一章 月下の邂逅 ⑧

「今は有能な大将がいる。隆勝でなければ、黒鳶隊は今頃なくなっていたでしょうね。隊員の全滅という形で」

「有能な補佐官がいてこそだ。俺ひとりの力ではない」

 隊を変えようとする隆勝を支えるためだけにい上がってきた海祢がいなければ、黒鳶は守れなかった。この男以上に信を置ける相棒はいないと断言できる。

「有能すぎて、敵に回すと恐ろしいがな」

「ふふ、俺たちが敵対することなんてないでしょう。むしろ共通の敵を倒したくてたまらない同志ではありませんか」

 海祢の冷たい刃物を思わせるうすら笑いに、辺りの空気も冷えた気がした。

「鵜胡柴親王の動向は、誰よりなにより注意深く見張っていますので、失脚させられそうな情報が入り次第、早馬で知らせましょう」

 わずかに海祢の声が低くなった。海祢は本心を笑顔の裏に隠すのが巧みだ。隆勝以外にはわからないほどの変化だが、鵜胡柴親王の話題が出るときはそれが顕著になる。

「……やすどころのお加減はどうだ」

 御息所──鵜胡柴親王のきさきは海祢の三つ上の実姉だ。

 中流貴族の笹野江の出である御息所は、宮中でも教養が高いことで有名であった。噂を聞きつけた先帝は、御息所を皇室に迎えれば過去に自分が端女と起こした不祥事で下がっていた卵廷内での皇族の支持を回復できるのではないかと考えたのだろう。身分は劣るものの親王に正妻にするよう言いつけたことで決まった結婚だそうだが、血族主義のあの男が中流貴族の御息所を愛すわけもない。夫から虐げられている御息所は体調を崩しており、結婚して十年が経つが懐妊の兆しもない。

「相変わらず、『殿』の北の対にこもっていますよ」

『紫羽殿』は内巣の陽央殿後方の西にある鵜胡柴親王の住居だ。その正殿の北に建てられた対の屋は北の対と呼ばれ、正妻が住むのが通例である。

「本当に、あんな男に嫁いだ姉が気の毒でなりません。ですが、皮肉なものですね。俺はそのおかげで後ろ盾を得て、黒鳶に入れたのですから」

 海祢の滅多に崩れない笑みに影が落ちている。姉を虐げる親王が許せないのは当然だ。

 当時は高官職の黒鳶隊に入るだけでも狭き門だった。中流貴族の海祢が入れたのは、姉が親王に嫁ぎ、皇族とのつながりを得たからだ。そのことで、海祢が姉に後ろめたさを感じているのは知っていた。

「ならば俺と共に黒鳶で功績を残し、たとえ皇族の後ろ盾を失ったとしても、その地位が揺らがないようにしろ。それで御息所を迎えに行け」

 海祢は一瞬、あつにとられたような顔をしたあと、小さく吹き出した。

「まったく、我らが大将殿はどうしてそう力技なんです?」

 海祢の表情は少し晴れたようだった。

 皆、半分だけ皇族の血を引いている隆勝に対し、形だけでも敬うか、はっきりと冷遇するかのどちらかだった。だが、海祢は隆勝に対しても容赦なく物を申す。歳も近く、数々の死線を共にくぐり抜けた相棒ゆえの気心の知れた関係。海祢を含め、志を共にしている黒鳶隊の結束力は誇らしいほどに高い。

「見て見て! あのお着物、黒鳶の方々よ!」

「まあ、こんな田舎までいらっしゃることがあるのねえ」

 甲高い声が聞こえてきたかと思えば、道の先に里の女たちが四、五人立っている。

 黒鳶装束と帯剣している太刀があれば、ひと目で隆勝たちが黒鳶隊の武官であるとわかる。ああしてせんぼうの目で見る者は、主に海祢の華やかさに当てられた女たちがほとんどだが、真逆の反応を向けてくる者も少なくない。

「でも、黒鳶がここへ来るってことは、妖影が里にも現われたってことなんじゃ……」

 黒鳶が赴く場所に妖影あり。たった今不安をこぼした者のように、黒鳶隊の来訪におびえる者もいる。

 海祢と視線を交わし、女たちのそばで馬を止めた。すると海祢は甘く笑み、女たちに声をかける。

「こんにちは、姫様方。俺は黒鳶中将の笹野江海祢です。ここでなにをされているのですか?」

 華やかさを全開にした海祢に、女たちは「姫様方ですって」「さんさいを取りに来たんです」と頰を染めながら、きゃあきゃあと騒いでいた。

「そうでしたか、日ももうじき沈みます。夜は妖影が活発になりますから、長居してはいけませんよ。よろしければ、里まで送りましょう。美しい姫様方が食べられてしまわないように」

