一章 月下の邂逅 ⑥

 兄への情と知徳に優れた帝への忠誠心。それらすべてを隆勝は帝にささげている。

 だが、どんなに人徳があろうとも敵はいる。血筋が軽んじられるこの状況を親王がただ静観しているとは考え難い。

 内巣の陽央殿後方にはさいしようや女官が住まう『いろみや』があり、そこに祇王家出身のこうごうと、それに次ぐによう──第二夫人がいるが、どちらも授かったのは皇女ひめみこだ。皇太弟はみかどが男児を授かるまでの次期帝位継承者。帝に男児が生まれれば、継承権は帝の皇子に移る。つまり、その前に親王が帝を手にかける可能性も否めない。そういう人間なのだ。

「隆勝よ、その言葉でどれほど私が救われたかわかるか」

「救うなどとは恐れ多い。私は事実しか申しておりません」

 自分への過大評価が過ぎるみかどに思ったままを返せば、盛大に笑われた。

「やはり私は、お前を皇太弟にしたい。万が一に私が死したあと、国と子を任せられるのはお前しかおらぬ」

「縁起でもないことをおっしゃらないでください。私が主上を死なせたりはしません」

 隆勝は腰に差した刀の柄頭を強く握り締める。

「わかっている。だが立場上、もしもの時のことを考えないわけにはいかぬのだ」

 苦笑いした帝がの向こうで姿勢を正すのがわかり、隆勝も背筋を伸ばした。

「私に皇子が生まれたあと、私が命を落とすようなことがあれば、お前がせつしようとして皇子を支えてくれ」

 摂政は君主が幼少または病である等の理由で、執り行えない政を代わりにこなす官職だ。自分にそのような大役が務まるのかはわからないが、帝はそのおんのみならず皇子の命も狙われる立場にある。尽きない帝の気がかりをひとつでもなくせるのなら、どんなことでもやり遂げる所存だ。

「承知いたしました。その〝もしも〟が起こった際はこの隆勝、すべてをして皇子をお守りいたします」

「お前なら、そう言ってくれると思っていた」

 帝は胸をで下ろした様子で、声を明るくした。

「隆勝、新たに作られる妖影狩り部隊は鵜胡柴が主導する。権力だけはいつぱしゆえ、お前に害をなすこともあるだろう。だが、いまだ血筋にとらわれている卵廷で後ろ盾のないお前が出世するには、もはや栄誉を得る他ない。どんな障害が立ちはだかろうと、お前のすべきことはひとつだ」

「わかっております。主上が私を黒鳶隊に任命したのも、その足掛かりとするため」

「そうだ。妖影をめつし、多くの賞賛を手にするのだ。お前が皇太弟や摂政まで上り詰めるためにはそれしかない。私が目指すのはどんな生まれであろうと、能力ある者が正しく評価される世だ。お前がその象徴となれ」

 隆勝が「はっ」とこうべを垂れると、帝は御簾の向こうでうれしそうにうなずいた。

「して、隆勝よ。いつになったら、その堅苦しい呼び方を改めるのだ? ふたりのときはまこと兄上と呼んでくれと言っているだろう」

 誠というのは帝の即位前の名だ。金鵄国では即位の際、建国帝の『てん帝』から『天』という文字をもらい、代々受け継ぐ。

「……政務中ですので」

「昔は『誠兄上、誠兄上』と私の後ろをついて回っていたというのに、寂しいではないか。いつからそのような堅物になったのか。私の可愛いおととみやは、ひかるのみやはどこへ行ってしまったのだ」

 光宮はげんぷく前の隆勝の呼び名だ。十二、三になると男子は髪を結い、冠をつけ、幼名を改める。この式をもって成人とみなされ、元服名を新たにつけられるのがしきたりなのだが……。

(兄上の中で、俺はいつまで経っても幼い光宮のままらしい)

「私はもう二十七ですよ、光宮はおやめください……誠兄上」

 兄上と呼ぶことに若干の気恥ずかしさがある。それをごまかすようにせきばらいをして、「そろそろ行きます」と腰を上げた。

「今度はどこへ行くのだ?」

 帝の問いに、立ち上がりかけていた隆勝は座り直す。

「隠岐野の辺境です。竹林の奥深くに、あやしの姫と噂される娘が住んでいるらしく……」

「かぐや姫のことであろう。宮中も、かの姫の噂で持ち切りだからな。求婚した者も少なくないとか。大層なと耳にしたのだが、よもや姫見たさにわざわざ辺境の地まで足を運ぶのではあるまいな?」

