7日目 夜 二十七

 動悸が収まらない。気づけば川端は冷たい木目板の床に座り込み、どうしようもなく天井を見上げていた。開いたままの口を使って、死にかけの鯉みたいに酸素をかき集める。

 辺りを見渡せば、ひっくり返したばかりの自分の持ち物たちが散乱している。床に吸いついたように動きを止めているそれらを両手で掬い、宙に放った。昔書いた一人コントの台本や、歌村からもらった台本に混ざってゲイバーの名刺が顔を出す。懐かしい。何もかも夢中だったあの頃。

 川端は慈しむように名刺を手に取り、力任せに投げた。できるだけ遠くに、二度と目に留まらないところに飛んでほしかった。名刺は川端を嘲笑うように膝元へ落ちた。

 違う、こんなものを探しているのではない。なぜ、ゴミはまた戻ってくるのに見つけたいものが見つからない。

 川端は考える。どこにあるのか、そもそも何を探していたのか。探しているものを探しに、よろめきながら立ち上がる。違う、これでもない、違う。手あたり次第に何かを開け、本があればめくる。

 物と物の隙間、タオルに包まれた何かを見つける。勝手に手が動き、タオルをはがした。十年以上の経年を感じさせない、鈍く光るその冷たい身。力強く危うい光を見つめていると、意識が吸い込まれそうになっていくのを感じた。心地よく、穏やかな眠りのような感触に全身が包まれていく。ぐらぐら揺れる意識の中で言い聞かせる。この包丁は、戒めだ。自分の声のような、誰かの声のような、曖昧な響き。


 単独ライブの話が舞い込んだ。川端と歌村が二十五歳のとき、うれたんず結成初年度から五年目のことだ。

 当時二人が主な活動の場としていたのは、無名若手芸人が集まるお笑いライブだ。わざわざ無名の芸人を見るために集まるほど世間の人はヒマではなく、チケットは一枚五百円だとか、無料のことも珍しくなかった。当然出演してギャラがもらえることは稀だ。逆に出演料を払わなければならないこともある。それでもライブに出続けるのは、自分たちの腕を磨くことと、客に名前を覚えてもらうことと、存在するのかも分からない何かしらの目利きスカウトに見染めてもらうこと、それと、自分たちがお笑い芸人であると忘れないためだ。 

 川端がボケ、歌村がツッコミを担当するようになってから、徐々に劇場での反応が変わってきていた。少しずつ、気づいているのは世界でうれたんずの二人だけだとは思うが、登場時に飛ぶ客席からの拍手に期待が感じられるようになってきた。ライブでネタを披露する出番順が、後ろの方になることが多くなってきた。劇場内での序列が上がってきている証だ。

 そのタイミングで単独ライブの話が持ち上がったからこそ、歌村の張り切り様は並ではなかった。自分たちの手ごたえと、周囲の評価が一致したというのは大きい。川端でさえ浮かれて「そういえばさ」という台詞を「そういやさ」と言い間違え、舞台後歌村に怒鳴られた。それが笑いの量に影響があったかどうかは関係なく、お前の考えが甘いから間違えるんだ、と詰められた。

 単独ライブとなれば、寄せ集められた芸人たちと一緒に出る公演とは大きく意味合いが変わってくる。一時間以上の舞台すべてを自分たちだけで湧かせなくてはならず、客も小さい地下劇場とはいえうれたんずだけを目当てにやってくる。たとえ自分たちで直接チケットを売り歩き、知り合いやいきつけの食堂のおばちゃんにまで宣伝しどうにか集めた客が大半であっても、それまでのライブとはまるで違う新しい世界が待っている。

 歌村は張り切り、欲張り、情熱のままに川端を置き去りにした。ライブが決まってから三日間で聞いた、歌村のコントの台詞以外の言葉はこれだけだ。

「全ネタ新作でいく」

 悪いことに、宣言通り歌村は新作コントの台本を七本も仕上げてきた。

 全ネタ新作でいく。

 台本の表紙をめくった一枚目には、自分になのか川端に言い聞かせるものなのか、そう書き殴ってあった。本番までに覚えられない、とでも言おうものなら拳で殴られそうな気がしたので覚えることにした。

