1日目 四

 茶髪は高代純たかしろ じゅん、坊主は木井直きい なおと名乗った。エナジードリンク片手に、あぐらをかいて二人と向き合う。缶が空になると間がもたない気がして、青木はちびちび炭酸を舐めながら口を開いた。

「あんたら、行かなくてよかったのか」

 二人は目を合わせ、どちらが答えるか様子を窺ったようだ。目を逸らした木井を見て、高代が茶髪を揺らしながら肩をすくめた。

「行かなきゃいけなかったよね。完全にタイミングを逃しちゃった。というか、本気で帰ると思わなかったんだよねー」

 片膝をつき、エナジードリンクを思いきり呷る。それが一番うまい飲み方だからそうする、とでも言いたげな飲みっぷりだ。

「あんたも?」

 青木は木井にも問いかけた。動きも表情も大きい高代とは対照的。終始硬い表情で、道端の小石にでもなりすますように俯いている。二号車の中にいたときも今も、視線をまっすぐにしたまま感情を感じさせない。

「ああ」

 ようやく出たその声は初めて聞くもので、木井が今日一言も発していなかったことを示していた。かける言葉に困り、ただ沈黙を避けるために青木は尋ねる。

「あんたら、来てもらってこんなこと言うのも悪いんだけど。今日どういうつもりで来たんだ? ミッチの知り合いか?」

 まあね、とため息交じりの声。予想に反して、高代ではなく木井が先に答えた。エナジードリンクに口をつけ、重く息を吐いてから続けた。

「頼まれたから来たんだ。道永からグループメッセージで、手伝える人は来てほしいと。残念なことに仕事が休み中だったから手伝えた。だから来た。それだけだよ」

 どこかで聞いた気もする道永という名が、ミッチの苗字だと気づくのに時間がかかった。

「グループ? あんたもピースフルワールドつながりか?」

 恐らく、今日いた連中はあの怪しいマルチまがいの付き合いが続いている同士だろう。青木の想像でしかないが、真っ当な友人関係だけの仲間には思えなかった。

「無いね、それは無い。グループは大学の同級生のものだよ」

 ピースフルワールドに所属する当事者以外のほとんどがそうであるように、木井は勘弁してくれと言いたげにつながりを否定した。

 マルチ絡みでもなければ、ミッチと親しいようにも見えない男が、手伝ってくれと言われただけで来るだろうか。尋ねようとしたところに、高代の間の抜けた声が割って入った。

「俺はさあ、当日参加だよ。駅で大学の頃見た顔が何人かいると思って声かけたらさあ。ゴミ屋敷を掃除するって言うじゃないか。今年一番面白そうな話だったんで付いて来たんだけど、このザマだ」

 自虐的な言い草に反して、酒でも入っているみたいにエナジー缶を掲げ高らかに笑った。

「正気かよ」

 まともに話す気を失くしかけながらも、青木は一つ合点がいった。六人と聞いていたメンバ―が一人増えたのは、飛び入り参加がいたからというわけだ。ゴミ屋敷を面白がって集まった連中も大概だが、偶然居合わせたままに付いてきたこいつはもっと理解できない。

「それで、どうするの? 片づけないの?」

 木井にまっすぐのままの視線を向けられると、色白の顔の中の黒目がよりはっきり力をもって見える。ごまかしや逃げを許さない、麻薬犬を連れた税関に見られているような目。

「やるよ。もともとは一人でもやるつもりだったしな」

「ならよかったな。一人だったのが三人になった。三倍早く終わるってことは、金が三倍もらえるかもしれない」

 高代がずれた解釈をし、返事も聞かず立ち上がる。続けて木井も立ち上がり、ゴミハウスに足を進めようとする。

「待てよ、あんたもか?」

 木井に呼びかけた。高代以上に、木井にはなおのこと手伝う理由があるとは思えない。

「そのつもりで来たしね。青木くんだっけ、当事者がやめないなら僕もやめる理由は無いかな」

「いいね、意外とノリいいねキーくん」

 高代が親し気に呼ぶので、知った間柄なのかと思ったが木井の反応は冷めたものだ。

「キーくん、ってなに」

「俺のことだって好きに呼んでくれていいぞー。昔はジュンジュンとか呼ばれてたなー」

「呼ばないだろうね」

 木井は無視に近いあしらい方でゴミハウスの引き戸に手をかけ、力任せに全開にした。急に動き出すので青木まであしらわれた気になる。

「これは……すごい」

「俺んちよりも汚部屋な家がこの世に存在したとはね。俺もまだまだだ」

 高代のよく分からない感嘆にも惑わされず、木井が先頭でゴミをかき分けようとしている。ひとまず見える範囲ではペットボトルやコンビニ弁当のトレーらしきもの、ティッシュの空き箱やらの生活ゴミが重なっているようだった。あまり重たくはなさそうだが、手で山をかき分けてもまた新たな雪崩が起き、簡単に道は開けない。

