7日目 二十二

 連れて来られた猫のように、シャンパーニュはなかなか玄関先から中へ進もうとしなかった。間の抜けたへえ、ほお、という声を漏らしながら辺りを見回している。

 左手の台所はゴミ袋が山になっており、慌てて青木が説明する。

「今はここにゴミ袋を溜めてあるけど、捨てればこの部屋も空になる」

 はい、とシャンパーニュが返事をする。

「すごいですね」

 と川端邸の変貌ぶりに素直に感嘆した声が聞こえる。この状況でなければ、青木は木井と高代の二人にハイタッチでも求めていただろう。

「こっちにどうぞ」

 と高代が右手のウレタンマットが敷かれた部屋に招き入れる。五人目の客だというのに、この家にはちゃんと五枚目のウレタンマットがあった。明らかに一人で使うには不要な枚数だ。これも川端が、かわいそうだから、という理由で集めたものなのだろうか。妙なことに、その事実を知ってから見るウレタンマットは本当にかわいそうな気もした。

 放射状に並べられたウレタンマットの上にそれぞれ腰を下ろす。この五人が、共犯だ。

「早速始めるぞ。いけるか?」

 青木がシャンパーニュに尋ねると、迷いなく頷いた。軽く目を閉じた後、返事の代わりとばかりにスマホを取り出している。否応なく、それを見つめる青木たちにも緊張が走った。シャンパーニュの指が画面の上を滑る。トントン、と画面を叩いた軽快な仕草が、自分たちにもう後戻りできないと告げている。シャンパーニュは目を閉じ、兄であり標的である田上陽一が電話に出るのを待っている。顔を上げたシャンパーニュが首を振った。

「出ませんね」

 揃えたように、ウレタンマットの上にバタバタと身を預けた音が響いた。足を投げ出した音、体育座りから崩れた手を着いた音。高代に至っては仰け反って仰向けに倒れていた。

「そう来たか」

 青木も呟くのが精いっぱいだった。

「折り返しを待つしかないか」

「それが、今更言いにくいんですが」

「なんだ?」

「よくよく考えてみれば、兄とまともに連絡がとれた試しがありません。そもそも滅多に連絡しませんし。私の着信を見たところで、無視する可能性が高いかと」

 ため息しか出てこなかった。行き詰まりを知らせるような沈黙を破ったのは、挙手とともに声を上げた麻子だった。

「あのー」

 おずおずと手を挙げ、何も言わない面々を見渡した。

「私、電話してみようかな、なんて」

「あんたがか?」

「そのお兄さんを呼び出せればいいわけでしょ? それって私の得意分野な気がして」

「いいかもしれません」

 力強く答えたのはシャンパーニュだった。

「私の番号よりは、いっそ知らない番号の方が出る可能性はあると思います。売り込みだのなんだの言って、自分の連絡先をばら撒き歩いているという噂がありますし」

 では早速、と言うなり麻子はシャンパーニュの隣に移り、画面を覗きこんだ。田上陽一の番号を教えてもらっているらしく、手早く指を動かしたなりスマホを耳に着けた。青木としては、本当に麻子に任せていいものかも分からない間に麻子の表情が変わった。

「もしもーし、初めましてっ。いつも見てますよぉ」

「本当に出たのかよ」

 呆れながら、青木にとっては懐かしい気すらする声に耳を傾けていた。すっかり忘れていた、初めて川端の家を尋ねてきたときの甘い声。瞬く間にレンタル彼女へと成り代わった麻子に、シャンパーニュが目を丸くしていたのが愉快だった。

「そおなんです。私、前からすっごくファンで。友達が私のためにって連絡先を見つけてきてくれて……はい、それで、勇気を出して電話しちゃいましたっ」

 向こうの声は聞こえなくとも、あのメッシュ頭が鼻の下を伸ばしているのが目に浮かぶようだった。麻子が快調に盛り上げるので、心配よりも笑いを堪える方に労力を割かれた。高代も同じ心境のようでわざとらしく口に手を当てニヤついていた。世間話を続けていた麻子が、頃合いだと見たのか話題を変える。