 本番までは一か月を切っていた。日中はほぼ休みなくバイトをしていたから、ネタ合わせに使える時間は思いのほか少ない。二人で睡眠時間を削り、眠気に負けて台詞が口から出てこず怒鳴られる、と思いきや歌村も寝息を立てていたことさえあった。川端が単独ライブでのネタ選びについて尋ねたことはないが、生まれて初めて眠すぎて泣きそうになるという経験をしたときに歌村が言っていた。

「単独を見に来るってことはな、劇場で俺たちを見たことがある客が俺たちを目当てに来るってことだ。その客の前で、やったことのあるネタなんか見せたら負けなんだよ」

 根性だけで台本を頭に叩きこんだ。台本を口から飲み込んで覚えられるなら、多分その方法を選んだだろう。いよいよ明日、単独ライブというときに事件が起こった。

 そのときは確か、小劇場の楽屋とも言えない待機所で同世代の芸人たちと出番を待っていた。四畳ほどの和室にテレビが一台だけあって、古くなって色褪せた画面にニュースが映っていた。未成年者略取で捕まり護送される容疑者の図、というこの世で最上級クラスに不名誉なテレビの映り方をしている男。あれが、自分たちが翌日に単独ライブを控えた劇場の支配人であるなどと、想像できるはずもなかった。

「少し休もう」

 ライブの中止が決まったとき、歌村が言った。少し、がどの程度を指すのかは多分歌村本人も考えていなかっただろう。いつまでなのか分からない休みは来る日も来る日も続き、歌村の傷心ぶりが伝わってきた。もちろん川端も落ち込みはしたが、数日もすればまた活動を再開するのだろうと考えていた。なるほど、自分は考えが甘いのかもしれない。

 歌村から連絡があったのは二か月ほど経ってからだ。ライブ中止の報から初めて会い、川端の家で包丁を突き付けられた。自分の胸元に向けられる切っ先の震えを、川端は現実感なく見つめていた。荒ぶる息を抑えられない様子の歌村が、川端の目を見て言った。

「これを預かってくれ」

 預かるという任務を遂行するため、つまむように刃の背に指先を伸ばす。自分の手も震えていることに、川端は初めて気が付いた。まだ上手く受け取れていないのに、歌村が事情の説明を始める。

「先輩がくれた。俺が二度と迷わないように、お前が持っていてくれ。俺自身への戒めとして、捨てずに取っておいてほしい」

 聞いても意味は分からなかった。とにかく受け取って、台所のふきんで包んだ後に歌村はぽつり、ぽつりと詳細を話し始めた。要は、ライブが中止になってモチベーションが保てなくなり、事務所の先輩に相談したところ餞別だと言って渡されたそうだ。調理師学校にでも行ってこい、ということらしい。先輩がなぜそんなものを持っていて、なぜ調理師学校を勧めるのかといえば、先輩が一度歩もうとした道だからだそうだ。引導を渡すにしても適当すぎる、と勘の悪い川端ですら思えたのに歌村が思えなかった。手に職という道に心が揺れ、二か月も考え込み、ようやく包丁を手放すに至った。それほどまでに歌村は視野を狭く深くし、芸人以外の道を考えずにやってきたのだろう。だからこそ、初めて突き付けられた他の選択肢に動揺し、そんな自分を責めた。

 活動を再開してから、翌年にはすぐに単独ライブのチャンスが巡ってきた。結成六年目のことだ。だがそこからが行き詰まった。単独ライブをしたからといって、生活は何も変わらない。この頃から、当時始まったばかりだったコントワングランプリにも出場するようになった。優勝すれば賞金と知名度と、日本一のコントを披露したコンビというお墨付きが手に入る。何千組という芸人たちがこの大会を目指し、決勝に上がる八組という狭き門をこじ開けられるよう毎年競い合う。多くの芸人にとってそうであるように、コントワングランプリはうれたんずにとって希望であり呪いだった。今年こそやれるかもしれないという期待と、敗北の現実を突き付けられるループ。毎年、落選を知らされるたびに存在価値を否定された気になる。いつしか、事務所や先輩からのプレッシャーから逃げるために出場するだけの大会になっていた。今年もダメでした、賞レースとは相性が合わないみたいで。と、歌村が言い訳できるように出場だけは続ける。頭の中では、このネタで勝てるはずもないと自分たちが一番よく分かっていた。

