1日目 三
ゴミハウスとやらは、幸い青木の家から数駅乗り継いだ駅が最寄だった。
青木は車を持っていない。以前持ってはいたのだが、車があることで終電を無視した勤務が前提になることに気づいたため売り払ってやった。
着いた駅は最低限の売店がある小さな所だったが、一本で都内へ向かえる路線だけあって人の出入りは絶えない。この数キロ圏内にゴミ屋敷があるとは想像しにくかった。青木が道路に半身を乗り出して辺りを探していると、速度を落として近づいてくる二台の車を見つけた。青木が用意した対ゴミハウス用の切り札だ。
「久しぶり。なんか面白そうなことに首突っ込んでるみたいじゃん」
先頭の車の運転席から顔を出したのは、今回のゴミハウス討伐においての救いの神だ。
「悪い、ミッチ。来てくれて助かった。しっかり礼はするから」
「マジ頼むよー。終わったらガッツリ飲もうぜ。俺らはそれが楽しみで来てるんだ」
大学を卒業して以来に会ったミッチは、当時とは違い一般人としてうまく社会に溶け込んでいるように見えた。青木が知っているミッチといえば、レゲエアーティストみたいな爆発ヘアーで、ピースフルワールドという名からして詐欺まがいのマルチ商法に打ち込んでいた。知り合ったのも、ゼミの飲み会にいつの間にか参加していたミッチから勧誘を受けたことがきっかけだ。実のところ、ミッチの学部も本名も思い出せない。
「雰囲気変わったな。今は何をしてるんだ?」
「ははは、派手なカッコウをしていると絡まれて面倒だからな。ジャパンはどうでもいいんだぜ? 頭を派手に染めてるだけで誰も近寄っちゃ来ない。ただラスベガスがな。コンビニ強盗にそこのお前来いって指名されて、威嚇で撃たれてドレッドが一本飛んでな。見たらその犯人、ボブマーリーのタトゥー入れてたんだよ。東洋人が生意気にボブマーリーみたいな髪型してんのが気に障ったんだろうな」
「ミッチ、それいつも言うけど絶対髪型関係ないって」
ミッチが座る運転席の後ろから、手を叩いて笑う女の声がした。
「ははは、いいんだよ俺がそう決めたんだから。そんなことより早くそのゴミ屋敷とやらに行こうぜ。アオちゃんは二号車にゴー」
ミッチが立てた親指を後ろの車に向けた。今は何をしているんだ、という青木の質問は忘れ去られたらしい。ただ、納車仕立てとしか思えないテカテカの車と旅行の話と、一人だけハワイ帰りの空港みたいな色の黒さからひたすら金の匂いが立ち込めている。
指示通り後ろの車に向かおうとしたところで、助手席の男がミッチに声をかけた。
「今晩の打ち上げの店、何人でとっとく?」
「ばっちりアオちゃん入りで六人、頼んだぜ」
七人じゃないのか? 青木は疑問を口にしようとしたが振り向いた時には大げさなエンジン音とともにミッチたちの車はいなくなっていた。
青木が二号車と呼ばれた車の運転席に向けて会釈すると、運転手の男は窓を開けることなく顎で後部座席を示した。青木は後部座席に乗り込みながら、隠れて舌打ちをした。
車内には青木より先に三人の男が乗っていた。ミッチの車には四人乗っていたので計八人だが、ミッチからは青木を入れて七人が集まったと聞いている。そのうえで打ち上げの店の予約は六人という。辻褄が合わないが、疑問に思っている者は誰一人いないらしい。
誰に断ることなく車は走り出し、青木と運転手以外の二人は早々と窓の外に目をやっている。険悪とか話疲れとかそういったものじゃなく、路線バスに乗り合わせた客同士のような区切られた雰囲気。ただうっとうしいことに、バスと違って車内は狭く近い。
集まったのは全員大学時代の同級生ということだが、二号車に青木の知る顔はいない。ただ一人、助手席の赤ちゃん猿みたいな茶髪の横顔が気に留まる。ニヤケたままのような細い目に覚えがある気もしたが、それ以上情報が浮かぶほど身近な相手でもないらしい。