「兄上……」

 茶々を入れたり、兄上と呼ばせたり、帝の振る舞いはときどきわらべのようになる。

「冗談だ、続けよ」

 楽しげな帝にため息をつきつつ、こたびのえんせいの目的を説明する。

「その姫は夜な夜なうつろな目で里を徘徊しているそうで、妖影かげきではないかと不安に思った里の者たちが隠岐野の邦司に嘆願し、黒鳶が調査に赴くことになったのです」

「黒鳶大将自らか?」

「はい。姫の育ての親の意向か、厄介なことに相応の身分がなければ文すら受け取らず、送り込んだ隊員も門前払いされています。それで私が赴くことに」

 もろもろの事情から、地位と家柄が申し分ない隆勝が適任だったというだけなのだが、帝は案の定ひやかす。

「難攻不落の姫君ほど、落としがあるというもの。かの姫ならば、仕事人間の隆勝であっても女に興味が出るのではないか?」

「……兄上」

 からかわないでください、と抗議を込めて呼べば、帝は肩をすくめた。

「兄としては心配なのだ。もうとっくに適齢を過ぎているであろう?」

「やらねばならぬことが山積みなのです。色恋にかまけている暇があるのなら、そのぶん妖影を狩ります」

 帝の手足として、もっと功績をあげねばならないというのに、愛だの恋だのとうつつを抜かしている場合ではない。

「お前はぶれぬな。男の幸せは大義に生きるだけではないと思うが……ともかく、無事に戻ってきてくれ。お前には加護があるゆえ大丈夫だとは思うが」

 加護、というのは隆勝が幼少時に『光宮』と呼ばれていた所以ゆえんからきている。

 先帝が気まぐれで抱いたはしたの子は、本来であれば皇族の恥。生まれてすぐに殺されてもおかしくはなかったのだが、いざ手にかけられようとしたときのことだ。にわかには信じがたいが、光の矢が金の羽と共に天より降り、それを阻止したそうだ。

『この子はしんこうに守られている。妖影が蔓延はびこるこの世を憂えた神が遣わしたのであろう』

 先帝がそう言って隆勝を生かしたのには理由がある。伝承の域を出ない話ではあるが、建国帝の『天始帝』がこの地を奪わんと襲ってきた妖影の大軍との戦で、苦境に立たされていたときのことだ。おうごんとびが天始帝の弓に止まり、その身から発する光で妖影たちの目をくらませた。反撃の機を作り、勝利に導いたことから、天始帝は黄金の鳶を意味する金鵄を国名にも冠し、象徴としたのだと言い伝えがあるのだ。

 こうして霊鳥を連想させる金の鳥は、吉事や勝利の象徴として尊まれるようになった。先帝が隆勝を殺せなかったのは、金の羽と共に降ってきた光の矢が伝承をほう彿ふつさせたからだ。

 しかし、それから数年が経ち、三つになったばかりで年端もいかない隆勝の立場は再び危うくなっていた。神の光に守られているというだけで生かされたが、その逸話も時と共に皆の記憶から薄れ始めていたのだ。

 また、金の鳥は縁起がいい霊鳥ではあるが、戦や変革といった国の変化を想像させる。変化を恐れる者たちからの、凶兆なのではと忌み嫌う声も増えていた。

 神光の加護を持つ光宮は妖影から自分たちを救ってくれる存在だとすがるように妄信したかと思えば、天候が荒れただけで世の中の凶兆のすべてを隆勝のせいにしてくる者もおり、人間というのはつくづく自分勝手な生き物である。

 神光の加護を失ったとなれば、なんの後ろ盾もない隆勝に残るのは端女の子という汚点だけ。宮中で価値を失った皇子など、いつ殺されてもおかしくはない。卑しい子とはいえ、帝位継承権を持つ可能性がないわけではない。自分を邪魔に思う者は大勢いる。そんな二度目の窮地に立たされていた隆勝を救ったのは、またも光の矢であった。

 元服したての帝と山野へ紅葉狩りに行った際、乗っていたぎつしやが妖影に囲まれた。護衛についた黒鳶隊の隊員たちは全滅し、隆勝をかばうように刀を構えた帝。絶体絶命の状況であった隆勝たちに一斉に襲いかかる妖影を、あの矢が天から飛んでくるやすべて滅し、事なきを得たのだ。

『父上、光宮は妖影から民を守るべくして生まれたのです。黒鳶に入れてみてはどうでしょう』

 神光に守られた皇子。その逸話が本物であると再び証明されたこともあり、帝はすぐに隆勝の処遇に悩んでいた先帝に掛け合った。それでも渋る先帝に帝は言ったそうだ。

『もし、継承者争いを案じているのであれば、光宮を臣下の籍に降ろせばよいのでは?』

 こうして隆勝はのちに祇王の氏を賜り、黒鳶隊に入った。帝の口添えがなければ今頃、隆勝は一介の武官程度に収まっていたか、秘密裏に暗殺されていただろう。

「遠征から戻りましたら、また顔を出します」

 隆勝は今度こそ立ち上がり、一礼をする。

「ああ、かぐや姫を妻にした。そんな朗報を楽しみにしている」

 きびすを返した足が滑りそうになった。わずかに体勢を崩した隆勝に、帝がくすくすと笑う。

 隆勝は苦い顔で咳払いをして、「失礼します」と昼御座の前から下がった。

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