一章 月下の邂逅 ②

「おじいさん、顔はいけませんよ。大事な商売道具なんですから」

 手が振り下ろされる前に、あきれた声がかかった。

 恐る恐るまぶたを持ち上げれば、大きなしき包みを手に媼がひとり入ってくる。名を讃岐きぬといい、ちや色のそでむぎわら色の打掛を羽織り、手には扇を持っている。翁同様に貴族のような装いだ。

「かぐや姫の世にたぐいない美しさは、私たちに幸福を運んできてくれるわ。高価な着物、調度品、金貨っていう幸福を」

 媼は鼻歌を歌いながら、かぐやの着物を脱がしていく。畳の上に落ちていくいろの打掛に、うぐいす色や白の小袖……鮮やかなはずの着物がどれもせて見えた。

 媼は風呂敷包みを開けて桐箱のふたを持ち上げる。そこから七重、八重と重ね着るあでやかな装束を取り出し、かぐやの身体にあてた。

「ここぞというときのためにあつらえた着物です。祇王家の方がいらっしゃる前に、うんとれいに着飾らないと」

 媼はあらわになったかぐやの肌を壊れ物を扱うようにでる。

 精巧なきりたけの文様が施された紅葉色の打掛、鶯色や白色、うすこうばい色に緋色……どの小袖も値が張るもの。ふたりがかぐやに手をかけるのは、決して愛情からではない。金のなる木だからだ。

 みをする日も着る物も、すべては媼が決める。かぐやが自由に決められることなど、なにひとつない。かぐやはふたりの人形だった。

「塀の外からかぐや姫をかい見た多くの殿方は、この屋敷に足を運ばずにはいられなくなり、かぐや姫の美しさを噂に聞いたきんだちからの恋文もひっきりなしに届いています。その一方で、お前を妖しの姫と恐れる者がいるのも事実」

 現実を突きつけられ、知らず知らずのうちに下を向く。すると媼の手がかぐやのあごにかかり、くっと顔を上げさせた。

「お前のような存在は、どこへ行っても受け入れられない。でも、大丈夫よ」

 にんまりとする媼と目が合い、胸がざわざわとする。

「私たちはお前が化け物であろうと、捨てたりしないわ。ここまで育てあげた私たちに恩返しさえしてくれれば、それでいいのよ」

 優しいはずの媼の言葉が次々と胸に突き刺さり、食い込んでじくじくと痛みだす。それを受け止め続ければ、心が壊れてしまう。だから、かぐやは考えない。自分の意思に蓋をして、言われるがままに動くことが自分を守る唯一の方法だ。

「かぐや姫、お前も私たちの役に立ちたい、そう望んでいるでしょう?」

「……はい」

 その答えしか、かぐやには許されない。自分が裕福な家に嫁ぐことがふたりの望みならば、それをかなえて孝行する。それ以外のことは、もう考えたくなかった。

「祇王家のたかまさ様がいらっしゃるのは五日後です。先帝の第三皇子であられ、時のみかどとはえんせき関係にある方よ。今までで、いちばんといっていいほどのお相手です」

 帝の弟である隆勝のことは、田舎育ちのかぐやでも耳にしたことがある。

 まず、この国は鵡奥むつたん苧張おわりえち、隠岐野という七つのしまぐにからなり、その七つのくにに派遣されたこくと呼ばれる役人によって統治されている。

 七つの邦の中心にきんようなる都はあり、豪華なぎつしやが行き交う大路の先にまつりごとの要である宮城がある。その中は皇族の私的な在所であるないと、政を担う『だいじようかん』や妖影討伐を担う『くろとび隊』が出仕するがいに分かれている。太政官と黒鳶隊は国の柱であり、双翼と呼ばれる。この国は内巣と外巣を合わせたらんていという機関によって統治されているのだ。