 七年目、八年目、九年目。歌村がだんだんネタの中に過激な要素を増やしていくようになっていた。有象無象の芸人の中で目立つには並のウケ方ではどうにもならないと踏んだようだ。テレビなら放送禁止用語に当たるような言葉を連発してみたり、意味も無く人が死ぬ要素をコントの中に入れてみたり。ブラックと不謹慎の線引きが出来ないネタはただただ悪目立ちするばかりだが、たまに絶賛する関係者がいたりするからタチが悪い。百人の素人を笑わせるより、一人の玄人が笑えばいい、などと嘯く歌村が痛々しい。傍らで川端はお笑いに関連しそうな動画を携帯で漁り、本を読み、メモをする。自分でネタの発想が出せない分、吸収だけは止めないようにしていた。

 迷走した挙句辿り着いた不謹慎路線は、唐突に終わりを迎えることになる。確か、年末のコントライブだ。雪合戦をしていたはずが雪玉以外のものをぶつけ合うようになり、そのエスカレートぶりで笑わせるネタをしたときだった。川端が仏のような笑みのまま猫のぬいぐるみの首を投げた瞬間、女性客の悲鳴とともにうれたんずの九年目は終わった。その劇場を出入り禁止となり、一か月間の活動自粛をするハメになったのだ。首の継ぎ目に、赤いペンキで色まで塗ったのが裏目に出た。

 この頃、歌村は競馬に夢中だった。いつ競馬を始めたのか、川端は気づかなかった。ただ、ギャンブルに興じる先輩を見ては、そんな時間があるなら芸を磨け、と蔑んでいた頃の歌村が懐かしく思えた。活動自粛を受け、歌村は彼女と有馬記念に行けると喜んでいた。いつ彼女ができたのか、と聞いたら三か月前、となぜか指を二本立てて言った。

「ミユだ。名前までかわいい」

 数分経ってから、あれは浮かれたピースサインだったのかと気づいた。

 十年目。三十歳という二人の年齢も併せて節目の年。節目の年、ということで芸人として何かが変わるわけではないが、周囲の目だけは少し変わった。歌村が、両親から家業を継ぐよう説得されているという。川端からすれば、大勢に影響のある話とは思えなかった。今さらになって、歌村が親の説得ぐらいで芸人の道を諦めるとは思えなかったからだ。予想に反して川端の前には、土下座する歌村がいた。すまん、と、他の芸人もいる楽屋で頭を下げるのは止めてほしかった。

「三十歳までに売れるって親には言ってきたんだ。なんとかもう一年だけ延ばしてもらった。来年売れなかったら、俺たちは解散だ」

 思えばあのときも年末だった。うれたんずと年末は相性が悪いのかもしれない。

 十一年目。歌村は本気だった。長らく本気で競馬に取り組んでいた熱量を、芸へ注ぎ新ネタを書き始めた。

 幸か不幸か、うれたんずはプチブレイクした。なぜ幸と言いきれないかというと、ブレイクしたのが正確にはうれたんずではなく川端だけだったという点だ。

 きっかけは大喜利番組のオーディションに受かったことだ。淡々とした真顔で、突拍子もないボケを飛ばしていく川端は視聴者の印象に残り、深夜番組とはいえ準レギュラーとして呼ばれるようになった。大喜利は川端にとって、数学の早解きに近かった。公式の蓄積と閃きが生きたのだ。まず、お題から連想される言葉を頭の中の辞書から探す。脳のシナプスが固く結ばれているかのように、過去に蓄積してきたお笑いの情報から面白いワードを手繰り寄せ、そこに川端が経験してきたものを乗せる。ウケれば、それが新しいデータとなりどんどん川端独自の世界観が生まれていった。

 大喜利番組の夏季チャンピオンになり、安っぽいトロフィー片手に歌村に電話した。考えてみれば、うれたんずにとって初めて得た称号だ。電話の向こうは騒がしかった。雑音が溢れる中で、歌村が声を張る。