「中に進む気か?」

「まずは全体を把握した方がいいと思うんだ」

 何を原動力にしているのか、立ちすくむ青木をよそに木井が掘り進む。次第に膝ぐらいの高さまでゴミが下がり、木井の手が止まった。

「どうした?」

 青木の声に振り返った額には、早くも汗が滲んでいた。恐らくだが、玄関口に立つ青木の位置からでもこもったような湿気を感じるので、進むほどそれが絡みつくのだろう。

「ダメだ、ここから下が固い」

 木井が膝元のゴミを蹴ると、土嚢を蹴ったような鈍い音がした。上に積まれたゴミと違い、重みで圧縮され茶色い地層になった部分の密度はかなりのものらしい。

「あ、これ」

 地層の部分に何かを見つけ、高代が手を突っ込んだ。限界まで日焼けするとそうなるのか、あるいはカビなのか何かの液体が染み込んだのか、そのほとんどが黒く変色している。

「デイトリッパーマンの三巻だ」

 よく素手で触れるなと感心していたら、高代は鼻に近づけ臭いをかぎ、顔をしかめ、咳き込み、終いに涙目で本を払った。

「手袋ちょうだい」

 呆れた青木が軍手を差し出す。高代は軍手の端で何度も指先を拭いてから両手に着けた。

「片づけながら進むしかないかもしれない」

 木井の意見に青木も同意した。二人も軍手を着け、ゴミとの臨戦態勢に入る。

「じゃあ、ひとまず片っ端からゴミをこの袋の中に集めよう。それを順に一か所にまとめていく」

 用意しておいた七十リットルサイズのゴミ袋を広げた。いろいろあったがようやく作業に入れる、と青木がゴミに掴みかかったとき。

「ちょっと待って」

 木井が目を見開いて制した。

「分別は? ここのルールに沿わないと」

「いや、それは気にしている場合じゃないというか。無理だろ、分別しながらこの量を片づけるの」

 祈る思いで青木は答える。分別についての指摘はもっともだが、自分の家の家庭ごみとは別世界の話だ。そこは目をつぶってもらわないと、一生かかっても終わる気がしない。だが青木の祈りをものともせず、木井は難しい顔をしたまま口を引き結んでいた。

「な、お前もそう思うだろ」

 分別に無縁そうな高代に助けを求めたが、奴は「俺は地球に優しいキーくんに賛成」と期待外れの返事をしてくれた。


 地域の分別方法を調べるのは青木の役目となった。玄関の外に座り込み、スマホで検索してみるが内容がまるで頭に入ってこない。あのゴミどもを分別しながら捨てるのかと思うと眩暈がした。いっそ、自分一人で分別を無視して片づけた方が早い気さえしている。

 木井は元気なことに家の反対側を見てくると言って裏庭に周り、高代は酔狂なことにゴミの山に寝ころんで見つけた漫画本を読んでいる。どうにかおよその分別方法を把握したところで、木井も裏庭から戻ってきた。

「どう? 分別の仕方は分かった?」

「なんとか。大体は燃えるゴミ扱いでいいらしい」

 自治体ルールでは燃えないゴミという分類は存在しなかった。要は大型、有害、資源以外のゴミを燃えるゴミとできるのだから、まだ神には見捨てられていないのかもしれない。

「それじゃあ行こうか」

 木井は青木が立ち上がるのも待たず、分かりきったことのように道路の方に進んだ。

「待てよ、どこに行くつもりだ?」

「ゴミ袋を買わないと。その様子だと分別用のゴミ袋買ってないだろうから。来る途中にスーパーがあったから、そこでゴミ袋と、一緒に昼食を買っておこう」

「あいつは?」

 青木は玄関を指した。漫画に夢中の高代が、今も玄関で寝ころんでいるはずだ。

「彼が食べる分も買っていけばいいよ。連れて行ったら余計な時間がかかりそうだ」

 木井が言うとおり、数分ほど歩いて出たところにスーパーがあった。青木が自分の昼食を選んで合流した頃には、木井の買い物かごはおにぎりやらの食べ物とと、その下に詰められるだけ詰めたゴミ袋とでいっぱいになっていた。青木はシャンパーニュからもらっている経費で支払いの役のみをし、木井の段取りの早さに圧倒された。

