第三話 仮面の男と大雨の日

 仮面の男に追われていた俺は、洞窟の高台から飛び降り、岩陰に身を潜めた。周囲は暗闇に包まれており、ここなら容易に見つからないはずだった。


「はぁ……はぁ……」

 

「それで逃げたつもりか?」

 

「はっ!?」


 しかし、すぐ背後から男の声がした。

 

 男性は斧を振り下ろし、俺の腹を斬り付けた。斬られた腹から血が噴き出し、俺は地面に倒れた。


「がっ!?」

 

 斬られた腹から血が噴き出し、直後に火で炙られているような痛みが走った。痛みに耐えきれない俺は地面に倒れ、男は弱った俺を見下ろした。

 

「逃げるな、最後まで抗ってみせろ」

 

 俺は首を掴んで投げ飛ばされ、更に体を蹴り付けられた。腹を押さえて悶絶するも、男は構わず俺に近付いてきた。


「ま、待てって……!」


 無駄だと分かっていたが、俺は男を説得しようとした。それよりも早く、男は斧を振り下ろしてきた。

 

 俺は慌てて転がって斧を回避したが、後ろの段差に気付かず、そのまま下に落ちて行ってしまった。その勢いで俺の手から箱が離れ、俺は付近の結晶に激突した。


「うわっ! がはっ!?」

 

 体中ボロボロだった。俺は壁に手を付いて立ち上がり、高台から見下ろす男を睨み付けた。


「こんなことして何になるんだよ! お前は一体誰なんだ!」

 

「いつか分かる。お前が本当の強さを手に入れたときに」

 

「なっ、どういうことだ!」


 男の目に宿るのは、輝きのない、どこか希望を失ったような色だった。

 

「だが、それはお前に戦う意志を見せた時に限る。そうやって六年前のように、いつまでも逃げる腰抜けとして生きていくというのなら、この手で排除してやる!」

 

「えっ……」


 男の言葉に衝撃を受ける。

 

 六年前、俺の人生が大きく変わったあの日のことを知っているというのか。

 

 男は高台から飛び降りると、割れた仮面の隙間から俺に瞳を向けた。その目は、どこか見覚えのある絶望を抱えていた。


「なんで六年前のことを……なんで……」

 

「やはり傷が深い……少し不本意だが……」


 その時、男は俺の首を持ち上げ、壁に叩き付けた。その衝撃で壁が崩壊し、外からの光が入ってきた。


「!」


 俺は外の景色に驚愕した。洞窟は高い山の峰に位置していた。男は俺を宙吊りにし、何十メートルもある高さから見下ろしている。


「いいか。今から三ヶ月後、俺はもう一度お前のもとに現れる。その時までに強くなれ」

 

「なん…だと…!」

 

「お前が負ければ、お前の一番大切なものを破壊する。それが嫌なら死ぬ気で何とかしてみせろ」

 

「!」


 俺は上着のポケットを漁った。中には、例の指輪が……。

 

 その時、男は足元に落ちていた白い箱を発見した。

 

「あぁ、そういえばこいつもあったな……」

 

「なにっ……?」


 男は斧で箱を粉砕し、中身を取り出した。

 

 中に入っていたのは、銀色に輝く謎の腕輪だった。男がその腕輪を俺の左腕に当てると、腕輪は自動的に俺の腕に取り付けられてしまった。


「なっ、なんだこれは……!」

 

「こいつはどう使おうがお前の自由だ。だがその自由には大きな責任が問われることを覚えておけ」


 俺は男の瞳を見つめた。光が消えた瞳。どこか見覚えのある目だった。

 

「……あんたは何を失ったんだ……」

 

「何?」

 

「俺と同じ目をしてやがる……。そんな希望の無い目をしていて、この先どう生きるつもりだ……」


 すると、男は下を俯いた。回答に悩んでいたようだが、しばらくして顔を上げた。

 

「……探すさ」

 

 男は俺から手を離し、叫ぶ暇もなく、湖に投げ落とされた。

 

 全身が氷で覆われたような冷たさに襲われる。腹の傷が水に沁みて激痛が走る。深い湖の底から、俺は遥か上に立っている男に目を向けた。男は仮面を外さず、俺を見下ろしている。その姿を見て、俺は両手を上に伸ばした。


(……欲しい……)


 ◇


 「いっけねぇ、ジュース忘れたわ」


 車の中で俺の兄はそう言った。運転席に座っていた父と助手席に座っていた母はため息を吐いた。車に乗ろうとして扉を開けた俺は、兄に尋ねた。


「……コーラで良い?」

 

「あぁ、悪いな。できたら酒も頼む」

 

「できるわけないだろ。ったく……」


 俺は後部座席の扉を閉め、激しい雨の中で傘を開いた。今日は珍しく天気予報が外れており、土砂降りの大雨だった。こんな日は、傘も差さないで体中雨に打たれる方が好きだった。理由は分からないが、俺は雨が好きだった。

 

 スーパーの中へ戻った俺は、ジュース缶数本をカゴに入れてお菓子コーナーに向かった。

 

