2日目 七
ゴミの山を減らすことだけに没頭していた。いつの間にか、燃えるゴミを見つけては袋に放り込み、少しずつ部屋の壁や床が見えてくることが快感になってきた。
喉の荒れを感じながら、口元が冷たく濡れていると気づく。透明な鼻水が伝い、マスクに染み込んでいるのだ。拭き取るのも煩わしく、顔を傾けると鼻から床へと鼻水が落ちていく。鼻水がペットボトルに垂れ、それが誤った行為だったと気づいた。垂らすなら、ティッシュやチラシなどの紙ゴミの方が衛生的に捨てられるのではないか。紙ゴミを見つけてはそこに鼻水を落とし、鼻水ごと燃えるゴミへと捨てる。
青木がヤケクソな遊びに興じていることに気づく様子もなく、背中側では木井が黙々とゴミを捨てている。気づけば青木は鼻で息ができなくなっており、ようやく清潔なティッシュで鼻をかもうと決めたところで強烈なくしゃみが出た。鼻の方が先に耐えられなくなったらしい。
「鼻炎? ちょうど昼頃だろうし、休憩にしよう」
鼻水まみれの今の顔はさぞかし壮絶で不潔だろうが、木井は特に感想もなく部屋から出ていった。
木井が車を出し、昼食のため適当に見つけたハンバーガー屋に入る。見慣れたチェーン店の清潔な空間に入ると、自分たちが汚れや臭いを持ち込む汚物に思えた。正直、見えない細菌の類が体中に付いていてもおかしくはない。健康被害を出すようなものでなくとも、泥だらけで他人の家に上がり込むような罪悪感がある。
「こんなのが出てきたよ」
それぞれが食べ終え、食後のコーヒーを味わっていたときだ。高代がテーブルの上に物を並べ始めた。あの家から持ち出してきたものだと分かった途端、青木はテーブルの上のコーヒーを手元に避難させた。
「汚いな、持ってくるなよ」
車にでも轢かれたような黒い汚れが塗りこまれた封筒が、高代の手によってテーブルに並べられていく。木井は始めの二、三枚を手にとって汚れを払っていたが、無意味だと判断したのか四枚目からは手を伸ばさなくなった。
高代が一枚を手に取り、封筒の中から出てきた紙を読み上げ始める。
「最高のライ……ライブでした。お二人のコントにいつも……元気をもらって、なんとかかんとか、だって」
字が読みづらいほど汚れているようで、詰まりながらも読もうとした末に雑に締めくくった。
「ファンレターだよ。けっこう人気があったのかもしれないねー、芸人ちゃん。こういうのが何十枚か、何百枚あったかも。けっこうまとまって落ちててさー」
高代がゴミの搬出と兼ねて担当していた、廊下の辺りに落ちていたらしい。人気商売である芸人がファンレターを床に捨てていたという現実は、芸能界に興味がない青木でも不愉快なものがあった。
「送ったやつも浮かばれないな。まさかゴミ屋敷の床でボロボロになっているとは思いもしないだろう」
吐き捨てながらも、青木には何かが引っかかった。ゴミハウスを掃除し始めてから、どこかで感じていた違和感だ。
「これが、一か所にまとめてあったのか?」
「そうそう。点々と散らばってるのもあったけど、ほとんど一か所に重なってた」
青木は指先で一通の封筒をつまみ、表と裏を反転させた。少なくとも、一年や二年前の物ではないだろうとは汚れと紙の変質具合から想像できる。封筒はまだらに色が褪せているように見えて、劣化で削れて下地の白が出てきているようだ。元は淡いピンク色だったらしいが、それが分かる面の方が少ない。
「この、前の住人は何年ぐらい芸人をやってたんだろうな」
「ほら、気になるでしょ」
青木の呟きに、高代が前のめりで食いついてくる。そういえば、高代は今朝も芸人の芸歴を気にしていた。
「だってお笑い芸人だよ? すげーじゃん。一年やるのだって厳しい世界だっていうし、ファンレターくれるようなファンがいたっていうなら余計すごいし。どんな芸人だったのかさー、知りたくなってきたでしょ」
鼻息を荒くして語る高代とは、全く違ったことを考えていた。高代よりは期待する返答がもらえそうな気がして、木井に尋ねる。
「なあこれ、変だと思わないか? あんなに散らかった家の中で、この手紙たちはまとまって置かれていたって」
木井は疑問にピンと来ていないようで眉一つ動かさない。青木は説明を加える。
「あんなゴミ屋敷の主だぞ。家全部がゴミ箱みたいなやつだ。なのに手紙は一か所にまとめてある。それも、何年かに渡ってかもしれない。これって矛盾してないか」
「不思議かな。それだけ、ファンからもらったものが大切だったということじゃない?」