 卵廷に仕える貴族の中でも一番位が高い一族が『祇王』と『蘇芳すおう』の二大であるが、そのうちの祇王のうじを与えられ、皇族の身分を離れ臣下の籍に降りた人物が隆勝だ。

 二大公家の人間は、ほとんどが帝のきんまたは国政に携わる上級官人になっており、隆勝はこの国で最も重要かつ危険な黒鳶隊の大将を務めている。

 その功績はすさまじい。隆勝が二十歳のとき、鵡奥の邦が妖影の大群に攻め入られたことがあった。のちににつしよくたいと呼ばれるこの戦いで、隆勝は討ち死にした上官の代わりにしたやくを率い、鬼神のごとく妖影を討ち取っていったのだとか。その戦績がたたえられ、黒鳶大将に任じられたのだそうだ。

「ばあさん、隆勝様が縁談を持ちかけてきたら、いつもみたいに返事を引き延ばしたほうがいいだろうか」

「そうですねえ、簡単に成立させては金は搾り取れません。かといって万が一、縁談を逃すようなことがあってもいけないわ。二、三度申し出をお断りして、金をふんだくれるだけふんだくってからお受けしましょう」

 これがふたりのじようとう手段だ。『他の殿方はもっと高価な貢ぎ物をした』『もっとたくさんの金貨を置いていった』と求婚者たちを競わせ、より価値の高い貢ぎ物を持ってこさせる。

 おきなと媼がやっていることは正しいこととは思わないが、そもそもふたりがこうなったのは自分のせいだ。ふたりまで周囲から奇異の目で見られてしまい、竹取であった翁から竹を買う者はいなくなり、仕事を続けられなくなってしまった。かぐやのせいで讃岐家は貧しい暮らしを強いられたのだ。かぐやには翁たちを止めることも、こんなことはしたくないと意見することも許されない。

 ただ、気がかりなのは……どうして黒鳶隊の大将が、よりにもよっていわく付きの自分に会いに来るのだろう。翁たちは縁談の申し出だと考えているようだが、果たして本当にそうだろうか。あやしの姫の噂を聞きつけて、妖影きか否か確かめるためではないだろうか。妖影憑きと判断されれば、討伐されるかもしれない。そう思ったら恐ろしくて、どうにかなってしまいそうだった。

 危険なのは、もちろんかぐやだけではない。翁やおうなも妖影憑きをかくまっていたとして、罰せられるかもしれないのだ。

 今しがた肩から落とされた白小袖の胸元を手繰り寄せ、ふたりの機嫌を害すると承知の上でかぐやは口を挟む。

「あの……おじいさま、おばあさま。隆勝様にお会いして、大丈夫でしょうか……? 会いたいと言ったのは、妖しの姫の噂を知り、私が妖影憑きか見極めるためでは……」

 ふたりの動きがぴたりと止まる。刺すような視線にかれ、続けようと思っていた言葉がのどに張り付いて出てこない。

「わしらがこんな汚い手を使って金を稼がなければならんのは、誰のせいだ?」

「っ、わ……私の、私のせいです」

「そうだ! それなのにお前は、縁談を断ろうとしているのではあるまいな!」

 滅相もない、とかぐやはかぶりを振る。

「ち、違います。私はただ、おじいさまとおばあさまが心配で……っ」

「口答えをするな!」

 鼓膜が破れそうなほどの怒声を浴びせられ、かぐやの身体は硬直する。

 こうなっては、なにを言っても焼け石に水だ。口を閉じ、ひたすらうなれる。

「お前は貴族に気に入られ、その恩恵をわしらにもたらす。それが罪滅ぼしというものだろう! まったく、育ったのは身体だけで頭は幼子のままか? やはり三か……」

「──おじいさん」

 媼は強い口調で翁の言葉を遮る。なにを言いかけていたのか、翁はばつが悪そうな顔をしていた。どんな内容にせよ、かぐやへの𠮟しつせきだろう。

 余計なことを言ってしまったと後悔していると、媼は嘆息した。

「私たちに盾突くなんて、聞き分けのない。かぐや姫、背中をこちらに向けなさい」

 かぐやを見向きもせず淡々と命じる媼に、一気に血の気が引いた。

「お、おばあさま……お願いです。どうかお許しください……っ」

 その足元にすがるも、無表情であしにされる。「うっ」と帳台に倒れると、むちを手にした翁が歩いてきた。冷淡な目で見下ろされ、悟る。ああ、逃げられない……と。

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