第五話 願いと指輪

 俺は目を覚ました。どれくらい眠っていたか知らない。暗い部屋に置き去りにされ、古いマットの上で眠っていた。部屋は廃墟のようにボロボロで、壁紙は剥がれ、床には埃が積もっている。窓ガラスは割れていて、冷たい風が吹き込み、カーテンが幽霊のように揺れていた。


「ここは……」


 割れた窓ガラスに近付き、外を眺めた。まだ外は暗く、再び怪物たちが現れるのではと不安が募る。


 その時、部屋の扉が鈍い音を立てて開いた。俺は反射的に身構えたが、そこにはあの青髪の少女がいた。


「あっ、気が付きましたか」


「……」


 俺は警戒を解かなかった。


 今日一日、俺は散々な目に遭わされていた。少女は俺の目の前で助けてくれたし、殺意のようなものは感じられなかった。しかし、それが気を許して良い理由にはならなかった。


 すると、少女は謎の緑の液体が入った瓶を抱えてこちらに近付いた。少女は瓶の蓋を外し、俺に瓶を差し出した。


「ここは意外と物資が揃っていました。とりあえず、これを飲んで下さい」


「構うなって言っただろ。そこをどけ」


「まだ安静にしていて下さい。傷口も閉じたわけではありませんよ」


「何?」


 服をめくって腹の傷を確認すると、包帯が巻かれていた。さらに、青い怪物に攻撃された箇所も同様に治療を受けていた。まさか、少女が直してくれたのか……。


 少女は俺に再び瓶を差し出した。俺は黙って受け取り、それを口にした。大しておいしくは無いが、とりあえず腹は満たされた。


 少女は部屋の椅子に座り、俺と向かい合った。木製の椅子はギシギシと音を立て、彼女の体を支えているのがやっとだった。


「そういえば、まだ名前も言っていませんでしたね。私はレイです」


「……俺は……えっと……」


 頭の中が混乱していて、名前がすぐに思い出せなかった。何度も頭をぶつけたせいか、記憶がぼやけていた。そして、ようやく口を開く。


「レヴァン……。レヴァン・ローレンだ」


「……レヴァン……?」


 俺は落ち着いた声で教えた。


 一瞬だけ、何か違う記憶が過ぎった気がしたが、俺は気にしなかった。名前を思い出したことで、ほんの少しだけ安堵する自分がいた。


「よろしくお願いします。レヴァンさん」


「……フンッ」


 レイは笑顔で挨拶したが、俺は視線を逸らした。彼女が自分の名前を教えたことで、何か心が少しほぐれる感覚もあったが、それと同時に警戒心がさらに強まる。自分がどんな状況にあるのか、理解しきれていない。


「ところで気になったのですが、手首に……」


「! 見たのか……!」


 俺はレイを睨み付けた。どんなに暑い日でも手首を隠すために上着を着ていた。それを彼女に見つかってしまったのだ。レイの目は驚きと悲しみが混ざったような色をしていた。


「ごめんなさい、怪我の確認中に……」


「これについては忘れろ。それより、さっきの怪物は何だ」


「……青い方はアクアマリン・デストロイヤー。取り巻きの赤いのはロイヤーと呼ばれる怪物です」


「で、デストロイヤー?」


 俺が聞き返すと、少女は懐から赤い石を取り出した。。石は不気味な赤色をしており、触れるとひんやりとしていた。


「そういえば、あの怪物達はこれを吐き出していたな……」


「その通りです。これはデストロイクリスタル。ロイヤーやデストロイヤーの体を構成している石で、人間で言う細胞のようなものです」


 少女の説明を聞いても話の内容が理解できなかった。あれだけの目に遭って、少女の話を信じられないという訳では無いが、話の内容が幼い頃見たヒーロー番組のようで、冗談にしか聞こえなかった。


