05 負けるわけがない
「勝負内容は私が決めていいんだよな」
「もちろんだよ」
ディアークはにこやかに両手を広げて断言した。完全になめているのか――いちいちイラっとするのだが、その方が有難くはあるので私は黙った。
「おい、そこの」
ぼさっと突っ立っていた従者に「あんたの主人をぎったんぎったんにしてやるから剣を貸せ」と私は丁重に頼んだ。
「かっ、貸すわけないだろ! 殿下の身に危険が及ぶような真似を許可するわけがないっ」
「……いいか、ちっぽけな脳みそ使ってよく考えてみろよ。てめえの主は何故だか知らんが私にぞっこんらしい。体面もあるから、あんたらはディアーク殿下の意に背くことは出来ない――こんなどこの馬の骨とも知れない、ガラの悪い女が皇太子妃なんて悪夢でしかないのにな」
私は一息に言い切って、従者の眼を覗き込んだ。かすかに揺らぎが見えた。
「私がディアークに勝って、結婚だ何だとふざけたことを言わせないようにしてやるよ。それで文句ないだろ、私とあんたらお互いにとって利益しかないはずだよな」
「それは……確かに」
従者が唸っている間に、提げていた剣を私は勝手に抜いた。
王宮勤めのくせにたいしたことないな。いまは決闘とかそういうのにふさわしい武器を持っていないから、とりあえずまあこれでいいことにしよう。
ディアークに向き直って言った。
「一対一、タイマン勝負でどうだ? 武器はとりあえずある――おまえも、その腰にぶらさげてるの抜けよ」
「……気が進まないな」
ディアークは表情を曇らせ、腕組みをした。
「ザーリアに傷をつけてしまったら俺は立ち直れない……」
「はぁ、そんなのは杞憂だから気にすんな――
「もっと穏便な対決にしないか? カードゲームとか」
手になじまない長剣をザーリアが構えると、ディアークは嘆息した。美しい所作で佩いていた剣を抜き放ち、軽く振って調子を確かめている。
ザーリアが折れる気配がない、というのは伝わったらしい。
「悪いけど、手加減させてもらう――君には絶対に痛い思いをしてほしくないから」
「あのなあ……先に言い訳用意したとしても、あんたの負けは負けだからな。あと殿下が怪我をした場合は免責してくれよ」
「ああ、もちろん構わない。むしろザーリアにもらった傷なら俺にとっては宝物だよ」
「……気持ちわりーこと言うなよ。いいか、私はおまえとは絶対に結婚しない。」
吐き捨てるように言ったザーリアを見て、ディアークは唇に笑みを載せた。
「いいや、君は俺と結婚するよ。絶対に」
ディアークが片手を上げると、審判役を買って出た従者が「それでは用意……」と声を溜め「……始め!」と叫んだ。
この手の勝負というのは、一瞬で決まる。
先手必勝という言葉があるが、ザーリアは大体それで乗り切って来た。
勢いよく大地を蹴って距離を縮め、白銀の煌めきで薙ぎ払う――常人には何が起きたかもわからないスピードで。
それが白銀の狼と呼ばれる、私の戦法だ。
相手よりも先に喉笛を噛みちぎる――斬られた相手は、己の身に何が起きたのかもわからないように。
「何……⁉」
きん、と硬質な鋼の音が響き渡った。
どうせ肉を断つ感触はないだろうと思っていた。身体に触れる直前で止めて、降参させるつもりだったのだ。
だが、受け止められるはずはないと思っていた。
強くはじき返され、砂の上をざざっと後ろ足が滑る。
転びはしなかったが剣戟の重さにかすかに怯んではいた。並の男では私の剣筋は受け止めるどころか視ることさえ不可能のはずだ。
それなのに――焦る私とは真逆で、ディアークは涼しい顔をしている。
「やっぱり、君は強いな。思ったとおりだ」
「はァ……? 嫌味か?」
「とんでもない。俺の大好きな、ザーリアのままだと思って嬉しいんだ」
ディアークは、まるで恋をしているかのような蕩けた眸で、何か――否、私を見ていた。ぞくっと悪寒が走った。
こいつ、この状況でどうしてこんな顔していやがる。
「っ、ち……まだまだっ」
踏み込んで剣を向ければ、さらりと受けて風のように流してしまう。私の剣の腕はそれなりのはずだ――所属している「何でも屋【白銀の翼】」では商人の護衛などの仕事を割り当てられることが多く、実戦経験だって積んでいる。
「わたしがおまえに負けるはずが、ないっ!」
踏み込み、力任せに打ち払ったときだった。
がん、と手が痺れるほどの衝撃が走って、うっかり剣を落としそうになった。
「ザーリア、これ以上は手を痛めてしまうよ」
「……何、あっ!」
びりっと掌に電流が走ったかのように、指から力が抜ける。
そして――剣が落ちた。拾う間もなく、屈みこんだ私の前に目の前に白銀の剣がかざされた。
「俺の勝ち、だよね?」
「っ」
喜色が浮かんだディアークの眸に、私は恐怖を覚えた。
目の前に立つこの男は私の知っている――あの泣き虫だった幼馴染などではない。まったく知らない、大人の男だ。
「俺と結婚してください。ザーリア・シュタイン」
呼吸さえもためらうような静寂がこの場を支配している。
ただひとこと、私の「イエス」を待つためだけの時間が流れていた。
こうして私ザーリア・シュタインは、不本意ながら……皇太子ディアーク・リコリス・エリュデの求婚を受ける羽目になったのだった。
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