「ちょうど腹減ってたんだよ。すげーな、腹が減ったときに飯が届くって。スーパーイーツだよあんたら」

 高代はといえば、買い物から戻ってきた青木たちを見て悪びれもなくはしゃいだ。手にしている漫画は、どこから見つけてきたのか七巻になっている。

「まだ早い。昼食は十二時になってからだ」

 木井が睨みを効かせる。動じる様子なく、高代はゴミの山から体を起こし諸手を上げた。弾みで広告や雑誌などの紙が雪崩となり散乱していった。

「なんでだよー。そんなのいつ決まったの」

「幼稚園で昼食は十二時からって習わなかったかな」

「俺の行ってた保育所じゃ習わなかったぞ」

「小学校でも中学校でも職場でもどこでも、十二時の昼食が一般的だよ」

「仕事でも学校でも無いんだからさー。食べたいときに飯食ったって問題ないでしょ」

「休憩時間を決めておかないと、作業効率が著しく下がるんだよ。こんな調子だと一か月かかっても終わらない可能性だってある」

「一か月?」

 すっかり口論の見物客になっていたところだが、青木は思わず声が出た。

「この家の広さだと、あり得るとは思う。中まで見たわけじゃないからはっきり言えないけど。おまけにゴミ屋敷の掃除なんかやったことないから、まるで確信の無い予想だよ」

「いいじゃん一か月。俺は人生飽きてきたとこだし、ヒマつぶしにはちょうどいい」

 目に輝きすら浮かべつつある高代に、二人の視線が集まった。

「冗談じゃない。僕は貴重な夏休みに来てるんだ。さっさと片づけて休みたいんだよ。というか、きみだって仕事があるんじゃないの」 

「俺? 無いよ。無職だもん」

 一瞬だが、木井があからさまに顔をしかめるのが見えた。批判めいた言葉が続くかと思ったが、木井は何も言わなかった。咄嗟に堪えたのだとしたら大したものだと思う。

「なんでキーくんはそんなに大事な休みに手伝ってくれんの? 金目当て?」

「なあ、ちょっと待ってくれ」

 青木はたまらず割って入った。一か月かかるかもしれないという宣告は、青木を焦らせるのに十分すぎた。

「話しは後にしよう。時間がどんどん過ぎていく」

「飯食いながら話そうぜアオちゃん」

 木井が高代を買い物に連れて行かなかった理由が分かる気がした。この無職の能天気男は、空気を読むということができないらしい。青木は目を合わさず、決定事項だけ伝えた。

「飯はあとだ。十二時になったら休憩する。それまではとにかく作業を進めよう」

 大げさに落胆する声が聞こえたが、青木と木井は無視して同時に動き出した。

 手短に相談し、分担を決める。といっても、三人が手分けできるほどのスペースもない。まずは玄関からとにかくゴミを袋に詰めていくこととなった。燃えるゴミを袋に詰め、他の種類のゴミは後回しだ。レトルト食品やカップラーメンの残骸を、半ば怒りを込めてゴミ袋に叩きこむ。七十リットル入りのゴミ袋は、ものの数分で一杯になった。一旦玄関に投げ出し、また次の袋へゴミを詰める。厄介なのはところどころ本や何かの請求書、郵便物などが混ざっていることだ。シャンパーニュとの取り決めで私物は取っておくようになっているため、書類などは一応目を通した。もっとも、手紙も書類もダイレクトメールばかりで残す必要があると思えるものは見当たらないが。

「うわ、蜘蛛がいる」

 高代が間抜けな声を出した。木井は顔すら上げようとせず、青木がどかしたペットボトルを資源ゴミの袋へ回収する作業に没頭していた。やむなく、代わりに反応しておく。

「蜘蛛ぐらいいるだろ、いない方がおかしい」

 面倒なことに、後ずさりした高代は踵をゴミにひっかけ尻もちをついた。尻を受け止めるはずの地面は崩れ、高代は三十センチほどゴミの斜面を滑り降りた。

「なにしてるの」

 ようやく木井も高代が指す方を見上げ、青木ともども凍り付いた。玄関からまっすぐ奥へと続く廊下の天井に、無数の蜘蛛が張り付いていた。数匹の塊を見つけて気が付いたが、点々と散らばる黒い汚れに見えるものの、そのいちいちが蜘蛛だった。

