はレイに話しかけた。


「……レイ、一つ聞かせてくれ」


「はい、どうぞ」


 俺は鼓動が速くなるのを感じながら、震える声で尋ねた。


「ここって、愛知県名古屋市なのか?」


「……どこですか、そこ?」


 レイの無表情な答えに、俺の心臓がドクンと跳ねた。やはり、この場所は……俺が知っている世界じゃない。言い知れぬ恐怖と絶望が一気に押し寄せてくる。


「じゃあ、ここはどこだ……いや、何て国だ?」


 心の奥で、少しの期待があった。いや、願望だった。もしかしたら、俺の勘違いかもしれない。だが、レイの口から出た言葉は、そんな希望を一瞬で打ち砕いた。


「……ルナルス国ですが」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の視界がぐにゃりと歪んだ。周りの音が遠のいていき、体が鉛のように重くなる。まるで自分がどこか深い闇の中に引き込まれていくような感覚に襲われた。


「な……なんでだよ……」


 この現実があまりにも受け入れ難く、俺はただ椅子の背もたれに倒れ込み、頭を抱えた。無理だ……こんなの、どうやって受け入れろっていうんだ? 俺は自分の世界に戻れるのか、今どこにいるのか、何が起きているのか……全く分からなかった。


 最悪な状況だった。ただでさえ、知らない男や怪物に襲われて命の危機に晒されたというのに、追加で俺は名前も知らないような国にやって来てしまっていたのだ。しかも、携帯電話や財布などが何も持っていない状態で。


「……こんなの……何が起きて……」


「レヴァンさん?」


 レイは何のことかさっぱり理解していない様子を見せていた。俺は悩みに悩みを重ねながら、重たい口を開いた。


「……レイ、俺の言うこと、信じてくれるか?」


「えっ……?」

 

 ◇


「はい、おまたせ!」


 しばらくして、キョウジが料理を持ってきて、テーブルの上に乗せた。焼き色が完璧なステーキで、肉の香ばしい香りが鼻を刺激した。レイは目を輝かせていたが、俺は現実を受け入れられず、食べ物に手が伸ばせなかった。


「ところでレイちゃん。旅の方はどうだ?」


「旅……?」


 キョウジが尋ねると、レイは何か返答に困る様子を見せた。彼女の目には何か触れたくない過去があるかのような、後ろめたさご見えていた。


「……今は、ちょっと休憩中です。こうして昔を味わってみたくて」


「そうか。あの石のこと、何か分かると良いな。俺は片付けしてるから、ゆっくり食っててくれ」


 キョウジはキッチンに向かい、レイはナイフとフォークで丁寧に肉を切っていた。 俺は肉の匂いに引き寄せられながらも、食事には手を付けないでレイに視線を向けた。


「……やっぱ、信じられないか……別の世界から来たなんて……」

 

「……信じますよ」


 ところが、レイは意外な反応を見せた。誰が聞いても嘘だとしか思えない内容なのに、彼女の瞳は嘘を付いてるように見えなかった。


「えっ……本当か?」


「私も薄々気付いてました。あなたがデストロイヤーを全く信じなかったのは、何かあるからじゃないかって……」


 彼女の話を聞き、俺は一瞬安らぎを感じた。しかし、理解者が一人いてくれるだけでは、状況は何も変わらなかった。


「でも、これからどうすれば……。国も文字も分からないんじゃ、情報を得るのも難しいぞ……」


「うーん……とにかく今は、デストロイヤーから身を守る行動を徹底しましょう」

 

 レイの言う通りだ。俺は昨夜、レイの言っていることを何も理解しようとしないで、一人で外に出てしまった。結果として、運良く助かったがアクアマリンに襲われ、デストロイヤーにされかけた。この先生き残るには、レイの言うことを聞くのが一番賢明なのは間違いなかった。


「……分かった。次は?」


「えっと……とりあえず、冷める前に頂いて下さい」


「えっ……?」


「食べないと何も始まりませんよ。ほらっ」


 レイは綺麗に切り取った肉を小さな口に運んだ。

 