「オーケー、これで俺がネタを書かなくても売れるな!」

 電子音と金属玉の転がる音。奴はパチンコ屋にいた。競馬と違い、パチンコの厄介なところは休日がないことだ。休む間もなくパチンコを打っているのだから、当然ネタを書く暇などないという訳だ。そんなバカな。

 コンビでの仕事は劇場に限られ、テレビは専ら川端が出た。歌村と離れて仕事をする機会が増えた分、代わりに別の相方ができた。トカゲだ。それと、明乃。そもそも、おこわさんという妙な名のトカゲを川端邸に連れ込んだのは明乃だ。体の色がおこわみたいだから、と分かるような分からないような由来を話していた。先輩としてネタの相談に乗り、川端邸でネタのことも忘れて朝まで過ごすようになり、自分のアパートよりもいることが多いからと、とうとう明乃は飼っていたおこわさんまで連れこんだ。うれたんずの掟、恋愛禁止については歌村が先に破っているのだから問題ない。

 明乃は月明りあかりという、世の中を明るくしたいという願いが姓にも名にも込められているような、その割りには月という控えめな光のような、迷いある芸名のピン芸人をしていた。本人は芸名と似合わない突き抜けるほどの明るさの持ち主で、太陽フレア照美とか、それぐらい思いきりのいい名前の方が似合いそうな女性だった。

 芸人として先に芽が出始めたのは川端の方だ。十歳年下の明乃は、後輩としても彼女としても可愛がり甲斐があり、川端の大喜利のセンスを手放しで褒めてくるところも愛おしかった。舞台上でいつもハキハキしているところが好きだった。芸風に悩んでいても、後輩の失恋に付き合って吐くまで酒を飲んだ後でも、川端が見落として買ったエビの出汁入りラーメンを食べてアレルギーに悶えた後でも、舞台に立てば変わらず劇場を明るく照らす根性があった。

 明乃から相談を受けたことがある。というより、二人の共通の話題は芸のことしかなかったので話すうちに悩み相談会になってしまうのだ。明乃は決まって、今の芸風でいいのかとため息をつく。いつもいつもアナウンサーのように一文字ずつ腹から声を出し、貼り付けたような百パーセントの笑顔で客席に投げかける。それでいいのかと明乃は悩む。もっと川端のように小声でも笑いを取れるよう言葉のセンスで勝負すべきではないか、ときにはパターンを変えて違う一面も見せるべきではないか。

 川端の答えは変わらない。そのままでいい。明乃はそのままが一番面白い。自分には無い華やかさと眩しさが明乃の魅力であり、面白さであり、川端の好きなところだった。そうかなあ、と明乃がウレタンマットの上で伸びをして首を傾げる。これ、さすがに古いのは捨てようよ。捨てられないんだよ。よほど繰り返した会話なのか、明乃との会話で覚えているのはお笑いのことと、ウレタンマットを捨てるか否かだ。

 

 売れたと判断していいかは甚だ怪しいところだが、うれたんずは結成十二年目を迎えた。歌村から特に説明はなく、ただ十二年目も変わらず活動を許されているということは歌村の親の問題はクリアできたのだろう。売れなければ解散と言われていたのだから、川端も知らなかったがどうやらうれたんずは売れたらしい。その割には、テレビの仕事は嘘のように無くなっていた。原因は明白だ。川端が、大喜利で笑いをとれなくなっていた。

「芸が無いくせに芸人を名乗るなゴミ」

「顔が不快だからテレビに出るな」

 うれたんずが言われたものではない。何気なくテレビに出ていた後輩芸人を見て、SNSで評判を検索したときに書かれていたものだ。それを目にしただけで、川端の歯車は容易に狂った。人を笑わせようと思ってボケるとき、明確な嫌悪を向けて自分を見ている相手が存在する。考えたこともなかった。ボケるとき、欠片でも頭を過るともうダメだった。本当にこのボケで人を笑わせられるのか、考えるとどのボケも足りていない気がする。浮かんでいたボケを、丸めて屑籠に捨てるように無かったことにする。代わりにボケにもなっていないような答えをして、微妙なスタジオの空気とともに心の平穏を得る。これは不快になる答えではなかったはず。次第に番組に呼ばれなくなっていく毎に、川端はため息を吐いていた。周りは嘆きと見ていたが、実際には安堵のため息だった。

