第十話 未知の世界と短剣

 俺はレイの指示に従い、暗い裏道へと足を踏み入れた。何か不安を感じつつも、その先へ進む。やがて目の前に大きな森が広がった。


「おい、これ行き止まりじゃないのか……?」


「いえ……そのまま真っ直ぐ……」


 レイが静かに森の奥を指差す。俺は戸惑いながらも彼女の言葉を信じて進んだ。足元は不安定で、何度も転びそうになるが、レイを支える手を離すわけにはいかない。気合いを入れて、歩き続けた。

 

 ◇


 しばらく歩いていると、木々に隠れていた小さな小屋が姿を表わした。


「うわぁ……」


 その姿に思わず小さな声が漏れた。ハッキリ言って、廃墟だ。壁は剥がれ落ち、屋根も崩れ、窓ガラスは割れて風が自由に出入りしている。俺のアパートでさえも、まだこの小屋よりはマシに見えた。完全に蜘蛛の巣やコウモリの巣窟と化している。


「これ、あんたの家……?」


「はい……」


 レイの返事に驚きつつ、俺は不自然に傾いた扉を押し開ける。中の様子は予想通りだ。埃まみれの家具、無数の傷が刻まれた壁。まともに生活できるような状態じゃない。


 俺はレイをゆっくりと下ろし、傷んだソファに寝かせた。彼女の顔はまだ赤みを帯び、荒い息が続いている。


「おい、水はどこにある?」


「う、裏の……井戸に……」


「井戸って、どんだけ貧乏生活してるんだよ……」


 ◇


 俺は外に出て、蜘蛛の巣だらけの古びた井戸から水を汲み上げる。手ですくって水の味を確認するが、意外にも問題なさそうだった。


(あいつ、なんでこんなところで暮らしてるんだ……)


 井戸の水面に映る自分の顔を見つめる。デストロイヤー化の影響は収まったようだが、まだ完全には安心できない。あの恐怖が、体の奥底に残っている。思い出すだけで、体が震えてしまう。


「これで、終わったよな……?」


 ◇


 レイが水を口に含むと、少しずつ落ち着きを取り戻していった。顔にはまだ疲労の色が残っているが、さっきよりはマシだ。


「ほっ……すみません。こんなことまで……」


「……これ、お前のだろ?」


 俺はレイに二つの石を差し出した。先程彼女が落とした謎の石だ。それを見た彼女は、慌てた様子で受け取った。


「あ、ありがとうございます」


 レイが感謝の意を込めて頭を下げる。だが、今はそんな礼には興味が無かった。


「それより、さっき何が起きたんだ」


「えっ?」


「なんで俺は無事なんだ……」


 俺が問い詰めると、レイは静かに目を閉じた。


「……レヴァンさんの身に起きたのは願いを失ったエクリプスに起きるデストロイヤー化。謎の空間から鎖がエクリプスの体を突き刺し、心に眠っているデストロイヤーを引き出すのです」


「じ、じゃあなんで俺は助かったんだ」


「それは私も聞きたいです」


 俺の問いに、レイは体を起こし、真剣な目でこちらを見つめた。

 

「本来、デストロイヤー化は絶対に避けられません。どんなに本人が抗っても、願いを失えば必ずデストロイヤーに変わってしまうのです」


「な、なら俺はなんで……!」

 

 レイは体を起こして俺に視線を向けた。


「……あなたはデストロイヤーにならなかっただけでは無く、壊された指輪も修復させました。あなたのような人を見たのは初めてです……」


「……どういうことだ……」


 俺はポケットから指輪を取り出し、まじまじと見つめる。確かに、粉々に壊れたはずの指輪は、いつの間にか完全に元に戻っている。だが、その瞬間に何か夢を見たような気がするが、何の夢だったかは思い出せなかった。


「兄さんも……あなたと同じだったら……」


「えっ……?」


 レイの独り言が、ふと耳に入った。そういえば、俺がデストロイヤー化する直前、レイは意味深な言葉を口にしていた。ずっと近くにいたと思っていた人が突然消える、というその言葉が、頭をよぎった。


「い、いえ、気にしないでください」


「……」


 レイは無理に笑顔を作っていた。それが作り物だと分かるのは、一目で明らかだった。


 だが、それ以上俺は追及しなかった。デストロイヤー化が起こったあの時、俺はレイに対して冷たい言葉を投げつけていた。そんな俺が、彼女に対して何を語れるというのか。

 

 一言謝っておきたかった。しかし、罪悪感が俺の道を阻んでおり、勇気を出すことができなかった。


 ◇


 気付けば、日が落ちていた。外に出ると気温が一気に下がっており、木々の間から見える月が美しく輝いていた。三日月型に光る月を見つめていると、指輪の形が連想された。


「……綺麗だな」


 そう呟くが、心の中は不安で満たされていた。脅威は去ったものの、まだ安心できる状況ではない。この世界には、仮面の男やデストロイヤー、そしてレイとの関係など、数えきれないほどの謎が渦巻いている。