「ところでぇ、陽一さんの……あ、陽一さんって呼んでいいですか? ありがとうございます。えへへ。陽一さんのぉ、次の企画ってどんなことを考えてるんですかぁ」

 一段と麻子の声が芝居がかる。正体を知っている側としてはあざとさの方が目立って不安になったが、やり取りは滞りなく続いた。

「ええぇ? うーん、そおですよねえ。さすがに企画は教えられないですよねえ。残念」

 思惑が外れたようで、田上は麻子の質問に答えなかったらしい。だが麻子に焦った様子は見られなかった。見越していたかのように、新しい手札を切っていく。

「私ぃ、陽一さんが取材してるところをどうしても見に行ってみたくてえ。だって想像の中の陽一さんが、一番カッコいいときだから。仕方ないけど……やっぱり残念だなあ」

 ニヤけっぱなしの高代と目が合うたびに吹き出しそうになった。存分に田上をからかうことができた時点で青木は満足しかけていたが、麻子の仕掛けはそれ以上の結果を生んだ。

「え、ホントぉ? へえ……、そうなんだ。それ私も行っていいの? 嬉しい! じゃあ、四時半に駅に行くからね!」

 電話の向こうに悟られないよう、静かにピースサインをした麻子はとてつもない魔性の女に見えた。いつ敬語が無くなっていたのかも分からず、称えたいやら恐ろしいやら青木の感情は忙しなく動かされた。

「うんうん。分かった、楽しみにしてる。やったあ、今日は素敵な日になるといいねっ」

 またあとでねー、と楽しそうに別れを告げ、スマホの終話ボタンを押した途端。

「なんとかなった」

 心底安堵した様子で、麻子がスマホをウレタンマットの上に落とす。その麻子こそこれまで行動を共にした宮城麻子そのもので、ちゃんと麻子としてそこにいてくれることが青木には頼もしく思えた。

「次の企画は、マサくんの家に突撃して動画にするんだって言ってたよ。加害者の相方の家がゴミ屋敷になっているところを取材する。それで自分は被害者として、もう気にしていないからと励ましの言葉をかけるっていうのが作りたい動画のあらすじみたい」

 玄関先で初めて対峙したときから良い性格の相手だとは思わなかったが、そのときの不快感がかわいく見えるほどの嫌悪だった。動画の中で美談としようとしている川端への思いの真実を、青木は本人の口から聞いている。

 ゴミみたいな奴。そう田上は呼んでいた。許すとか、許さないとかのレベルですらない。川端に微塵も興味がなく、ただ見下ろすだけの存在として認識している呼び方だった。

「白々しい」

 そう吐き捨て、木井が乱暴に頭をかきむしる。

「木井」

 呼びかけた青木へと向いた木井の目は、忌むべき相手を刺すような咎があった。青木にではなく、田上へ向けたかったものだと分かる。青木は首を振った。本当は伝えたかった。今自分たちは同じように田上を疎ましく思い、木井の感性は変でもなければ一人だけ違ってもいない、と。

「始まるぞ」

 青木同様に立ち上がっていた四人を見渡して言った。覚悟を伴った顔が並ぶ。

「ターゲット、五時にここに来るよ。私は取材するところを見たいファンっていうことで四時半に最寄り駅から車で拾ってもらうことになってる」

 田上がこの家に来る。それは、川端をこの家に呼び戻す第一歩を意味していた。勝算がどの程度なのか、想像する余裕もない。ただ決行する以外の選択肢は考えられなかった。


 麻子を最寄り駅まで送る役を、木井が買って出た。もし木井に断られたら、田上の車に乗った後の麻子を一人にしてしまうところだった。

「一人で行かせるほど空気が読めないわけじゃない」

 と言った木井に

「だよねー」

 と返した高代はやはり笑っていた。木井の車に麻子と高代が乗り、麻子が田上の車に拾われた後はそのまま木井たちも尾行する段取りで出発していった。

「アオさん」

 待機役となった青木に、同じく待機役となったシャンパーニュが話しかけてくる。常にガサゴソとゴミをかき分ける音が絶えなかったこの家で、初めて風でガラス窓の木枠が揺れる音を聞いた気がした。本来はこれほど静かな家なのだと知った。

