5日目 十四

 ゴミハウスの仕事が始まってからというもの、自分の家の中が散らかっていても平気になりつつある。疲労の影響が大きい上に、帰宅してまで片づけをしたくないという心理がはたらいているらしい。そして何よりも、物で溢れる景色に慣れてきてしまっている。

 ここまで五日間続けて清掃に出向いている。木井に明日を休みにするか提案したが、青木がやりたいなら続ける、という返事だった。休んでもすることがないから、と力なく笑う顔を見ていると、休みにしないでくれと言われている気がした。

 青木としても、休みの間まで川端のことが頭をよぎる気がしてならなかったのでありがたい話ではある。高代に明日来れるかどうか連絡しようとしたとき、携帯が震え着信を知らせた。画面にシャンパーニュの名前が映っている。向こうからの連絡は初めてのことだ。

「もしもし、何かあったか?」

「いえ、特別は。たまにはこちらから電話をしてもよいかと思いまして。進捗はいかがですか?」

 嫌な知らせでも来るかと少しだけ身構えたが、返事に変わった様子はない。

「どうだろうな。台所と部屋三つは片付きつつある」

 青木の答えに対して、ほぉ、とシャンパーニュが声を裏返らせる。唇をすぼめ、眼鏡の奥で目を真ん丸にしている顔が想像できる。

「本気であのゴミハウスを片づけてくれているんですね。大した根性です」

「当たり前だろ。こっちは報酬がかかってる。なにせ途中で放り出したら一円にもならないからな」

 恨みがましく言ったつもりだが、シャンパーニュに効くはずもなく相変わらず平静だ。

「ありがたいですよ。二十二万円と餃子一個ですから。餃子一皿にして差し上げてもよかったと思っています」

 笑えない台詞を言ってのける。ただ、心なしか今のシャンパーニュの口元には笑みが浮かんでいるような気がした。案外、冗談で言っているのかもしれない。

「まあ、無事成功したら特別ボーナスを期待してるよ」

「そうですね、ですがそれは成功してから考えましょう」

 可愛げのない答えだ、と青木は悟られないように肩をすくめた。

「あとはアオさん、変わったことはないですか? 順調ならそれでいいのですが」

「変わったこと、か。いろいろあったが、一番大きいのは川端さんのスマホが出てきたことだな。連絡帳に載っていた全ての番号にかけたが、つながったのは一人だけだった」

「電話を、したんですか?」

「ん? ああ、したけど」

 嫌な予感がして受け流すように答えた。今答えて初めて、自分たちの行動に落ち度があったような引っかかりを感じた。

「アオさん、そういうことは依頼主である私に一言相談すべきかと」

 しまった、と思う。電話がつながった相手にもし突っ込んで状況を尋ねられていたら、大家としての信用問題に発展していたかもしれない。清掃で入った人間が、発見した携帯の番号に電話をかけるなど本来は行き過ぎている。携帯を見つけた興奮でそこまで頭が廻らなかったと、自分の判断を悔いた。直前のメッシュ頭たちの訪問での動揺もあったかもしれないと思うと、ますます自分が情けない。

「言ってもらえれば、私も混ざりたかったのに」

「混ざりたかった?」

「ええ。一緒に電話をかけて川端さんの知り合い探しを手伝いたかったです」

 青木が考えていたのとは別角度からの抗議だ。

「そうなのか?」

「前にも言ったと思いますが、川端さんの行方を知っている可能性のある方なら私は話したいですよ」

 確かにそんな話をしていた。シャンパーニュはゴミの清掃を自腹で依頼しながら、川端が帰ってくる可能性にも期待はしているらしい。川端が見つかればもろもろの費用を請求できるのだから、当然といえば当然か。

「それで、その電話がつながった方はなんと言われていました?」

「得るものは無かった。川端のことは何も知らない、たまたま番号が載っているぐらいの関係だったらしい」

 レンタル彼女というワードを出して簡潔に説明できる気がしなかったので、結論だけを伝えておくことにした。

「アオさん」

 段々分かってきたが、シャンパーニュが改めて名前を呼ぶときは青木の痛いところを突いてくることが多い。

「嘘をついていませんか?」

「なんの嘘だ。何を疑うことがある」

「いえ、なんとなくですが。川端さんは交友関係の広い方ではなさそうでしたから。電話のつながった一人というのは、むしろ深い仲である可能性が高いのではないかと」

「残念だがその考えは外れている。たまたまお人好しが電話に出たが、川端のことは大して知らなかったってだけだ」

 案の定というべきか、シャンパーニュは侮れない理屈の立て方で青木の嘘を突っついてきた。まだ納得のいかない様子で、シャンパーニュの唸り声がスマホから垂れ流されている。青木は嘘がバレてややこしくなる前に、話題を変えてしまうことにした。

「それと、変わったことと言えば怪しい奴らが来たぞ」

「怪しい奴らとは?」

 無事食いついてくれたので、あの忌々しい連中の話もしておくことにする。本当は、伝えるまでもないと思っていたあの連中。

「男二人組で来て、取材がどうのと言っていた。無断で撮影までしようとしたから追い出しておいたが。とにかく不快な連中だった」

「取材ですか。どんな方たちでした?」

「一人はニヤけ顔とメッシュがムカつく奴だった。もう一人はほとんど無理やり連れてこられたみたいな感じだったな。派手なバンダナをしてたが、とにかくもう一人の方がムカついたんでそいつはあんまり覚えてない」

 そうですか、と呟いたままシャンパーニュは黙りこくってしまった。考え事をしているのか、何も言うことがないのか、電話の向こう側の姿がまるで想像できない。行方の分からない沈黙が耐えられず、青木は言葉を継ぎ足した。

「川端さんのことも知っているのかもしれない。ここに住んでいるのはゴミみたいな奴がどうのとか言っていた」

 それでもシャンパーニュからの返事はなかった。受話器の向こうからは周囲の物音一つせず、恐らく自宅からかけてきているのだろうと関係ないことを考える間さえあった。

 ようやく聞こえたシャンパーニュの返事は冷えきっていた。

「そいつら、クズですね」

 あ、ああと曖昧に合わせる。そうするしかないほど暗く沈んだ声。軽蔑とも怒りともとれるその声が、青木の頭に嫌な事実を蘇らせた。自分には、警告しておく責務がある。

「悪いが連中に帰るよう説得するときに、家に入りたいなら家主から許可を取れと言ってある。そのうちあんたに接触があるかもしれない」

 罪悪感を抑えながら、できる限り大したことではないように言った。やむを得ない状況だったとはいえ、家主の存在を挙げたことを内心悔いた。

「分かりました。私が許可をしなければいい話です」

 さっきの沈みきった声が嘘のようにさっぱりと言い放つ。シャンパーニュが何歳なのか知らないが、その度量と理解の良さは尊敬すべきかもしれないと思った。常識は無いが。

「今後、もしそいつらがまた来ても相手をする必要はありません。不快な思いをさせてすみませんでした」

「別にあんたが謝ることじゃない。まあまた来るとも思えないが、万が一来たときにはありがたく家主の許可が無いので無理だと言って断らせてもらうよ」

「ええ、お願いします」

 電話を終えた後は、高代に明日の予定の連絡を入れた。奴は本当に職探しに行ったのだろうか。作業中、木井とその話題になることもあったが、結局のところ帰って来た本人に話を聞くしかないという結論になっていた。

 青木はメッセージを送り、同時に不安も覚える。報酬がかかっているとはいえ、自分たちはゴミハウスだけでつながっている薄くあやふやな関係だ。一日抜けたことを機に、連絡を絶って面倒事から足を洗う可能性だって無いとは言えない。

 青木の不安を察したかのように、返信を知らせる震えは早かった。画面にはギターを持って舌を出すパンクメイクの熊、というよく分からないキャラクターのスタンプが一個送られてきている。ほとんど中指に見える前足の爪を一本立て、『了解!』と書かれていた。

 スタンプのセンスはともかく、高代の返事には寸分の迷いも無かったように感じられた。青木は明日に備え、美味い飯を食べて早く寝ようと思った。

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