見知らぬ同士らしき男四人の沈黙は重たく、騒がしいのが嫌いな青木ですら誰かが話し出さないかと願いたくなるほどだ。だが一分もしないうちに期待するだけ無駄だと気づき、茶髪男がしているイヤフォンを羨みながら目を閉じた。人数の疑問についてはゴミハウスに到着してからミッチに確認、とする。青木からすれば奴だけが頼りだ。
青木はゴミハウス清掃の依頼を受けて以降、安価で手伝ってくれる助っ人を探した。片っ端から知り合いに連絡し、唯一まともな返事をくれたのがミッチだ。ミッチはゴミハウス清掃の話を面白がり、二つ返事で快諾した。変人で助かったと思ったところ、輪をかけた変人ぶりを発揮し、助っ人の確保まで申し出てきた。しばらく会わない間に変人を超え仙人にでもなったのか、見返りは金ではなく助っ人を含めた打ち上げの開催でいいとまで言ってきた。ミッチいわく、金は余っているのだそうだ。青木は興奮のあまり握った拳を突き上げ、最終的に世界を救うのは変人なのかもしれないと本気で思った。
車で数分走っただけで、窓の外は駅前の小洒落た街並みとは別物に変わっていた。新しいマンションが見当たらなくなり、家のガレージで洗濯物を干し並べているじいさんと目が合ったところで車は脇道に入った。細い路地を進み、民家が並ぶ先で二台の車は速度を落とし、シャンパーニュに指示されたように庭に停まった。
「マジでここで合ってるのか? アオちゃん」
先に車を降りたミッチが首を傾げ振り返ってくる。青木も車から降り、ミッチの反応の意味が分かった。外見からは、そこがゴミに埋もれた家だとは思えなかったのだ。正面から分かるのは、引き戸の玄関が懐かしいとか、玄関の右手が軒先になっていて庭に足が下ろせそうでいいなとか、その程度のことだ。ただ古く暗く、長らく人が手入れしていないことは想像できた。若い女が所有している物件には到底思えず、住んでいた老夫婦が亡くなって朽ちていくだけの家という説明の方が遥かに腑に落ちる。
「全然臭いとかないね」
参加していた女同士が二人で顔を合わせ、何やら笑い合った。
「ねえ、早く開けてみてよミッチ」
二人してミッチを伺うが、ミッチは青木を見た。家の鍵は青木が預かっているのだから、青木が玄関を開けるのが自然な流れだ。心のどこかで誰かが開けてくれないかと期待していたが、観念して引き戸の前に進み出る。引き戸の真ん中の鍵穴に差し込み、鍵を回す。開けたらハエや蛆や、見るに堪えないものが飛び出してくるかもしれない。一人で立ち向かおうとした自分を想像し、背後に助っ人がいることの頼もしさを実感した。
「失礼しまーす」
誰にともなく言い、引き戸の先を覗いて青木は止まった。
「どう? どんな感じよ?」
ミッチと、その後ろに立つ面々の注目を感じる。なんと答えようか迷っていた。複数の視線を浴び、期待に応える言葉を探した結果何も浮かばなかった。だから、正直に言った。
「思ったよりは、意外と」
青木は事前に、テレビで特集されたゴミ屋敷の光景を思い出し覚悟していた。頭を越すような高さに積まれたゴミ、自転車や壁に斜め向きに突き刺さったソファーや廊下に落ちている便器など、家主が拾ってきた物で溢れた家だった。それと比べると、ゴミハウスのゴミは確かに玄関までせり出してきているが腰ぐらいまでの高さであり、イメージが壮絶だった分、まだ最悪は免れたと思えた。強烈な悪臭が襲ってくるということも無い。ただ、それでも青木は一歩下がった。覚悟の範疇だったとしても、ひとまず外の空気を吸い直したくなる程には至近距離のゴミ山というのは異様さと不快感があった。
「ようし、突撃じゃっ」
急にふざけた調子でミッチが声を上げ、女二人と男二人もワイワイとお化け屋敷気分で続いた。取り残されたようにその後ろ姿を見ていたのは、青木と同じ車で来た二人だった。
玄関の外にいる青木たちをよそに、突撃していった五人のはしゃぐ声が続く。女二人が入るスペースがなかったようで、引き戸にもたれて顔だけで中を覗きこんでいた。
やばいね、やばいよ、ゴミの量やべえ。口々に似たような感想を漏らし、重なり、今度は誰もしゃべらなくなった。
「ようし、撤退じゃっ」