「川端さんの荷物を見てみたいんですが」

 シャンパーニュは後ろめたそうに、微かに唇をまごつかせてから言った。

「よろしいですか?」

 許可ができるとしたら川端本人だけなのだろう。それが分かっているからこそ、シャンパーニュは言い辛そうにしている。やましいことと分かっていながら、自分の目で確かめたい思いが止められない。そんな葛藤が伝わってくる。

「ゴミ袋を溜めた部屋に、分けてまとめて置いてある」

 肯定も否定もできないまま、事実だけを伝えた。結局のところ、了承したも同然だった。部屋の引き戸はシャンパーニュに開けさせようと思ったのも束の間、気づけば青木は自分の手で開けていた。

「ありがとうございます」

 すまなそうに肩を竦ませてシャンパーニュが奥へ進む。一見ゴミ袋の山しかない部屋の隅、もともとあった勉強机の上を保管物置き場にしていた。大型の段ボール箱いっぱいに、明らかなゴミと判断できなかったものを詰め込んである。

 段ボールの中は、統一感のない取り合わせの品物ですっかり埋められていた。覗きこむシャンパーニュの肩越しに、青木の見覚えのある品々や高代たちが入れただろう品が見えた。ネタ帳、ファンレターといった芸能生活が垣間見えるものから、空になった金庫、包丁、携帯、本や雑誌、比較的状態が良かった衣類など生活物品まで一緒くたになっている。

 シャンパーニュは中の物たちを、ただ上から覗きこんで眺めていた。手に取ったり奥底から探しものをするといったこともなく、暗い海の中でも見るように俯いたままだった。

「私の家のいらない物を全部捨てても、残るのはこれ一箱じゃ絶対に足りないだろうなって思います」

 不意にシャンパーニュが呟いた。

「慎ましく暮らしてたんだなあって思います、川端さん。欲がないというか、多くを望んでいないというか、そんな風に見えません?」

 感傷に浸るよう話すシャンパーニュの後ろで、馬券やゲイバーのチラシがあったことを思い出す。シャンパーニュにも馬券の話はしてあるので、承知の上で美化しているのだろうか。あえて指摘するのも野暮に思え、明言は避けることにした。

「どうだかな。金が無かっただけかもしれないしな」

 ふふっ、とシャンパーニュが小さく笑う声がする。

「そうかもしれません」

 本心なのか分からなかった。ただ、シャンパーニュが段ボールの縁へと伸ばした手は優しく、労わるような繊細さがあった。

「兄がいなければ、川端さんは今もこの限られた物たちと一緒に穏やかに暮らしていたんでしょうね」

「あんたの兄貴とうれたんずの二人の間で、一体何があったんだ?」

 思わず青木はそう尋ねていた。シャンパーニュの振る舞いが、真相を吐き出すことを望んでいるような気がしていた。シャンパーニュが青木へと振り向く。自分の手で川端の荷物を汚すことを嫌うように、段ボールから手が離れた。

「うれたんずのコント中に、兄がスマホを鳴らしたんです。一番盛り上がる場面で」

 すぐに反応ができなかった。それだけか? と口にしてしまいそうになる。それが青木の想像を大きく超える出来事であることは、シャンパーニュの苦々しい目を見れば分かる。

「アオさんは、芸人さんたちが人生を賭けて臨む大会があるのを知っていますか?」

 人生を賭ける、という言葉を大仰に感じながらも、浮かぶ光景はあった。毎年恒例になっているテレビ番組で、優勝した芸人は賞金と膨大なテレビの仕事を手にする。他の番組に出る際も大会王者として箔がつき、無名だった芸人が一躍スターへなれるよう道が開かれている。拍手と歓声の中で優勝者が決まる瞬間を、青木も何かしらで見た覚えがあった。

「詳しくはないが、なんとなくは分かる」

「兄がスマホを鳴らしたのは、その準決勝でした。勝てば全国放送での決勝に出られる。そこから売れっ子になった芸人さんもたくさんいます。というより、十年以上芸人をやっていても日の目を浴びていない芸人さんにとっては、ラストチャンスと言ってもいいような存在なんだそうです。テレビに出られないからファンがつかず、ファンがいないからテレビに出られない。そんな自分たちにはどうしようもない循環を飛び越えて逆転できるチャンスが、ああいった大きな大会なんだと川端さんが言っていました」

「その大会に、うれたんずも逆転を賭けていたってことか?」

「そういうことみたいです。あの年、二人が作ったコントは最高の自信作だったそうで。決勝に行く自信もあったそうです。その夢が、兄が鳴らしたスマホ一つで壊された」

「ちょっと待ってくれ」

 抑揚を殺して話し続けるシャンパーニュを制した。納得よりも疑問が多い話だ。

「スマホの音でそんなに影響があるものか? 本人たちに罪は無いんだから、大会の結果には関係ないんじゃないか」

 シャンパーニュは無念そうに息を吐いた。

「川端さんもそう言っていました。スマホの音が流れたことでお客さんの意識が逸れてしまったのは確かだけど、決勝に行く勝敗は審査員が決めるのだからスマホは関係ないかもしれないって。でも、歌村さんはそうは思わなかった」

 その名に自然と耳がひりつく。田上に危害を加えようとした罪で服役中の歌村が、動機をもった瞬間なのだろう。

「歌村は何をしたんだ?」

「酸を顔にかけようとしました。ただ、失敗に終わったので兄は被害を受けていません」

 青木は無意識に自分の顔に触れていた。酸、という響きに肌が粟立つ。暴行事件と聞いて連想される、殴りかかったなどの物理的な暴力よりも陰鬱な怨みの深さが伝わってきた。

「歌村さんがかけたものは、実際には酸でも何でもなかったんです。全く体に無害な物でした。ただ、入れ物が問題になりました」

「入れ物?」

「はい。歌村さんが路上販売の怪しい外国人から買ったというその液体は、中身はニセモノでした。ただラベルにはフッ酸と記載されており、もし本当にフッ酸が顔にかかっていたなら兄は死んでいたか、激痛とともに失明や重篤な後遺症を残していた可能性が高いんだそうです」

 青木は言葉を失くした。聞く限りでは、歌村は傷つけるどころか殺意があったのではないかと疑ってしまうような話だ。

「この辺りの事情は、公には報道されていないようです。うれたんずというあまり世間的に知られていない芸人のニュースでありながら、軽く取り上げるには内容が過激すぎる。かといって未遂ということもあり、大々的に挙げるニュースというほどでもないためにマスコミも扱いづらかったのだろうと川端さんは話していました」

「歌村は本気であんたの兄を殺そうとしていたかもしれないのか」

 いえ、とシャンパーニュが首を振る。

「そこが裁判でも争点になりました。歌村さんは、殺すつもりも傷つけるつもりもなかったと話しました。瓶の中身は飲み薬だと思っていたと主張したんです」

「そんなことありえるか? 飲み薬だと思っていたなら、今度はなんで顔にかけたんだって話になるぞ」

 青木は苦笑したが、シャンパーニュはその反応も織り込み済みといった様子だった。

「ですよね。アオさん、検事などに向いているかもしれません。当時の裁判でもそこを指摘されていました。歌村さん側の主張は、瓶の中身は飲み薬だと思っていて、自分が死にたくなったときのために持っていたと。ところが兄に邪魔をされたのでヤケになり、かと言って死ぬ勇気は無く、その薬を兄の顔にぶちまけることで憂さを晴らそうとした、というものでした」

 青木は何か言おうとしたが何も言えなかった。無意識に歌村に有利な見解を探そうとしていたが、自信をもって披露できるようなものは見つけられそうにない。

「当時の傍聴席の人間や裁判所の方々も、今のアオさんみたいな顔をしていました」

 指摘されて想像できた。歌村に大して贔屓目で見ようとしている青木ですら顔が渋くなるなら、当時の法廷内の反応は冷ややかなものだっただろう。

「なにせ、瓶にはフッ酸と書かれています。フッ酸といえば少し皮膚に触れただけで取返しのつかないことになるもの、という程度の知識は私にもありましたし、仮に歌村さんが知らなかったとしても少し検索すればいくらでも情報が出てきます。それを知らずに歌村さんが所持し続け、飲み薬だと思い込んでいたというのは無理があるでしょう」