真顔で言われるとそれが答えのように聞こえる。青木は懸命に頭を働かせた。うまく言葉にできなかった違和感が、どうにか形になりそうな気がしていた。
「あのゴミ屋敷は、何年もゴミを溜めた結果の家だろ? 何年か分のファンレターがなんでまとまって落ちてるんだ。箱にでも入っていたならまだ分かるが、これらはそのまま床に落ちてたんだよな?」
「そうそう。ゴミの山の上に落ちてた。というか、ばら撒き放題って感じだった。箱とか袋とかも無かったよ」
高代はわざとらしいほど力強く首を縦に振っている。
「そうするとこれは、何年もかけてできたゴミ山の上に、さらにそこに何年か分の手紙を積み上げたってことになるんじゃないか? だがそうする理由はなんだ? ゴミ捨てもできないやつが、なんのためにそんなことをした?」
木井はブレることなく疑問も興味もなさそうだった。代わりに、高代が口を開く。
「一回どっかにまとめてたファンレターを、いつでも見れるようにゴミの上に積んだんじゃない?」
「そうだとしたら、ファンレターを入れていた入れ物はどこにいった? いつでも見たいなら箱のまま出せば良かった話しじゃないか? それに」
言葉にすればするほど、違和感が増していく気がする。
「それにあの家、新しいゴミと古いゴミが混ざっている時がある」
片づけの光景を思い浮かべる。一番下層が古く固まっているのは間違いないが、比較的浅い層では、新しめのゴミに混ざって劣化の激しいものや一段と古びたゴミが点在していることがあった。思い返せば、十年前の馬券と六年前のカタカナが印字されたカードはすぐ側にあり、その間に四年分のゴミの隔たりがあったようには思えない。
「だからって、どちらにしても片づけるわけだから気にすることはないと思う」
木井の言葉を最後に、ゴミハウスへと戻ることとなった。青木もこれ以上主張できる材料はなく、同意する他なかった。
午後の作業は午前と比べると味気なく進んだ。というより、これが本来の清掃作業というものだろう。ひたすら捨てては運ぶ。当然ながら、レンタル彼女とかいうあの女が尋ねてくることもなかった。
異変は夕方に差し掛かった頃、今日の作業の終わりがよぎり始めたときに起きた。何やら廊下で高代が騒いでいる。青木と木井が担当していた小部屋は、大半の床が見えるところまできていた。高く積まれたゴミも、取り除いていけば小学生が使うような勉強机が姿を現し、机によって見た目が嵩んでいたことが分かった。
騒ぐ高代の手には、両手で持てる大きさの簡易的な金庫らしき物があった。
「ついに宝箱を見つけたぞ!」
高代らしい表現とはしゃぎぷりだったが、青木と木井は口を揃えた。
「ろくなもんが入ってるわけがない」
「夢がないなー、中身の宝物を独り占めしちゃうよ?」
と言いながら顔の横で金庫を振り、高代はなぜか笑った。
「はは、軽いしカサカサ音がするだけであります隊長」
諦めなのか気まずさなのか、笑いながら何度も振って音を立てた。改めて確認するまでも無さそうな、紙が箱の中で動くだけの音がする。仮に紙幣だとしても、十枚も入っていないだろう。
「それで、開くのかそいつは」
手短に会話を進めたい気持ちだけで、青木は尋ねた。
「それが鍵が見つからなくて」
「じゃあ今気にしても仕方ないね」
耐えかねたように息をついた木井の一言で、場は再び清掃へと戻っていった。今日も、作業スタイルとしては一貫していた。日が暮れるまで働き、なんとなく三人が限界を感じたところで止める。動き続ければ素人なりになんとかなるもので、ひとまず玄関先数メートルの廊下と、入って左側の小部屋は床が見えるようになっていた。どう頑張っても床の黒ずみや埃が目立つのが落ち度みたいで不本意ではあるが。作業中、時々木井と目を合わせては、細かい汚れの深追いは止めようと確認し合ってゴミの搬出だけを進めていった。
二日目の最後、青木は神棚を保管ボックスへと入れることになった。小部屋を掃除している最中に出てきたのだが、どう扱っていいものか分からず脇に置いていたのだ。擦り切れて中身が見えそうになっているお守りとともに、恐らく壁にかけていた神棚。お守りには、笑がどうのという文字が見えた。神事に関心のない青木であってもさすがに後ろめたく、罰が当たりませんようにと拝んでから保管ボックスへと押しやった。神棚の扱いが悪かったためなのか単に実力不足のためか、今のところ住人にご加護があったようには思えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます