7日目 二十三

 呼び鈴が鳴らずとも、田上がやって来たのはすぐに分かった。玄関先から、麻子の浮つかせた声が響いてきたからだ。

「ほんとぉ、嬉しいなあ。こうやってファンの子を案内するとか、よくあるんですか?」

「全然、初めてに決まってんじゃん。いつもなら断ってるけどキミ、かわいいからさ」

 何やら麻子が歓声を挙げたのが分かる。うまく田上に怪しまれることなく誘導できたらしい。怪しまれるどころか、麻子をもう自分のものと思っているようにすら聞こえる。

 呼び鈴が鳴らされ、青木は迎え出た。玄関を開ける前に振り返り、シャンパーニュに隠れるよう合図する。妹がいると分かれば田上は余計な警戒心をもつことになるだろう。シャンパーニュが奥の部屋に入ったことを確認し、戸を開ける。

「はい」

 今日もメッシュがムカつく田上と目が合い、少し驚いた顔を作る。全て仕組まれたものと悟られないよう心がけるほど、鼓動が早く駆けていくのを感じた。

「どーも。今日もお掃除、お疲れ様です」

 向こうが勝手に決めた馴れ馴れしい距離感ながら、前回までと比べると第一声が大人しいように思えた。田上の背後に立つ麻子と目が合い、女の前だからかと納得がいった。

「なんの用事でしょうか」

 台詞を先に決めていた分、力がこもって声が掠れそうになる。

「前に話した件、考えてくれたかなと思って。ここの取材をさせてくれる話だよ。というか、さすがにもう気づいてると思うけど、あんたらの雇い主はここの大家なんかじゃないんだよ。だからそもそも、あんたたちもここにいる権利は無いってわけ」

 確かに大家じゃないが、お前の妹でもあるんだぞ、と言ってやりたかった。夢にも思わずに得意げでいる田上がなんとも滑稽で、少し肩の力を抜くことができた。

「そうらしいですね。とはいえ僕らも、あなたが不法侵入しようとしていることを見過ごすわけにはいきません」

「はっはー、それじゃあなたたちはどういうつもりでこちらにおられるんですか? 不法侵入ってことで、警察に通報してもいいわけですが」

 麻子がいる手前か、あからさまに罵倒するような言葉はないものの高圧的に変わりはない。これが田上の日常的なやり口らしい。ここまでは想定通りの展開で、青木は冷めた目で田上と対峙することができていた。

「それだと互いにメリットが無いということで、交換条件はいかがでしょう」

「ほうほう、どんな条件で? ぜひとも建設的なものでお願いしたいね」

 ニッと汚い歯列を剥き出しにして笑い、麻子に目配せした。余裕があることをアピールしているらしい。麻子はさすがの演技力で、分かり合っているかのようにニッと同じ顔をしてみせた。麻子の歯並びは美しく、田上とは到底釣り合っていない。

「我々の条件を受け入れてもらえたら、そちらの取材を黙認します。こちらが求めるものは、あなたのSNSアカウントです」

 田上は何も言わず、ただ目元を引き攣らせた。得体の知れない要求を不気味に感じたのか、こちらの真意を探ろうと値踏みするような視線をぶつけてくる。

「あなた、田上陽一さんですよね。どこかで見たことがあると思っていたんですよ。よく考えたらあなたの動画、見たことがありました」

「そりゃどーも」

 ありがたくもなさそうに田上が腕を組み、いつかのように玄関に体をもたれさせた。

「実は私、どうしても世間に大して発信したいことがありまして。一度だけでいいんです。あなたのアカウントを使って呟く権利を下さい。そうしたら後は、この家を自由に取材してもらって構いません」

