第4話


「累に何を言った」

「別に。もうすぐ個展だから、兄さんの邪魔にならないようにしてほしいって、言っただけだよ」

「誰がそんな事してほしいと言った」

「まだ後二つも描かないといけないんだろう。時間がないじゃないか」

「それは俺が決めることだ。お前には関係ない」

「関係あるよ。俺だって個展で働いてるんだ。父さんも気にしてた」

「個展の運営は父さんの会社が担ってる。バイトをさせてもらってるだけなのに、口を出すな」

「あいつの何がそんなに気に入ったのさ」

「それこそお前に関係ない」


 浩詩は弘人と口論していた。個展があってもなくても、天川が来た後はいつもこうだ。

 

 小さい頃、桐子が弘人にいじめられていた時は、毎日のように喧嘩していたが、弘人が嫌がらせを止めてからは仲良くしてきた。浩詩は弘人の事を気にかけていたし、絵のアドバイスを仰げば、嫌な顔をせずに真剣に応えた。二人の仲がまたギクシャクし始めたのは、天川が訪問するようになってからだ。


「なんでお前は累の事になるとそうやって目くじらをたてるんだ」

「あんな奴にかまってる暇なんてないからだよ」

「あいつが傍にいると創作意欲が沸くんだ。お前には分からない」

「分からくてもいい。あいつ、いつもアトリエに来て兄さんの前をウロチョロと」

「お前たちは単なる同級生であって友人ではないんだろ」

「そうだけど」

「だったらお前は自分の事だけ考えてろ。頼むから俺たちの事はほっといてくれ」


 ほっといてくれと言われて、弘人はそれ以上言い返せなかった。爪を噛みながら浩詩のアトリエから引き返した。


 浩詩のアトリエは平屋で、白いレンガ造りに赤い三角屋根が付いた可愛らしい外観をしている。白と黄緑色のアイビーが一部壁を這っていて、メルヘンチックな外観だ。可愛らしい建屋の中で、背の高い浩詩が絵を描く姿が窓から見えると、まるでおとぎ話の世界に迷い込んだような錯覚を起こした。弘人はその風景を見るのが好きだった。


 盗み見するように離れた場所から、集中して創作する浩詩を見るために、弘人はいつもアトリエ周辺をうろついた。浩詩のアトリエは浩詩だけのもので、他人を易々と招き入れたりしない。

 弘人にも、邸の西側の倉庫を改造して作られた専用のアトリエがあるが、浩詩は弘人のアトリエに足を運ぶことはなかった。浩詩に興味を持ってもらえないという、どこか寂しい気持ちはあったが、だからと言って浩詩のアトリエに行かないという選択肢はなかった。


 自分が簡単に入れない聖地へ、当たり前のように出入りする天川が憎たらしい。これ以上自分の聖域を侵してほしくない。天川に対する態度は、自然ときつくなり、天川自身もそろそろ来ることに嫌気が差しているはずなのに、浩詩の天川への執着は終わらない。腹立たしさは増えるばかりだ。



弘人は自身のアトリエの真ん中に置いてあるキャンバスの布を剥いで、描きかけの作品を見つめた。長い髪を一つに束ねた人物の肖像画。ずっとこの絵が完成しない。


 桐子は作品を見るのが好きで、弘人のアトリエをよく訪れた。ここ最近、作品数は一向に増えず、桐子に新しい作品は描かないのと訊かれたが、答えられなかった。天川と同様自分も新しい作品を描くことができないでいる。そのことは誰にも言ってない。気づいているのは桐子だけだ。


 公の賞をもらった後、別の展覧会に作品を展示していたおりに、展覧会の主催が来て、放った言葉をきっかけに、弘人は筆を持つのを躊躇うようになった。


「このヒロという作者は、どこか丸沢浩詩の絵を彷彿とさせるね」


 展示する際の弘人の名前はヒロにしている。丸沢と名乗れば色眼鏡で見られると危惧したからだ。だが名前を伏せても、弘人の作品は浩詩の影響を大きく受けていた。


「技術力は高いけど、二番煎じな感じがしないかい。色使いとか特に」


 弘人はぎりっと奥歯を噛んだ。真似したつもりは一ミリもない。確かに浩詩の絵が好きで、彼の作品は何度も見てきたが、弘人は弘人らしさを表現した絵だと思っていた。なのに浩詩の絵を彷彿とさせると言われて悔しかった。自分らしさとは何なのか。考えれば考えるほど分からなくなっていき、描いていた作品さえ、模倣なのかと疑心暗鬼になって続きが描けないでいる。


 パレットに真っ赤な絵の具を出して、描いていた人物画の上から大きくバッテンを描いた。


「二番目」


 何もかもが上手くいかない。本当の母親は、父親の二番目だった。その母親にとって、新しい彼氏が一番で、自分は二番目だった。 

 新しい兄と仲良く過ごしていたのに、妹が出来た途端、二番目にされた。

 描いた作品は二番煎じだと言われた。

 

「一番になれない」


 独り言が呪いのように部屋の空気を澱ませた。






 

 

 

 


 

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