 俺も普段滅多に持たないナイフとフォークを手に取った。


 その瞬間、悪夢が蘇った。小太郎たちに無理やり押さえつけられ、手首に針を埋め込まれた時のことが……。あの冷たく鋭い痛み、そして黒い線が生まれた瞬間を、鮮明に思い出してしまった。


「うっ……!」


「……大丈夫ですか?」


 俺がナイフとフォークを落としかけると、レイは心配する様子を見せた。俺はゆっくり息を吐いて落ち着いた。


「……大丈夫だ、心配するな……」


「……」


 俺は震えている手を押さえ、肉を小さく切り取った。切られた肉の断面から透明な油が溢れ出し、フォークに刺すと肉の弾力が手に伝わり、思わず喉を鳴らしてしまった。 口に運ぶと、その旨味が口いっぱいに広がった。


「おいしい……」


「……」


 ふとレイに目を向けると、彼女は肉を一口ごとに運びながら、僅かに首を傾げていた。俺と同じ料理を食べているはずなのに、その表情には、何かしら違和感を感じ取ったかのような微妙な戸惑いが浮かんでいた。俺は深く追及することはせず、静かに視線を戻した。



 

 ただ、その小さな違和感が胸の奥に不気味な種を蒔いたような気がした。



 

 ◇


 ご飯を食べ終え、俺とレイはキョウジのもとへ向かった。


「ご馳走様です」


「おう。今後もよろしくな、兄ちゃんも」


「はい、ご馳走様でした」


 俺はキョウジに頭を下げた。腹は膨れており、久しぶりの満足感を味わっていた。


(いつぶりだろうな……こんなに食ったの……)


「キョウジさん、お会計」


 すると、レイはキョウジに左腕を差し出し、彼の近くに置かれている小さな石盤らしきものにかざした。


「?」


「はい、ありがとな」


 謎の作業を行うと、レイは店の外へ向かい、俺は慌ててレイの後を追いかけた。ふと彼女の左手首を見ると、黒いバンドが付けられているのを見つけた。


「そのバンド……街の人も付けていたな」


「えっ? あぁ、これはシャードリスト。シャードは全世界共通の貨幣の単位で、この腕輪に溜めることができるんです」


「全世界共通の貨幣?」


「隣国のカナ国が生み出した新流通システムです。リストをスキャンするだけで、簡単に買い物ができます」


 レイはバンドを見せた。バンドにはメーターのようなものが表示されており、バーの半分まで緑色で染まっていた。これが残高のようだ。


「……そんな便利なものが作れるのか……!」


 外に出ると、店に入る前と打って変わって、人で溢れていた。気温がぐっと下がり、肌寒さが身に染みる夜の中だったが、まるでお祭りのように人で溢れており、街もかなり明るく輝いていた。

 

「こんな時にデストロイヤーが現れたら、大変だぞ……」


「デストロイヤーは夜には現れませんよ」


 俺はレイの言葉に耳を傾けた。


「そうなのか?」


「詳細は分かりませんが、彼らは太陽が沈むと逃げ出します。日が完全に落ちても残っていると、デストロイクリスタルに分解されてしまいます。絶対安全なのが夜しかないせいで、生活が昼夜逆転してしまった人も少なくないらしいですよ」


 俺はレイの話を慎重に聞き、疑問を抱えた。映画に登場する吸血鬼などは太陽の光を浴びたら死ぬというが、デストロイヤーは完全に真逆。太陽の光を浴びてないと生きていけないのは、何とも不思議な生き物だ。


(思い返せば、初めてアクアマリンと戦った時も、執念深いはずのあいつはロイヤーを盾にして退いた……。あれも、夕方だったからなのか……)


「さて、向かいましょうか」


 レイは俺の方に振り返って、そう言った。


「向かうって、どこへ?」


「……着いてからのお楽しみですよ」


 レイは小さな声でそう呟いた。彼女の瞳には、切ない思いが込められているのが垣間見えていた。

 


 

 現在使えるルインクリスタル 二個

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