 俺の目線の先にあるのは、好物のチョコレート。これを見るだけで、たちまち笑顔になってしまう。幼い頃から変わらなかった。


「全く、いつまでも子供だな。俺って」


 その時、耳をつんざくような爆発音が響き渡った。店内にいた人々がパニックに陥り、床に伏せる中、俺は恐怖で凍りついたまま周囲を見回した。視界がゆがみ、心臓が鼓動を打ち続ける。何が起こったのか、何が燃えているのか、頭の中が混乱していた。


「な、なんだ今の……地震か?」

 

「おい! 駐車場が燃えてるぞ!」

 

「えっ……?」


 俺は店の窓から外を眺めた。その光景は、現実とは思えなかった。先程まで何とも無かった駐車場が、火の海になっていたのだ。

 

 燃え上がる炎に驚いて、腰を抜かした俺のそばに、一人の老人が現れた。膝に怪我を負っていた男性は足を引き摺りながら、知り合いらしき女性の元に向かった。


「あんた! 大丈夫!?」

 

「け、携帯早く! 車がぶっ飛んだんだよ! 何人か乗っていたみたいなんよ!」

 

「何人か……!」


 嫌な予感がした俺は、カゴを放り捨てて駐車場に向かった。

 

 目の前に広がっていたのは、激しく燃え上がっている駐車場だった。多くの車がひっくり返って倒れており、広範囲に渡って炎を上げていた。

 

「父さん……母さん! 兄さん!」


 震える足で駐車場に駆け込んだ。

 

 煙が立ち込める中、俺は必死に家族の姿を探した。胸の奥に広がる恐怖が現実となり、心臓が激しく打ち鳴る。家族が乗っていたはずの車が、目の前で燃え盛る姿を見たとき、全身の力が抜けた。


「たす……け……」

 

「!」


 その時、車の中から母親の声が聞こえた。更に、割れた窓ガラス三つの影が動いているのが見えた。三人とも命だけは助かっていたようだ。

 

 車の前に辿り着くと、燃え上がる炎と煙に包まれた車の扉に手をかけた。手のひらが汗で滑り、力を込めても扉が開かない。必死に扉を引っ張りながら、焦燥と恐怖に駆られた。中からは家族の弱々しい声が聞こえてきて、俺の心臓は苦しく締め付けられた。

 

「たすけて……剛……」

 

「父さん! 大丈夫、すぐに救急車が来るから!」


 燃え盛る炎の中で、俺は必死に両手を伸ばし、車の中にいる家族に手を差し伸べた。炎が俺の顔に熱をもたらし、焦げ臭い煙が立ち込める中で、手を伸ばし続けた。彼らの手を掴みたかったが、手が届かず、ただただ絶望感だけが広がっていった。

 



 そもそも、俺は本当に手を伸ばしたのか……。


 

 

 ◇


「……ゴボッ!?」


 突然、激しい咳込みと共に俺は意識を取り戻した。雨に打たれていると思っていたが、実際には湖の底に沈んでいたのだ。水中で必死にもがき、腹の傷の痛みを堪えながら、何とか水面へ顔を出した。


 「はぁ、はぁ……」


 必死で岸に這い上がり、重たい体を地面に投げ出した。寒さに震えながらも、俺は懐に手を伸ばし、ポケットからあの指輪を取り出した。指輪は無事だった。俺はそれを確認すると、安堵の息をついた。


「良かった……」


 だが、左腕に目をやると、銀色の腕輪がしっかりと装着されていることに気づいた。

 

 重苦しい予感が胸を締めつける。思わず顔を上げ、周囲を見渡したが、仮面の男の姿はすでに消えていた。それでも、彼の言葉は脳裏に焼き付いて離れない。

 

 三ヶ月後、必ず再び彼が現れるということを俺は確信していた。


「あの男は……一体何者なんだ……」


 その問いが頭の中をぐるぐると巡り、考えがまとまらない。なぜ彼が現れたのか、何を望んでいたのか……その答えは闇に包まれたままだった。


 その時だった。突然、鋭い音が耳に響いた。


「!」


 右手のすぐそばに刃が振り下ろされた。反射的に手を引っ込めたが、刃が地面に突き刺さったのを見て、冷たい汗が背中を伝う。俺は寒さと恐怖で凍りつきながら、ゆっくりと背後を振り向いた。


「ハーイ、坊や」


 背後に立っていたのは、人間とは思えない異様な存在だった。全身青い結晶で覆われており透き通るような輝きを放っており、頭には透明な冠、右手には氷のような槍。そして、青白く染まったその目には、底知れぬ恐怖が宿っていた。


「こんな所でお昼寝なんて……パパとママに怒られるわよ?」

 

「うわぁあああ!」


 その怪物の目が俺を鋭く見据える。恐怖に襲われた俺は、手にした指輪を握りしめ、慌ててその場から逃げ出した。だが、逃げようとする俺を怪物は見逃さなかった。俺に目をつけた怪物は、左肩に装着された青緑色の綺麗な宝石にそっと触れた。


「あなたの願い、とってもおいしそうね……」

 

 

 

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