「巣を張らないタイプかな」

 見上げる顔は険しいものの、木井の感想は冷静なものだ。青木もそれぐらいの反応が望ましいと頭では分かっていながら、口からは違う思いが出た。

「ふざけんなよ、クソが」

「まあまあアオちゃん。バルサンでも焚けばいいんじゃないの」

 自分が最初に騒ぎ出したくせに、高代が呑気な声で言う。立ち上がるとTシャツの裾から、埃の大玉と使用済みらしい絆創膏のゴミが剥がれ落ちた。

「こんな換気もできない所じゃ、バルサンなんか使ったら何日も作業できなくなるぞ」

 青木が吐き捨て、さすがの高代もすぐに事態を飲み込んだようだ。

「そりゃあヤバイねー」

「こういう予想外のことがありえるから。何日かかるかはやっぱり分からないね」

「一週間だ。なんとか一週間で終わらせよう」

 もはや願う気持ちもこめ、青木はそう口にした。二十万円の報酬に一か月かけていたのでは、全く割に合わないことになる。加えて、青木には懸念がもう一つあった。

「あんたら、この仕事手伝ったらいくらもらえるのかミッチから聞いてるか?」

 木井と高代は顔を見合い、互いに首を振った。青木の予想通りの反応だった。ミッチとは酒をおごることで合意していたが、あっさりこの場に置き去りにした二人を、ミッチが打ち上げの席に招くつもりがあったとは思えない。

「よくそれで手伝いに参加したな」

 ゴミハウスのゴミと一緒に投棄されるために来たような扱い。それは恐らく自分も同じで、気づかないようにしていた惨めさが押し寄せてきた。

「頼まれたから来たんだけど、そんなに変かな」

 木井が静かに口を開いた。話しながらも、手は再びゴミへと伸びていた。木井がペットボトルを袋に入れるたび、ガラガラと盛大に音が鳴る。高代は空のままの手を広げた。

「ヒマ人の俺はともかく、仕事があるのに来るってのは変だね。変わってるよ。金か弱みか、あとはなんだ、思いつかないや。あいつらとキーくんがどういう知り合いなのかさー、イマイチ分かんないんだよね。正直あんまり仲良くはないでしょ。何つながり?」

 木井が手を止める。鳴り続けていたペットボトルの音が止み、急な無音に意識が向く。

「ノートつながり」

「ノート?」

「そう。グループメッセージのメンバ―は、僕がノートを貸すためだけの集まり。借りたい人が一人出たら、僕が了解する。すると便乗して、他の人も借りたいと言うからそっちにも貸し出す。そのためのグループで、始めたのが道永だった」 

「なにそれイジメ?」

 不穏なものを感じて青木が息を呑む一方、高代は変わらない顔で疑問を口にする。高代の態度にもだが、木井の淡々とした話しぶりにも驚いた。

「イジメではないな。何かを強制されたことは無いから。過去も、今回も」

「じゃあなんでこんな面倒なことに参加してるんだ? 大学の頃はまだしも、卒業したら関わらなければいい」

 木井の態度が変わらないために、青木も率直に聞けてしまう。触れていい話題なのかどうか、一般的な判断を心がけようにもよく分からなくなってくる。

「なんでって言われても。さっきも言った通り。手伝ってほしいって言われて、残念ながら休みだったんだ。断る理由が無いんだよね。ノートもそう。貸したところで、僕に害は無いから貸すだけ」

「なるほど、太っ腹なんだキーくんは!」

 高代が渾身のアイディアを閃いたように手を打った。青木はまるで付いていけなかった。太っ腹という表現で合っているのだろうかこれは。

「ところでキーくん、お金貸してくれない?」

 青木が咎める間もなく、木井は答えた。

「悪いけど金は断ってる。大学のころ十万円ほど貸して今も返ってきてないからね」

「そりゃ貸してるとは言えないねー。あげちゃったんだよ」

 青木が言えないと思って飲み込んだことを、高代が全部言ってしまう。木井からの返答もなく、青木は気まずさに耐えられずに声を張った。

「ああもう、作業を続けるぞ。目標は一週間、無事片づけられたら一人六万ずつ払う」

「さすが、社長も太っ腹! 我が社は安泰だ!」

 高代が短く歓声を上げ、木井は興味があるのか無いのかも分からない顔で了解、とだけ返した。六万円という金額は苦し紛れの思いつきにすぎない。二十万円を三人で割り、六万円と余り二万円。シャンパーニュと無益なやりとりをする役の手間賃として青木は多めにもらっても許されるだろうという算段だ。 