 明乃はまだ悩んでいた。先輩芸人から、芸風を変えてシュールで暗さのあるキャラクターにした方がいいと助言されたのだそうだ。顔が整っている分、本当にアナウンサーに見えてしまって笑えない、というのが理由らしい。川端からすれば、アナウンサーに見える人がそのまま面白いことを言う方がよほど意外性があり強みになると思えた。

「今までありがとう。私、本当はもっと雅之くんから教えてもらいたかった」

 家を出ていくときの、明乃の最後の台詞だ。芸風を変えた方がいいとアドバイスした先輩が、明乃の新しい恋人なのだそうだ。もっと教えてくれる相手、だからその人がいいのだろう。そう自分なりに結論づけた。結論がないと、頭の中で明乃を一生責めてしまいそうだった。

 春に別れた明乃が、秋にはバラエティ番組で見ない日が無いほどの存在になっていた。川端が部屋に出たカメムシを追い出している横で、テレビの中から明乃の声がする。去年はカメムシが出る度に川端の後ろに隠れていた明乃が、罰ゲームで虫の丸焼きを食べている。芸人が嫌がることが定番の場面で、明乃は敢えて躊躇わずに虫を食べ共演者の笑いをさらう。

 明乃は、明乃のまま人気者になった。どんなときも明るく、まっすぐなキャラクターが世間の心を捉えた。ほらね、という川端の呟きを聞いたのはカメムシと、明乃が残していったおこわさんだけだ。明乃の新しい恋人は、四十センチの巨体トカゲを受け入れられなかったらしい。

 突然、玄関に体当たりしているような衝撃を感じた。音より先に空気が震える。白昼に玄関を壊される心当たりがあるか考えている間も、引き戸を開けようとする力任せの音が鳴りやまない。

「おい、開けろ! 早く開けろ! いるんだろ!」

 歌村だ。コントで強盗役をしたときの剣幕そのままだ。川端が何事かと鍵を開けると、放たれた猛獣の如く玄関に飛び込んできた。

「いいか、今年はコントワングランプリで勝つネタをやる」

 立ち止まることなく、ドカドカと足を鳴らしてリビングへと押し入ってきた。その間も鼻息荒くまくし立て、いかに自分が本気であるか語っている。世の誰よりも殺気のこもった目で、人を笑わせる計画を語る男。そのままコントにしたらウケるのではなかろうか。

 ひとまず、疑問は後回しにした。荒れ狂う歌村を止める方法など無いと、川端はよく知っている。言われるがままにネタを合わせる。畳の上であぐらをかき、新作の台本を読み合わせた。

 随分後になって知ったことだが、この日の朝、歌村は三年付き合った彼女に別れを告げられたらしい。歌村は自ら言わないし、川端も明乃のことを言わない。明乃は賢く、川端との関係を周囲に隠し続けていた。互いに起きた離別を知る由もなく、ただそこに新ネタがあるから役作りに没頭した。川端がネタを叩き込もうと台本と睨めっこをしている横で、歌村がノートにペンを走らせている。止まることを拒むように文字らしきものを書き続け、不意に無音の瞬間が来ると川端は台本から顔を上げた。紙をペンが滑っていないことに違和感を覚える。息継ぎのような束の間の沈黙の後、歌村がまたペンを走らせる。そんなことを何度か繰り返した後、また歌村のペンが止まった。ボールペンに初めて蓋をし、ノートを軽く叩いてから頷いた。

「一回合わせるか」

 考えてみれば、ここしばらく新作など作っていなかった。

 既存のネタだけでライブや営業をこなすようになって久しい。川端はネタ合わせだというのに緊張している自分に気づいた。今更、客もいない場で恐れることは何もない。そう自分に言い聞かせても、喉が渇き不要な瞬きばかり出る。