 ちょうどいいところで、田上と麻子のさらに後ろに人影が見えた。絶好のタイミングだ。

「ダメだ、話にならないね。あんたは俺の一回の呟きの影響力のデカさを分かってない」

 予想通りの答え。ハナから期待はしていなかった。青木は営業スマイルを作って一歩前に出た。眉間に皺を寄せた田上の目を見て言う。

「では他の条件を考えるにあたって、まずは友好の握手でもしませんか」

 青木が手を差し出す。

「あんた、ちょっとだけ面白いな。キャラ変えたの?」

 田上が呆れたように組んでいた手を解き、広げたところを掴みかかった。咄嗟に振りほどこうとされたが、右腕に狙いを定めてしがみつく。

「てめえ、ふざけんな何しやがる」

 興奮した田上の力に負けそうになる。だが青木には勝算があった。このまま田上を抑えていれば、田上の後ろから近づいていた高代が取り押さえてくれるはずだ。だが。

「離せっ、殺すぞ、気でも狂ってんのか」

 なかなか高代が助けに入る気配がない。田上が左肘を振り降ろし、青木の背中に鈍い痛みが続く。そのたび緩みそうになる両腕を、意地でも離すまいと歯を食いしばった。

「高代ぉっ、まだか!」

 たまらず叫んだ。呆れたことに、高代は青木の叫びで初めて助けを求められていると気づいたようだ。

「え、ああ、そういうことか」

 慌てて駆け寄って来るとともに、青木に振り降ろされていた左肘が離れる感覚がある。いつの間にか固く瞑っていた目を開け、右手を後ろ手にポケットの手錠を取り出した。シャンパーニュと事前に練習したおかげで、速やかに田上の右手にかけることができた。

「おいふざけんな、マジで殺す!」

 手錠を見てさすがに焦ったらしく、近隣一帯に轟くような大声で罵倒してきた。考えている余裕はない。もみくちゃになり、気づけば手錠は田上の左手にもかかっていた。高代がタオルで猿ぐつわを作り、田上の口を塞ぐ。なおもタオルの奥から喚き散らす田上を、とにかくリビングへと押し込んだ。ウレタンマットを敷いた上に放り出してやったところで、たまらず青木もへたり込んだ。足が震え出し、今までよく立っていられたと感心する。

「ごめんごめん、まさかすぐに襲いかかると思ってなくてさ」

 高代がさすがに気まずい様子で後ろ頭を搔きながら現れた。車を止めて降りて来たらしい木井と、遅れて麻子もやって来る。

「ちょっと、代わりにこいつの、相手を、しててくれ」

 心身ともに力を使い果たしていた。へたり込んだまま天井を仰ぎ、顎で田上を指した。高代に文句を言うことも忘れていた。

 青木以外の三人が無言で見合っている気配がする。誰が田上とコンタクトをとるか、短い会合があった後、麻子がふー、と声に出して息をついた。立ち上がったかと思えばちょこちょこと田上に歩みより、あっさり猿ぐつわを外して言ってのけた。

「ごめんね、陽一さん」

 その冷静な声で、ようやく麻子も嵌めた側だったと気づいたらしい。ふざけやがって、と青木たちへのものと比べれば控えめな悪態をついて項垂れた。手を拘束されたままあぐらをかき、半ば居直ったように座っている。

「お前ら、俺をこんな目に合わせて無事で済むと思うなよ」

 田上はあくまで麻子ではなく青木たちへ睨みをきかせた。今もなお、麻子に対して恰好をつけているのだとしたら大した執着だ。その田上に対して、麻子は茶目っ気を込めたウインクまでしてごめん、とジェスチャーしている。

 青木は場を離れてもいいと判断し、シャンパーニュを呼ぶことにした。やはりというべきか、第一の案は瞬く間に暗礁に乗り上げた。本命である第二案に移行するしかない。第二の案として説得役を名乗り出たのが、シャンパーニュだった。いわく、兄を説き伏せる方法は熟知しているのだそうだ。

 隣の部屋と隔てているふすまに手をかける。妙な気分だった。自分がこの一枚の薄い戸を開けることで、シャンパーニュは忌み嫌っていた兄と対面することになるのだ。ただ戸を開けるという行為に、感じたことのない緊張感を覚え身が硬くなった。その時。