 不安が消えない。それでも、俺は家に帰りたいとは思えなかった。というより、家がどこなのかも分からなくなっていたのだ。


(叔母さんも心配してるだろうけど……あんな喧嘩したばかりだし……)


「レヴァンさん?」


 レイが、手に何かを持って現れた。俺は慌てて背を向けるが、レイは気にする様子もなく、そのまま近付いてきた。


「……あなたからは、不思議な感じがします」


「……?」


「兄さんに似ていると思ってたけど、もっと昔にあったことのあるような、そんな気がします」


 レイは俺に湯気の立つカップを差し出し、渋々受け取った。

 

「……その……悪かった、あの時は……」


「いいえ、気にしてません」


 彼女はあっさりと答えたが、その微笑みには温かさが宿っていた。俺は、風になびく彼女の青い髪を見つめながら、心の奥底に秘めていた思いを言葉にした。


「……俺も、あんたとはどこかで会った気がするんだ」


「えっ?」


 俺は手に持っていた指輪をレイに差し出し、レイは素直に受け取った。この指輪を俺の手で誰かに渡すのは、彼女が初めてだった。これは俺の中で、苦悩の決断だった。


「今から六年前、その指輪を誰かに渡した覚えは無いか?」


「……いえ、全く」


 レイはあっさりと答えた。レイの言葉は真っ直ぐで、嘘をついているようには思えなかった。俺の胸には、ぽっかりと穴が開いたような虚しさが残った。


 俺がため息を吐くと、レイは俺に近付いた。


「そちらの指輪は確か……」


「……俺の希望で、この指輪の持ち主の願いだ」


「えっ……?」


 俺は飲み物を口にした。ずっと凍えるほどの恐怖を味わっていた中で、ようやく暖かいものを手にすることができた。甘すぎて、とても飲めたものじゃないが。


「……六年前、俺はある一人の女性と会ったんだ。その人は誰で、どこから現れたか分からない。けど、一人だった俺をギュッと抱き締めてくれた。まるで……母親のような人だった」


 俺は塀の上に座り、レイと向き合った。


「あの温もりは未だに覚えているこの指輪は、その人からもらったんだ。これは私の願い。いつかあなたを助けてくれる。私を信じてって言い残して。……俺の目に最後に映ったのは、この宝石のように綺麗な青い髪だった。」

 

 俺の言葉を聞いたレイは、少し驚いた表情を見せた。しかし、すぐにその表情は穏やかなものに変わり、彼女は再び指輪を見つめた。


「……青い髪、ですか」


「そうだ。あの時のことは、まるで夢みたいにぼんやりしてる。でも、髪の色とこの指輪だけは鮮明に覚えてるんだ」


 レイは、指輪を優しく撫でるように触れながら、しばらく沈黙した後、口を開いた。


「不思議ですね……。私も、どこかで同じような指輪を見たことがある気がするんです。でも、思い出せない……」


「……本当か?」


 彼女の声には、微かな困惑が混じっていた。俺はそれを聞いて、再び胸の奥にチクリとした感覚が広がるのを感じた。何かが、俺たち二人を繋いでいるような気がする。だが、その正体は曖昧で、僅かな所で手が届かなかった。


「……この国で、俺はまた会えるかもしれない……」


「なら、一緒に見つけに行きましょう」


 レイの言葉を聞き、俺は軽く息を呑んだ。


「……何だと?」


「けど約束して下さい。二度と自分の命を軽く見ないで下さい」


 俺はレイの真剣な眼差しを見つめた。彼女の言葉は、まるで俺の心の奥底に響く鐘の音のようだった。


「あなたの過去がどうであれ、存在意義が無いとか、死にたいとか、二度と口にしないで下さい」


「……」


 俺はレイの言葉に、何も言い返せず黙り込んだ。心の中では、彼女の言葉が強烈に響いていた。「命を軽く見ないで」という言葉が、俺の胸の中で何度も反響し、無意識に拳を強く握りしめていた。


「……分かった」


 俺が軽く頷くと、レイは笑顔を浮かべた。彼女のその笑顔は、俺の心に少しずつ温もりをもたらしてくれる。だが、同時に心の奥には不安が残っていた。


(本当に、俺は信じていいのか?)


 過去のトラウマや絶望が、俺の心を重く押しつぶそうとする。レイの言葉が心に響いても、どうしてもその暗い影から逃げられない自分がいる。彼女の期待に応えられるのか、俺はこの世界でどのように生きていくのか、未来がまるで見えない。



 

 レイとの約束を果たした時、俺の目にはどんな世界が映るのだろうか……。

 

 

 

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