04 私に勝てたらなんでも言うことを聞いてやる。

 私にその気がない、ということが伝わっているのかいないのか――ディアークは微笑みを絶やすことがなかった。薄気味悪いとさえ感じる。だって有り得ないだろう、私と結婚する利点など何もない。


「で、殿下……どうかお考え直しくださいませ」


 叔母のシュタイン伯爵夫人がディアークというよりむしろお付きのひとに向かって言った。


「ザーリアはわたくしの姪ではありますが、しょっちゅう外泊を繰り返すふしだらな娘です。身寄りのないあの子に部屋を与え世話をしてやっているのに、自分で働いて生きていくと……いかがわしい仕事に就いているのですわ」


 私が身体を売って金を貰っている、と叔母は言いたいのだ。

 ただ私が提供しているのは純粋な労働であって、彼女の言うような「いかがわしい」行為はしていない。まあ何を言っても信じてもらえないだろうし、信じてほしいとも思わないが。

 シュタイン伯爵夫人の言葉にディアークは眉をひそめた。当たり前だろう、誰がそんな娘を嫁に欲しいなどと思うものか。


「処刑するか……」


 ぼそりとディアークがつぶやいた。その声音に侍従がびくっと肩を揺らす。いまなんて言ったんだ、こいつ。


「シュタイン伯爵夫人」

「は、はいっ、お考え直しいただけましたでしょうか……!」

「貴女に、俺の大切な女性を不当に貶めた罰を与えたいと思う」

「……は?」

「エリュデ帝国の伝統的な拷問道具【真っ赤に燃える鉄の靴】を履かせ、民衆の前でダンスを踊ってもらおうと思うのだが。いや、それとも【剣で築いた山】の上を裸足で歩く方がお好みかな?」


 顔色一つ変えずに言い放ったディアークに、叔母は絶句した。並大抵のことでは動じなくなった私もさすがに動揺している。何考えているんだ、こいつ。

 お母様、と伯爵夫人に縋りついたメイヤがディアークに「どうか慈悲を」と命乞いをしている。無様だな、とは思ったが眼前の男の異常としか思えない裁定はどうやら私に起因しているらしい。それならばここで黙っているわけにもいかないだろう。


「おい」

「ああ、ザーリア……! ごめんね、君に不快な思いをさせてしまって。そもそもこの侍従が『シュタイン伯爵令嬢』に求婚の書面を間違いなく送ったというから――俺の確認不足だ」


 ディアークの冷ややかな視線を浴びて侍従が竦みあがる。やめろ、と呆れ顔で言えば皇太子殿下は首を傾げた。

 怒りを我を失っているのか、もとよりこういうトチ狂った野郎なのか――うちの国エリュデの皇太子がこれほどイかれた野郎だったとは。

 エリュデ帝国の皇太子と言えば、学問にしろ武術にしろ、教えたことは何もかも習得するという天才だったという。そのぶんあまり外に出る機会もなかったとか。近頃は公務を務めただのなんだの書いた新聞記事を見たような気がする。


 そもそも、本当にこいつがあの「泣き虫ジョニー」だっていうのか?


「おい、落ち着けよ。何度も言わせるな、私はお前と結婚するつもりはない。メイヤが嫌なら他の貴族の娘を選べ」


 常軌を逸したディアークの行動にはうすら寒さをおぼえる。

 私はいまの生活に不満はない。不幸な境遇を救ってくれる誰かをずっと待ち続けていたヒロイン、とやらになるつもりもないのだ。

 貴族共は労働を忌み嫌うが、何もしないで寝て食って遊んでいるだけで金が入るなんてのは幻想でしかない。その怠惰で贅沢な生活を支える労働者がいる。見えないところに追いやって無視しているだけだ。

 私自身、伯爵令嬢ではなくなって初めてそのことに気付いたのだった。


「それは……困るな。すごく困る」


 思いの外、子供っぽい表情を浮かべてディアークは考え込んだ。


「何が不満なのかな? 俺は結婚相手としては申し分ないと思うよ」

「待て。そういう問題じゃない……」


 話しているとだんだん頭痛がしてきた。

 いまだに叔母たちは抱き合いながら嗚咽しているし、ディアークの従者は他の家来連中とこの状況をどうしたものかと話しあっている。


「とにかく、だ。婚約の申し出は丁重にお断りさせていただく」

「……理由は?」


 なおも食い下がって来るディアークを私は睨みつけた。


「私は誰とも結婚するつもりはないんだ。わかったか? というわけで、いい加減諦めろ。迷惑だ」


 従者共が未練を断ち切るような私の物言いに拍手喝采している。いやべつにおまえらのためとかではない。どいつもこいつも話を聞かないやつばかりで嫌になる。

 そのときディアークは深くため息を吐いた。やれやれようやく諦めたか、と思っていたのだが残念ながらそれは大きな間違いだった。


「――参ったな、ますます君のことが愛おしくなった」

「はぁ?」

「嫌だと言っても、俺には君と結婚する方法はある――でも出来ることならザーリアには望んで俺の妻になって欲しいんだ」


 ディアークはあまりにもまっすぐな、まるで忠犬のようなまなざしを私に向けているのだがその実は嫌がる女に結婚を強いる狂犬だ。ろくなものではない。まったく男というのは似たり寄ったりの屑野郎だ。

 どうして私のような色気の欠片もない女に執着しているのかは意味不明だが。


「しゃーねーな。殿下、ここはひとつ勝負と行きましょう」


 やや芝居がかった口調で持ちかけると「勝負?」と世間知らずの皇太子さまは首をかしげた。


「私と皇太子殿下とで勝負をするんです。私が勝ったら放っておいてください、あなたが勝ったら結婚でも何でもしてやる――それでいいか?」

「ああ――承知した。ザーリアと結婚できるなら俺はどんな苦労も厭わないよ」


 いいわけありません! と悲鳴のような声が皇太子の臣下から上がったが案の定、黙殺された。

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