 ふすまが反対側から開けられた。

「こんなところで何をしてるんですか?」

 手錠をかけられ俎上の魚のような兄に、妹が冷たく言い放つ。兄妹なのに敬語であることも、傍目には違和感なかった。シャンパーニュを見据えた田上はなかなか言葉を発しなかった。誰もがその一声を待つ中、顔を何度も歪ませる様は愉快に見ていることができた。

 繰り返し状況を反芻し、どうにか理解できることとどうにも理解できないことを逡巡する。恐らくその作業をひと通り終えたタイミングで、田上は精いっぱいの強がりを発した。

「なんっなんだよ、めんどくせえ」

 近づくと蹴りが飛んで来ないとも限らないので、少し離れた位置のまま問いかけた。

「分かっただろ、こっちはいろいろ準備してここにいるんだ。改めてさっきの交換条件の話をしよう」

 田上の反応を窺ったが、青木の顔を見ようともしない。不貞腐れた子どもが、そのまま年を取って今の図体になったみたいだ。

「あんたのアカウントを一回貸してくれればあんたを解放する。貸してもらえないなら、このままここで過ごしてもらうまでだ」

「いいよ」

 は、と声に出かけたところを飲み込む。いつの間に形成が逆転したのか、田上の方が口笛でも吹き出しそうな余裕を見せていた。

「何日でも俺を捕まえておきたいならどうぞ。いつまでやる気か知らないけどな。これは立派な監禁事件だ。裁判沙汰には慣れてるんで、捕まってる間に民事でも刑事でも、あんたらに一番効く方法を考えておくことにするよ」

 青木は立ちすくむ四人の顔を見ることができなかった。風向きが怪しいことは、誰の目から見ても明らかだ。ただ狼狽を田上に見抜かれないよう、顔色はそのままに新たな策に考えを巡らせていた。

 均衡しきった空気を破ったのは、シャンパーニュだった。あまりに自然に動き始めたので、それが田上へ向かって歩いているのだと理解するのが遅れた。田上も含めた誰もが、口を半開きにしてただただ目で追っていた。そうだ、自分たちには田上の説得の仕方を熟知していると豪語していたシャンパーニュがいる。 

 シャンパーニュが田上の背後に立つ。振り返るよりも先に、田上は異変を察知して声を上げた。

「てめえ、ふざけんな」

 手錠で固定されたままの肘を背後へと振ったが、シャンパーニュは白けた顔で一歩下がり事なきを得た。

「やっちゃいましょう、アオさん」

 田上の周りを大きく迂回して戻ってくるとともに、戦利品のスマホを青木へと差し出した。どうやら、田上のジーパンの後ろポケットに突っ込んであると気づいていたらしい。

「あ、ああ」

 呆気に取られ、事の善悪もつかないままに生返事をしていた。説得の話しはどこへ行ったのかは、聞かないことにした。

 何やら田上が喚き、どおどおと真剣ともからかいともとれる調子で麻子がなだめている。ママゴトか何かのようにそのやり取りを聞きながら、青木はスマホを起動させた。

 画面にパスワードを求めるメッセージが表示される。横から覗きこんでいたシャンパーニュは顔色ひとつ変えず、田上の誕生日を告げた。言われるまま打ち込んでみたところ、あっさりと認証されホーム画面に行き着いた。

「単純で助かりました」

 シャンパーニュが微かに口元を緩める。対照的に青木は口を引き締めた。ひとつひとつ確かめるように画面に触れていき、SNSの画面を開く。自動でログインされ、いつでも田上の名で発信ができる状態にあった。

 青木は指を止めず、予め決めてあった内容を打ち込んでいく。もし川端の目に触れることができた場合に、川端が自分の意思で帰ってくることができるメッセージ。

 それが青木とシャンパーニュの総意だった。川端が戻ってきたくないのであればその選択ができるよう、本人だけに伝わる言葉を選んだ。

「田上の妹です。この場をお借りします。ゴミハウスの主様へ。金庫の中から手紙を見つけました。どうか無事でいて下さい。家に帰ってきて下さい」

 送信し、画面を閉じた。

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