またミッチがふざけ、分かりやすく気を緩ませた連中が笑いながら出てきた。えぐいね、お前んちもあんなんじゃねえの、バカここまでヤバくないよ。
「じゃあアオちゃん、どうやってこいつらやっつける? ボスの指示で俺ら動くよ」
「あ、おう」
指示といっても、何か良い作戦があるとも思えなかった。とにかくゴミ袋と軍手だけはシャンパーニュからもらった前金で買い込んであるので、ひたすら全員でゴミ袋に詰めていくことになるだろう。と、青木が口を開きかけたとき。
「ねえミッチ、これ片づけるの? 冗談でしょ?」
女の一人が甘ったるい声を上げた。
「あ、私も。これ、専門の業者とか市に任せた方がいいやつだと思う」
ともう一人の女まで同意している。嫌な汗が脇腹を伝う。慌てて口を挟んだ。
「行政は動いてくれないんだよ。業者は、バカ高い金がかかるからって依頼主が諦めた」
「業者がそんなに金とるレベルなら、俺らにはカンペキに無理じゃね」
今度は二号車を運転していた男が半笑いで言った。
「ねー、無理だよねえ」
また女が身をくねらせる。軽々しく投げ出そうとする態度が、一層青木を不快にさせた。
「待て待て。お前らゴミ屋敷清掃スーパーパーティーを楽しみにしてたじゃねえかい」
ミッチの口から急に軽薄な祭典が出てきて戸惑う。こいつら大丈夫か、と聞きたいが意味なくスーパーと付くあたりはミッチのセンスそのものでしかない。
「ねー、ゴミ屋敷はお腹いっぱいだよ。あたしらはもういいじゃん、解散しよ」
「はあ?」
もう不快感を隠さずに声にした。だが苦笑いを浮かべながら、次々に踵を返していく姿に心が折れかける。ミッチは腕組みをして考えるポーズをしてから、恐らくさして考えずに手を叩いた。
「まあ確かにな。アオちゃん、変に手を出して家壊して訴えられてもよくないじゃん。金もっちゃってる分、その辺のリスクがハンパないわけよ俺」
お前にたかるほど落ちぶれていない、と言おうとしたが言葉にならなかった。もう誰も青木を見ていないことに気づいてしまった。車に乗りこみながら、この後の予定を話し合う声が耳に入る。予約の店は何時からだとか、ドライブに行って、一軒目別の店で飲んで二軒目にしようとか。ふざけんな、その二軒目は俺が参加する打ち上げだろうが。と憤る青木の心を読んだように、空いた分は誰を呼ぶか早速話し合っている。見たくもない光景を見せつけられ、立ち尽くしていたらミッチが運転席から降りて戻ってきた。
「悪いね。ピースフルワールドは楽しいことを追求し、楽しくなければしなくていい、というのがポリシーなんだ。お詫びに今度、集会に来てくれたら最強の先輩を紹介するぜ」
返事の代わりに睨みつけてやったが、怒りをこめた目に気づいてもいない様子だった。白い歯を覗かせたまま、両手で持てる限りのビニール袋を渡してきた。ガサガサ音が鳴って煩い。青木が用意した、ゴミ袋の山を詰めたものだ。最後の一袋を渡してきたところで
「俺の魂はいつだってアオちゃんと共にいるぜ」
と、いい加減な応援とともにエナジードリンクの缶三つを袋の上に乗せる。クーラーボックスで冷やしていたらしく、ゴミ袋を抱えている手が触れただけで冷たさが伝わった。
なぜ三缶なのか。その理由はすぐに分かった。あの非常識の人間失格野郎は、青木以外にも二人を車から降ろしたまま出発していた。猿みたいな茶髪と、終始影の薄かった坊主頭の男。要は沈黙の二号車に乗っていた、運転手以外の三人。投げやりに袋から手を離し、無言のまま青木は地べたに座った。茶髪も坊主も、ただ立っているだけで何も発しようとしない。青木がエナジードリンクを差し出すと、やつらもまた無言で受け取った。
「座れよ」
ようやく、ため息なのか言葉なのかも分からないものを発することができた。かかしみたいに立ったまま見下ろされるよりは、座られた方が目障りではない分マシだ。
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