 取り繕う間もなく、ネタ合わせが始まった。台本を床に伏せ、座ったまま台詞を言い合う形に自然となった。緊張を悟られないよう、普段通りの顔をするよう努める。いつしかコントの中身よりも、自分の顔が強張っていないかばかりに気をとられていた。だから、間違う。言ってから気づく、細かい台詞の違い。すまん、というところをごめんと言ってしまう。ああ、歌村に怒鳴られる、と予想できたので心のスイッチを切る。歌村に怒鳴られ慣れた川端が身に着けた、動揺も落胆もしなくて済む防御法。自分の思考は捨て、歌村が収まるまで待つだけの時間だ。

「ごめんって先生、先生は全編実話であることを売りにした怪談師なんですよ。なんで作り話なんかしちゃったんですか」

 歌村はコントを続けていた。川端が言い間違えた部分をそのまま引き受けて。川端は目を見開き、慌てて自分の台詞を続けた。

「だって怖いこと起きないんだもん。最近はオバケの方がドン引きしてるよ。今日も人間どもがネタ集めに来たー。引くわー、ガツガツした感じほんと引くわー、って言ってた」

「いや、オバケは引かないでしょう」

「オバケだって引くよ? え、オバケ引かないと思ってるの? 引くわー。コンプライアンス引っかかるよ。オバ権問題だわ」

「人権問題みたいに言わないで下さい」

 まだ続いている。信じられなかった。舞台上ではともかく、ネタ合わせ中に間違えようものならただちに中断され、最初からやり直しになるのがうれたんずの悪しき習慣だった。驚きで集中が途切れ、次の台詞がまた出なくなる。

「オバ……」

 出ない。次の流れが浮かんでこない。歌村と目が合っている。白目まで総動員で、こちらを見つめてくる。

「オバ権はおばちゃんの権利でもある!」

 台本とはまるで違う台詞が口から出た。歌村の真剣な目が、柔らかな笑みに変化する。

「なんだそりゃ」

 言うとともに歌村が吹き出した。川端はたまらず続ける。

「オバケとおばちゃんでオバ権争奪戦をしよう。おばちゃんのオバケとおばちゃんの生者でな」

「うるさい! 早口言葉か! それにおばちゃんの生者ってなんだ! おばちゃんは大体生者だろ!」

 怒涛のツッコミの後、歌村は再度笑った。手を叩いて子どものように笑い、ダメだ、休憩しよう、と言って頭を振った。目頭を抑えながら、涙目になるほど笑っていた。


 歌村が物騒な物を持ち歩いているのを初めて見たのは、単独ライブ前の楽屋だ。

 うれたんずの十三年目はテレビの仕事こそほとんどないものの、ライブでの手ごたえは上々だった。歌村が新ネタを精力的に書くようになったことと、川端が自由にボケるようになったことが大きい。その日の空気感に合わせて言い方や台詞を巧みに変える二人の掛け合いは、うれたんずを新しい領域へと進めさせていた。のびのびと自分たち自身がコントを楽しみながらも、確実に客を笑わせていく。出るたびにその日の出演者で一番の笑いを勝ち取り、劇場関係者や芸人界隈でも注目を集め始めているのが二人にも実感できるほどだった。うれたんずとして、初めて賞レースというもので結果を残せたのもこの年だ。審査員特別賞という、名誉のような優勝できなかった証のような賞。それでも弱小事務所の玄関に自分たちのポスターが掲示され、ラーメン屋の新装開店より小さいぐらいの花飾りを付けてもらえた。自然と仕事の単価も上がり、バイトを少しずつ減らすこともでき始めていた頃。

 楽屋の鏡台の上に置かれた瓶に目を奪われた。自分と歌村しか入らない部屋にある、自分の持ち物ではない小瓶。必然的に歌村の物であるそれは、化粧水などではないと一目で分かる代物だった。まず、瓶が黒い。ラベルも黒い。そして中国語らしき文字とドクロマークとバツ印。分かりやすすぎるほどの毒物で、コントの小道具と言われたら信じるしかないほど異様だった。異様なのはその持ち主も同様で、喫煙所から帰ってくるなり、手に持って眺めていた川端から小瓶をひったくった。

「誤解すんな。先輩からもらったんだよ」

 聞いてもいないのに、歌村はその瓶をもらった顛末を川端に聞かせた。もともとは先輩芸人が持ち歩いているもので、歌村にも一本渡されたらしい。中身は見た目通り劇薬で、実際に飲む気は無くとも自分を追い込む効果があるのだそうだ。売れなかったらこれを飲む、そう思えば怠けたり、弱気になったりする心を打ち消せるのだとかなんとか。そのとき、歌村の指の隙間から文字が見えた。日本語訳での表記らしい部分に書かれた単語に自分の目を疑った。