 海祢が片目をつぶるだけで、再び歓声があがる。海祢の一挙手一投足に、不安をこぼしていた女でさえ目がくぎけになっていた。

 情報を聞き出すためとはいえ、どうしてこうもすらすらと口説き文句が出てくるのか。見事術中にはまった女たちは「笹野江中将と帰れるだなんて幸せ……」と、熱に浮かされたような表情をしている。妖影を狩る黒鳶隊は民から恐れられることもしばしばあるが、今回のように海祢の対人能力で何度も難を乗り越えられた。特に聞き込みが必要な調査では、必ず連れていくようにしている。

「道すがら、少しお話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」

 女たちの歩く速さに合わせ、ゆっくりと馬を進ませながら、海祢は本題に入る。

「この先にある里に、かぐや姫という娘が住んでいるとか」

 それを聞いた里の女たちは、途端に残念そうに肩を落とした。

「笹野江中将も、かぐや姫に会いにここへ?」

「俺も、ということは他にもいるのですか? かぐや姫に会いに来る者が」

 すると、別の女が「ええ」とうなずく。

「かぐや姫は輝くばかりに美しいそうで、その噂を聞きつけた貴族の方々がそれはもうひっきりなしに」

「あなた方は、かぐや姫に会ったことはないのですか?」

 女たちは「まさか!」と声を揃えて、勢いよく首を横に振った。

「かぐや姫は妖影かげを探して、夜な夜な里を彷徨さまよい歩くって聞くし……」

「絶対、妖影きに違いないもの! 目が合ったりしたら食べられてしまうかもしれないし、会うなんて恐ろしくて恐ろしくて……っ」

 女たちは「ねえ?」と顔を見合わせる。

「その話、詳しく聞かせろ」

 隆勝が間に割り込むと、ひいっと悲鳴があがった。海祢がやれやれという顔をする。

(……ただ、話しかけただけではないか。愛想のなさは生まれつきだ。今さらどうできるものでもない)

 海祢いわく、まず目つきがいかついらしい。鬼相のふうぼうに加え、大柄なたいがどうも威圧感を与えているようだ。

「隆勝……見た目は変えられないから仕方ないとして、その誰にでも下役に接するみたいな話し方をするのはいかがなものかと。簡潔すぎる言葉遣いは改めるべきです」

「善処する」

「それです、『善処する』。直っていませんよ?」

 ちっとも似ていない隆勝の真似をしつつ、苦笑した海祢は女たちに向き直る。

「申し訳ありませんが、話の続きを聞かせていただいても?」

 海祢に優しく促され、女たちはあからさまにほっとした様子を見せた。隆勝のほうをちらちらとうかがいつつも、素直に話し出す。

「里をはいかいしてたかぐや姫の目はどこかうつろで……そうそう、髪! 髪が金色に光ってたそうなんです」

「私はかぐや姫があやしの力を使えるって聞いたわ」

「光る弓のことよね。それで妖影をいて、食べてたって私は聞いたわ」

 隆勝も海祢も、妖影を倒して食べていたという言葉に衝撃を受けていた。だが、噂に尾ひれがついただけの可能性もある。みにするのは、いささか早計だ。

「だから皆、妖影憑きなんじゃないかって」

 里に着くまでの間、女たちはかぐや姫にまつわる噂の数々を語った。

 実親はかぐや姫を産んですぐに捨て、そのまま姿を消したそうだ。赤子のかぐや姫を引き取って育てたのは母方のおきな夫婦なのだが、孫の彼女が現れるまで、彼らに子がいたことすら里の者たちには寝耳に水だったようだ。翁夫婦はずっとここで暮らしているが、里の者は子供の姿を一度も見たことがないそうだ。

 それだけではない。孫である赤子の泣き声が家から聞こえたかと思えば、つきも経たないうちに大きくなったかぐや姫が現われたとか。

 里の者たちは『かぐや姫は妖影憑きが産んだ子なのではないか』『それを育てた翁たちも妖影憑きなのではないか』と疑っているようだ。しんぴようせいは定かではないが、大きな収穫にはなった。

「ありがとうございました、姫様方」

 里に着き、海祢はそれぞれの家に帰っていく女たちに手を振る。

 日は沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。里の奥、讃岐家がある竹林に入ると、生い茂っているせいか闇がいっそう深く感じられる。風が吹くたび、ざわざわと竹の葉がささやいて不気味だ。さながらゆうめいかいにでも迷い込んだかのようである。

 松明たいまつの明かりを頼りに進みながら、海祢が意味深に隆勝へ視線を流した。

「話を聞くと、ますます不思議な姫ですね。多くの男たちの心を射止めながら、妖影憑きと恐れられてもいる。誰かさんを思い出してしまいますね」

 隆勝は無言で、じとりと海祢を見返した。

「だって似ているとは思いませんか? 英雄と尊敬される一方で、鬼大将とされてもいる隆勝に」

「人の数だけ、見方も変わるものだからな」

 どれだけ情報を集めようと、己の目で確かめないことには、かぐや姫がどういう娘なのかはわからないということか。

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