「要するに、あいつらは人を喰うバケモンってことで良いのか?」


「いいえ。人を襲うこと怪物であることは間違いありませんが、狙っているものが違います」


「何だ?」


 少女は自身の左胸を押さえた。


「……願いです」


「は?」


「デストロイヤーは、人間の願いを破壊する怪物です」


 ◇


 光がほとんど入っていない、闇に包まれた古びたトンネル内。


 そこには赤い服を着た男性と、黄色の帽子を被った少年が集まっていた。二人のもとに、青い怪人のアクアマリン・デストロイヤーが姿を現し、左肩を押さえて二人のもとにノロノロと近付いた。赤い服の男性は、デストロイヤーに視線を向けた。


「エクリプスはどうした」


「逃がしたわよ……青い髪のガキに邪魔されて……」


「要するに、尻尾を巻いて逃げてきたんだな」


「何よ……!」


「待って」


 その時、黄色の帽子の少年がアクアマリンを呼び止めた。尖った長い耳をした少年は、不気味な笑みを浮かべ帽子を脱ぐと、アクアマリンにとある写真を手渡した。


「さっき知らない男から渡されたんだけど……」


「……準備するわ」


 アクアマリンはトンネルの外へ向かい、暗闇の中に消えていった。赤い服の男性は立ち上がり、黄色の帽子の少年に近付いた。


「アルフ、人間と手を組んだのか?」


「彼はもう人間じゃ無い。いや、最初から人間じゃ無かったかもね」


「何……?」


 アルフは帽子を被り直した。


「いい目をしていたよ。あの仮面の子」


 ◇


 俺は少女からデストロイヤーについての情報を集めた。作り話ならよく出来ている

と思うが、俺はデストロイヤーをこの目で見て、この身に傷を刻まれた。あの瞬間を思い出すたびに、俺は震えが止まらなかった。


 少女は俺にとある写真を差し出した。それには、濁った赤色をした石の指輪が映っていた。


「この世界の一部の人間は、こんな感じの石を持っています。ディザイアークリスタルという名前です。これを持っている人間は、エクリプスと呼ばれています」


「赤かったり指輪であることに何か意味はあるのか?」


「人によって形や色は違いますが、詳しい違いは分かりません……」


 俺は写真に写っている指輪を見て、自分が持っている指輪を取り出した。同じ指輪だが、写真の血のように汚れた石とは違い、美しい青い宝石だった。


(……でも、これは貰った指輪。俺の願いじゃない……俺の本当の願いは、このくらい汚い赤色なんだろうな)


「その指輪は?」


 俺は少女に聞かれ、指輪をポケットにしまった。


「……俺のものだ」


「もしかして、それがあなたの……」


「なんたらクリスタルってか? 残念だが違う」


 俺は窓から外の景色を眺めた。外は暗かったが、空だけは満月で少しだけ明るく照らされていた。


「俺は誰かに欲しがられたり羨ましがられるような願いを持ったことは無い。……だって、俺は……」


「しかし、あなたがエクリプスであることは間違いありません。何か心当たりがあれば、私に……」


「もうやめてくれ!」


 俺が声を震わせて一喝すると、レイは黙ってしまった。俺はすぐに申し訳ない気持ちで溢れ、心を落ち着かせた。


「……すまん、ちょっと落ち着く……」


 自分でも知らない間に、自分の願いに大きな負担がかかっているのに気付いた。それは本当に願いなのかも分からない。純粋だった心を取り戻したくても、俺にはどうすることも出来なかった。今日も何か罪悪感を抱えたまま、俺は目を閉じた。


 ◇


 早朝、俺は一人で部屋から外に出た。外に出ると、薄曇りの空が広がり、冷たい風が肌を刺した。


 レイは別のマットの上で眠っていたが、起こしもしないし書き置きも残さなかった。


 俺は自分の両手を見つめた。手首に書かれている黒い線が、俺を現実に引き戻した。


「ここは俺の知っている世界じゃ無い。早いうちに調べておかないと……」


 俺は上着のポケットに手を突っ込み、冷たい朝の空気を吸い込みながら、一歩一歩街を探しに向かった。


 ここがどこなのか、どうすれば警察を見つけられるのか全く分からないが、ただ家に帰らなければならないという思いだけが胸にあった。帰りたいかどうかを問われれば微妙だが、その義務感が俺を動かしていた。




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