 青木自身でも根拠に欠けると思う値段設定だが、二人はそれ以上触れることもなく片づけへと取り掛かっている。本気で報酬に関しては深く考えていなかったらしい。助かったような、それで世の中渡っていけるのかと問いたくなるような、なんとも微妙な気分だ。

 青木は燃えるゴミと判断したものをゴミ袋に放り込んでいくことにした。途中、一つ一つ点検するのが馬鹿らしくなり、腕を熊手の要領にして袋へ掻きこんでいたら木井に止められた。昼食をとった後には、高代が資源ゴミの袋に燃えるゴミを突っ込み木井に怒られやり直しになった。またある時は、青木が燃えるゴミとした豆腐のパックが資源ゴミだと木井に指摘され、不貞腐れた顔のままやり直すことになった。

 ゴミ袋を満タンにしては定期的にやり直し。効率の悪さを実感しながらも、一週間で終わらせるには進むしかない。途中で輪ゴムでくくった馬券が出てきて腹が立った。ゴミもろくに処理できないクセにギャンブルなんかしやがって。中身を見たら、一レースで万単位のバカげた賭け方をしていた。その金で家政婦でも雇えと言いたい。レースの日付は十年ほど前だ。ゴミ袋に突っ込む手も乱雑になりかけ、できるだけ心を無にして続けた。

 作業に取り掛かれば、木井が分別に目を光らせ誤りを指摘する以外は黙々と進んだ。高代は時々ゴミの上に鎮座し、汚れた雑誌のページに目ぼしいものがないかめくっていたが、青木も木井も何も言わなかった。数分し、高代が作業に戻る光景に見慣れてきたからだ。

 作業中、誰かが胃の奥からこみ上げてくるような咳をし、次には自分が同じような目にあって納得する。この家の空気中に、目には見えなくとも何かが舞っているのだろう。何か、が具体的に何なのかは考えたくもない。ただ紙ゴミの隙間から形も捉えられない小さな虫が四散したり、原因不明の痒みが腕や背中を巡るたびに地団駄を踏みたくなった。

 ゴミはやはり下の層ほど固く圧縮されており、潰れたビニール袋を一つ見つければその中でさらに潰れているペットボトルや使い捨てひげ剃りを回収し、分別しなければならない。束となったティッシュが一緒に捨ててあり、その中からも別のゴミが出てきたりする。下層ゴミは上に乗っているゴミと比べて何倍も時間がかかった。なんの気まぐれか、時々ここの元住民はビニール袋にゴミをまとめているらしく、それがまた作業行程を増やす。

 終了を提案したのは、三人の中の誰でもなかった。陽が落ちてくる中で、劣悪な環境下での作業に限界がきていた。ふと手を止め、三人が同時に目を合わせ、それぞれ持っていたゴミをその場に放り捨てる。青木は自分たちのその所作が、投降を決め武器を捨てた兵士のようで一瞬だけドラマチックな瞬間に思えた。

 現実には劇的な進展はなく、一日でできたのは玄関先の廊下三メートルの床を見ることまでだ。ここまできてようやく、廊下の左右にそれぞれ一部屋ずつ確認できた。ゴミは部屋か廊下など関係なく、ひたすら地続きに埋まっている。左右の部屋を覗き込もうと前かがみになった途端、バランスを失ってゴミ山に膝から突っ込むことになった。

 初日だけでこの労力のかかりようだ。夏の暑さから解放されつつある時期で心底よかったと思う。青木はそれ以上考えることをやめ、改めて今日の作業終了を宣言した。

 最寄り駅までは三人でタクシーを使った。カビや腐った木のような臭いが、運転手にバレないよう祈るしかない。沈黙の二号車に揺られてやってきたのが遠い昔に思える。

「明日からは僕が車を出そう」

 木井が事も無げに言った。明日以降も手伝おうとしているその感性が、青木には理解できなかった。依頼を受けた青木自身が、全て投げ出してしまいたくなっていたからだ。

「助かる」

 疲れに負けてそれだけ答えた。

「明日は何時から?」

 高代も、なんの疑問も口にせずに明日参加する気でいる。やめるなら早い方がいいと踏んでいたが、二人にその考えは無いらしい。頼もしさよりも、逃げられなくなった負債の方が大きい気がしてため息が出た。

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