一章 月下の邂逅 ⑥
兄への情と知徳に優れた帝への忠誠心。それらすべてを隆勝は帝に
だが、どんなに人徳があろうとも敵はいる。血筋が軽んじられるこの状況を親王がただ静観しているとは考え難い。
内巣の陽央殿後方には
「隆勝よ、その言葉でどれほど私が救われたかわかるか」
「救うなどとは恐れ多い。私は事実しか申しておりません」
自分への過大評価が過ぎる
「やはり私は、お前を皇太弟にしたい。万が一に私が死したあと、国と子を任せられるのはお前しかおらぬ」
「縁起でもないことをおっしゃらないでください。私が主上を死なせたりはしません」
隆勝は腰に差した刀の柄頭を強く握り締める。
「わかっている。だが立場上、もしもの時のことを考えないわけにはいかぬのだ」
苦笑いした帝が
「私に皇子が生まれたあと、私が命を落とすようなことがあれば、お前が
摂政は君主が幼少または病である等の理由で、執り行えない政を代わりにこなす官職だ。自分にそのような大役が務まるのかはわからないが、帝はその
「承知いたしました。その〝もしも〟が起こった際はこの隆勝、すべてを
「お前なら、そう言ってくれると思っていた」
帝は胸を
「隆勝、新たに作られる妖影狩り部隊は鵜胡柴が主導する。権力だけは
「わかっております。主上が私を黒鳶隊に任命したのも、その足掛かりとするため」
「そうだ。妖影を
隆勝が「はっ」と
「して、隆勝よ。いつになったら、その堅苦しい呼び方を改めるのだ? ふたりのときは
誠というのは帝の即位前の名だ。金鵄国では即位の際、建国帝の『
「……政務中ですので」
「昔は『誠兄上、誠兄上』と私の後ろをついて回っていたというのに、寂しいではないか。いつからそのような堅物になったのか。私の可愛い
光宮は
(兄上の中で、俺はいつまで経っても幼い光宮のままらしい)
「私はもう二十七ですよ、光宮はおやめください……誠兄上」
兄上と呼ぶことに若干の気恥ずかしさがある。それをごまかすように
「今度はどこへ行くのだ?」
帝の問いに、立ち上がりかけていた隆勝は座り直す。
「隠岐野の辺境です。竹林の奥深くに、
「かぐや姫のことであろう。宮中も、かの姫の噂で持ち切りだからな。求婚した者も少なくないとか。大層な
「兄上……」
茶々を入れたり、兄上と呼ばせたり、帝の振る舞いはときどき
「冗談だ、続けよ」
楽しげな帝にため息をつきつつ、こたびの
「その姫は夜な夜なうつろな目で里を徘徊しているそうで、
「黒鳶大将自らか?」
「はい。姫の育ての親の意向か、厄介なことに相応の身分がなければ文すら受け取らず、送り込んだ隊員も門前払いされています。それで私が赴くことに」
もろもろの事情から、地位と家柄が申し分ない隆勝が適任だったというだけなのだが、帝は案の定ひやかす。
「難攻不落の姫君ほど、落とし
「……兄上」
からかわないでください、と抗議を込めて呼べば、帝は肩を
「兄としては心配なのだ。もうとっくに適齢を過ぎているであろう?」
「やらねばならぬことが山積みなのです。色恋にかまけている暇があるのなら、そのぶん妖影を狩ります」
帝の手足として、もっと功績をあげねばならないというのに、愛だの恋だのと
「お前はぶれぬな。男の幸せは大義に生きるだけではないと思うが……ともかく、無事に戻ってきてくれ。お前には加護があるゆえ大丈夫だとは思うが」
加護、というのは隆勝が幼少時に『光宮』と呼ばれていた
先帝が気まぐれで抱いた
『この子は
先帝がそう言って隆勝を生かしたのには理由がある。伝承の域を出ない話ではあるが、建国帝の『天始帝』がこの地を奪わんと襲ってきた妖影の大軍との戦で、苦境に立たされていたときのことだ。
こうして霊鳥を連想させる金の鳥は、吉事や勝利の象徴として尊まれるようになった。先帝が隆勝を殺せなかったのは、金の羽と共に降ってきた光の矢が伝承を
しかし、それから数年が経ち、三つになったばかりで年端もいかない隆勝の立場は再び危うくなっていた。神の光に守られているというだけで生かされたが、その逸話も時と共に皆の記憶から薄れ始めていたのだ。
また、金の鳥は縁起がいい霊鳥ではあるが、戦や変革といった国の変化を想像させる。変化を恐れる者たちからの、凶兆なのではと忌み嫌う声も増えていた。
神光の加護を持つ光宮は妖影から自分たちを救ってくれる存在だと
神光の加護を失ったとなれば、なんの後ろ盾もない隆勝に残るのは端女の子という汚点だけ。宮中で価値を失った皇子など、いつ殺されてもおかしくはない。卑しい子とはいえ、帝位継承権を持つ可能性がないわけではない。自分を邪魔に思う者は大勢いる。そんな二度目の窮地に立たされていた隆勝を救ったのは、またも光の矢であった。
元服したての帝と山野へ紅葉狩りに行った際、乗っていた
『父上、光宮は妖影から民を守るべくして生まれたのです。黒鳶に入れてみてはどうでしょう』
神光に守られた皇子。その逸話が本物であると再び証明されたこともあり、帝はすぐに隆勝の処遇に悩んでいた先帝に掛け合った。それでも渋る先帝に帝は言ったそうだ。
『もし、継承者争いを案じているのであれば、光宮を臣下の籍に降ろせばよいのでは?』
こうして隆勝はのちに祇王の氏を賜り、黒鳶隊に入った。帝の口添えがなければ今頃、隆勝は一介の武官程度に収まっていたか、秘密裏に暗殺されていただろう。
「遠征から戻りましたら、また顔を出します」
隆勝は今度こそ立ち上がり、一礼をする。
「ああ、かぐや姫を妻にした。そんな朗報を楽しみにしている」
隆勝は苦い顔で咳払いをして、「失礼します」と昼御座の前から下がった。
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