第2話 亡き母のレシピを探す

 宿を再開する。──改めて考えると、頭が痛い。

 首筋を擦りながら、ああと頷く。頷きと言うより、ため息だったかもしれない。それも飽きたってのに、現実に向き合うと、どうしても出てしまうもんだな。


「さっきまで俺も考えてたよ。再開したいとは思ってるけどさ……」

「ふーん。お皿もまともに洗えないだなんて。今まで何やってたのよ? これでやっていけるの?」

「皿くらい洗えるって! ただ、なんかやる気が出なくて積み上がっただけだし」

 

 呆れた顔をするルーシーの横に立ち、泡が流される皿を拭きながら言い訳をすると、彼女は困ったように笑った。

 

「別に、説教しに来たんじゃないんだけどな」

「説教にしか聞こえなっかたけど」

「そうじゃなくて……困ってるなら、頼ってよ。幼馴染、でしょ?」

 

 少し拗ねたように唇を尖らせたかと思えば、ルーシーは小さくため息をついて肩の力を抜いた。

 

「……じゃぁさ。明日、ちょっと探し物、手伝ってくれないか」

「探し物?」

「あぁ……ほら、料理人を雇うにしても、母さんのレシピがあった方が良いだろ」

 

 親父はあんな調子だし、任せてられないから。そう言って苦笑すると、ルーシーは後ろを振り返った。

 テーブルに突っ伏したままの親父に、起きる気配はなかった。

 

 翌日。

 温めなおした野菜と鶏肉のトマト煮を皿に盛りつけ、平らな皿にはフリッターを載せてピクルスを添える。胡桃のパンは切っておき、クリームチーズと蜂蜜の瓶を出す。

 ルーシーと彼女の母に感謝をしながら朝食の用意をしていると、親父が起きてきた。

 

「今朝は、ずいぶんと豪勢な朝食だな」

「昨日、ルーシーが持ってきてくれたんだ」

「そうか。ありがたいな」

「宿は再開するのかって、心配されたよ」

「あぁ……いつもパンを安く卸してもらっていたからな」

 

 椅子に腰を下ろした親父は、パンにクリームチーズを塗りながら、得意先が減ると大変だろうと呟いた。

 ルーシーの笑顔が脳裏を横切った。


 親父が思うような心配事で来たとは思えないが、実際問題、再開するならいつまた卸してもらうか相談しないといけないんだよな。

 野菜や肉、魚もそうだ。取引していたのは近所の店ばかりで、口々にいつでも連絡をしてくれと言ってくれている。全部、母さんが作った繋がりだ。

 

「なぁ、親父。宿、再開しよう」

「……分かってる」

「分かってるなら、もう少し……おい、朝から飲むのかよ!」

 

 未だに親父に呆れながら、俺は髪をかき乱した。

 きっと、母さんのレシピが見つかれば、その料理をもう一度、食べれば──一縷の望みにかけ、朝食を終えてから、母の部屋でレシピが載っているだろうノートを探した。


 母の部屋に入ったのはいつぶりだろうか。

 本棚には、いくつもの料理本が並んでいた。日夜、様々な料理を研究していたのかもしれない。

 捲ってみた異国の料理本には、俺が食べたことのないようなものがずらりと並んでいた。

 手伝いに来てくれたルーシーも、興味深そうに本を広げる。

 

「お菓子の本もあるね」

「こんな凝った料理食べたことないな」

「ねぇ、これ。あんこって何かしら?」

「知らねぇ……母さん、菓子はあまり作らなかったしな」

 

 研究というよりは、趣味だったのかもしれないな。そう思えるくらい、見たこともない料理の本が出てきて、ルーシーと顔を見合って笑った。

 綺麗に整頓された机の引き出しには、左には使いかけのペンや色鉛筆、ハサミやノリなんかが入っていて、右には化粧道具と少しのアクセサリーがあった。


「あんま、こういうのつけてるとこ見なかったな」


 キラキラとしたペンダントを一つ手に取り、いつもエプロン姿で厨房を走り回っていた母の姿を思い出す。

 母が着飾って出かけたのは、いつが最後だっただろう。従兄の結婚式だったかな。


「早く孫を見せろって、よく言ってたな」


 小さな罪悪感に胸が苦しくなった。

 そこから目を背けるように引き出しを閉ざした。だけど、次に開けたクローゼットに並んでいた服の枚数が、あまりにも少なくて、思わずため息を零してしまった。


「ネルソン! この箱見て」

「……箱?」

「凄い重いの。開けて良い?」


 本棚の隅にあった木の箱を机に置いたルーシーは、俺が頷くと箱のふたをそっと開けた。中から出てきたのは、金属の錠がついた本だった。表紙には、母の字で料理レシピと書かれている。

 だけど、肝心の鍵が見当たらなかった。

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