「それ、フッ酸て書いてない?」

「あ? ああ、書いてるな」

「確か触るだけで大けがするような危ないものだった気がする」

「なに言ってんだ。そんな危ないもんじゃねえよ」

 次の瞬間、自分の心臓が凍ったのではないかと思った。川端が止める間もなく、歌村は瓶の中身を自分の手に出したのだ。

「見ろよ。なんともない」

 歌村が笑い、ようやく川端は戻ってきた拍動を感じることができた。急速に力が抜け、もし本物だったらと想像するだけで眩暈がした。

 川端はいつか、歌村に包丁を預けた先輩のことを思い出した。あの先輩はすでに芸人を辞めているので別の先輩なのだろうが、歌村の周りには極端な発想の持ち主が多いらしい。類は友を呼ぶのだろう。あまり、物騒な助言はしないでほしい。そんな風に川端は思った程度で、小瓶のことを咎めたりはしなかった。咎めればよかった。

 コントワングランプリ準決勝の日。歌村は小瓶を一般人の顔にかけた。自分たちの出番中、一番の盛り上がりに差し掛かったところでスマホを鳴らした客。歌村は黙っていることができなかったのだろう。準決勝が終わり客が帰路につく最中、歌村は被害者の田上を尾行していたという。携帯で準決勝敗退の知らせを受けたと同時に、歌村は田上に小瓶の液体を振りかけた。

 飲む毒であるはずの小瓶を、なぜ振りかけたのか真相は歌村本人にしか分からない。裁判ではムシャクシャしてかけたが、飲む毒なので害は無いと分かっていた、と歌村は弁明していた。川端の予想では真相は少し違う。歌村は、瓶の中身が飲む毒ですらない偽物だと分かっていた。だが先輩からもらったと言ってしまえば、今度は先輩が違法なサイトで購入したことが明るみになってしまう。だから、歌村は瓶を自分で買ったことにした。意図してフッ酸と銘打った毒を買ったにも関わらず、中身は毒でないと知っていたという苦しい弁明になってしまった。

 歌村拓を誰よりも知っている川端だからこそ、そこに疑いはない。


 人生を変えろ。コントワングランプリのキャッチフレーズが、決勝の日に向けてたびたびテレビCMで流れるようになった。もちろん出場者への健闘を期待してのフレーズだが、決勝を迎える前に本当に人生が変わってしまったのはなんの皮肉だろうか。

 川端は一人で活動を続けた。ほとんどの営業や公演はキャンセルを喰らうことになったが、中には手を差し伸べてくれる芸人仲間や劇場関係者もいた。とはいえうれたんずのネタが一人で成立するはずもない。自分一人で舞台に立てるよう、大学時代以来のピン芸用の新作ネタを書く。分からないなりに歌村をマネてノートに言葉を書き連ねては消す。形が見えてきた気がして、読み直すとまるで面白くない気がして最初から作り直す。バイトの時間を増やして日銭を稼ぎながら、どうにか一人でも舞台に立てる方法を模索した。歌村が帰って来るかどうかは関係ない。ただ、舞台に立たなければ自分が消えてしまう気がしていた。なんのためにネタを書いているのかも分からず、なんのために食べ、寝て、食べるのか分からない。たまらなく怖かった。舞台に立てない自分は死ぬしかないのだと、近く待ち受ける未来として死を恐れた。誰にも頼れず、誰も期待していない。また、ノートに書いたネタらしきものを塗りつぶす。

 次第に身動きもとれなくなる中で、唯一頼れる相手がいることに気づいた。歌村だ。川端は記憶の中の歌村に問いかけた。歌村なら、この状況にどう立ち向かう。裁判中の歌村ではない、過去の歌村に。十三年分の声を、姿を、頭の中で蘇らせる。助けて、助けて、助けて。自分を助けられる人は、もう歌村しかいない。