 事件から二年近く経っていても、説明には淀みがなかった。もしかしたらシャンパーニュ自身、何度も頭の中で反芻し、自分なりに検証してきた内容なのかもしれない。

「裁判では殺意の認定には至りませんでしたが、相手を傷つける強固な意思があった、また、動機も思い込みによる身勝手なものとして、暴行事件の中でも重たく扱われました」

「その結果が実刑判決か」

 はい、とシャンパーニュが嘆き唇をかみしめた。

「私はてっきり上告して、傷つける意思はなかったと改めて主張するものだと思っていました。でも上告はされなかった」

 つまり、歌村は認めたということになる。田上に液体をかけたのは相手を害する意図があったと。

「正直、川端さんはともかく歌村って人は同情の余地が無いように聞こえるな。いくら大事な大会の最中とはいえ、たまたまスマホが鳴っただけの客を殺していたかもしれないっていうのは」

「違うんです」

 青木の言葉をシャンパーニュが遮った。今まさに裁判が行われているような、真に迫る気配があった。

「兄は、わざとスマホを鳴らしたんです。そうすればうれたんずが不利になるのを知っていて、二人のコントを台無しにしたんです」

「マジかよ」

 間抜けなことに、それ以外声も出せずに立っていた。なぜ、なんのために、と疑問と怒りが頭を巡りそれ以上考えることを拒否していた。

「歌村さんはそう訴えていました。ちょうど客席を向いているシーンで、一人一人の表情や動きがはっきり見えていたと。そのときの兄は一人だけまるでコントに興味がないような様子で目立っていたと。そしてスマホを取り出し、兄が操作をしてから音が鳴った、あれは意図的なものだと確信しているとの話でした」

 口の中が乾いていくのを感じながら、辛うじて声を絞り出す。

「証拠はあるのか? 田上がわざと鳴らしたという証拠は」

「それが、何もないんです。兄とうれたんずの二人には接点が無かったようですし、わざわざ兄がそうする動機もない、ということで結局裁判では歌村さんの言いがかりのような印象が強くなるばかりでした」

 青木はじゃあ、と口を開きかけた。じゃあ、歌村の思い込みの可能性が高いのではないか。青木がそう言ってしまうのを予期したように、シャンパーニュが間を空けず続けた。

「でも一見して動機がないからこそ、兄は意図してうれたんずを潰そうとしたんじゃないかと思っています。そもそも、あの人はお笑いなんて興味がない人間です。なぜあの日会場にいたのかも分からない。私には何かあるとしか思えないんです。ただ、証拠が無い以上はどうすることもできなくて」

 深く長い息をつき、二人揃って声を失くした。今の青木にできるのは、歌村の訴えが真実だったときの理不尽さを想像することだけだ。

 沈黙を破ったのは、着信を告げるバイブレーションの音だった。木井の車に同乗しているだろう高代からメッセージが入っている。

『あと五分もしたら着くよー』

 シャンパーニュと顔を見合わせ、頷いた。考えるのは後にする他ない。部屋から出て、どう田上を迎え出るか構えようとしたときだ。

「待ってください」

 シャンパーニュが呼び止め、段ボールが開かれたままの川端の荷物を見ていた。

「これ、使えるんじゃないでしょうか」

 箱の中から取り出し、青木へと差し出してきた。渡されて、その重さに驚く。手錠だ。プラスチックでできた偽物だろうと思っていたが、しっかりとした重さで拘束力は十分ありそうだった。ご丁寧にキーホルダーのようにして小さな鍵までぶら下がっている。

「コント用でしょうね」

「本当かよ」

 用途の真相はともかく、確かに活用できる可能性は高そうだ。なにせ、田上が素直にこちらの要望に応じるとは思えない。青木は手錠を受け取り、リビングへと戻ることにした。

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