 川端がいくら助けを請おうとも、記憶の中の歌村は何も答えなかった。代わりに懐かしい声がする。テレビをつけっぱなしにしていたことに気が付いた。ワイドショーでインタビューに答える声。はっきりとした口調から、隠しきれない幸せの色が滲む。よく知った声なのに、聞いたことのない温かなぬくもりが宿っている気がした。こちらまで口元が緩みそうな、幸せに満ちた声の元へ吸い寄せられた。画面いっぱいに明乃がいる。人気絶頂から突然の結婚を発表された今のお気持ちは? リポーターが質問し、軽やかに明乃が答える。どんなときでも変わらず快活な明乃が、目を潤ませ声を詰まらせていた。ゆっくり、消え入りそうになりながら感情を吐き出す。幸せ、とても、幸せです。

 スタジオにカメラが移り、名物司会者が苦笑している。芸人なら笑いをとれよ、と小さく嘲笑しコメンテーターたちの笑いを誘う。いいじゃないか。川端は思う。彼女は幸せなんです、一人の人間として。月明りあかりという芸人ではなく、京山明乃として幸せを噛みしめている。どうか、見守ってやって下さい、と、願わずにいられなかった。

 司会者が次のコーナーのタイトルを告げ、瞬く間に明乃の影も形も無くなった。知っていたのに知ってしまう。もう、明乃は川端の人生の中にいない。明乃も歌村もいなくなってしまった。また恐怖が押し寄せてくる。なんとかしないと、頭をかきむしる。頭が痺れる。頭の表面が点滅しているような血の流れを感じ、視界が白くなる。白くなりきった途端。

 急に気が付いた。なぜ今まで気が付かなかったのだろう。自分には、母がいる。仕事に出かけたまま、帰ってきていない母。母だけは、いつでも自分の味方のはずだ。もう二十年近く会っていないせいで上手く顔が思い出せない。ふらつく足で立ち上がり、一番奥の部屋の押し入れを漁った。古い物といえば、大体あそこに入れてある。写真の一枚や二枚、簡単に見つかるだろうと考えていたのが甘かった。いくら箱を開けても母に関する物は何一つ見つからない。一つ、また一つと部屋に出していたらとうとう押し入れが空になった。押し入れに戻すときも、見終わった箱と分かっていても一箱ずつ確かめた。見落としただけではないかと期待した。何も無い。次第に記憶が確かになる。高校生の頃、死んだ母。全て遺品を捨てたのは自分だ。アルバムも、手紙も、遺影も、全て自分の手で捨てた。取返しのつかないことをしてしまった。母に会いたい、会って、どうしたらいいのか教えてほしい。

 何か痕跡が無いのか探した。家中探しても見つからず、同じところを探しては戻し、探していない場所が無いか探した。その頃から、ゴミが捨てられなくなった。間違えて母の遺品を捨ててしまうのではないかと思うと、買ってきたスーパーの惣菜の空きパックでさえ手放せなくなった。溜めたゴミの中を探して、その中にも母の痕跡が無いと分かると今度は外の物から探すようになった。道端に捨てられた物を目にすると、いてもたってもいられなくなって持ち帰ってしまう。

 いつからかゴミを見過ごすことができなくなった。ゴミ捨て場のゴミを、目をつぶって通り過ぎようとすると呼び止められている気がするのだ。なぜ自分は持って帰ってもらえない? プリンの容器や食べかけの弁当の容器で埋まったスーパーのビニール袋が、追いすがってくる気がする。持ち帰って中を洗い、途方に暮れて床に置く。自分の体よりも大きな段ボールが子どもみたいに泣いている気がして、抱きかかえて持ち帰ってしまう。

 外から持ち帰ったゴミと、自分が大切にしていたはずの思い出の品。床に散らばってしまえば等しくゴミで、たびたびつまずいては転んだ。どこかに、昔自分が捨てた母の遺品があるのではないか。写真の一枚でも紛れているんじゃないか。次第に家の中に溢れている物が、川端を満たすようになっていた。物が多くあることは、川端にとって可能性を意味している。もしかしたら、探せば母の遺品を取り返せるのかもしれない。その期待だけが川端を動かし、生かしていた。助けて、助けて、助けて。お母さん、僕を助けて

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