一章 月下の邂逅 ①

 時はきん国、第三十三代みかどてんてい。退位した先帝の治世までこうしんを中心とするまつりごとが続き、の者でなければ高官に就任できなかったのに対し、天誠帝は優秀ならば中流、下流貴族も積極的に国政に関わらせ、ちようにより初めて能力のある平民を兵に雇用するなど、自由と平等を尊ぶ名君と慕われている。

 平らかになっていくきざしが見えている金鵄国ではあるが、暗雲はいまだこの地を覆ったままである。けんこくていの治世より蔓延はびこる妖影の存在だ。その実体が黒い影のような妖であることからそう呼ばれている。妖影は人間に取りけば言葉を話すことができ、その皮を借りて人間を油断させ、喰らう知恵があるのだとか。妖影に憑かれた者は妖影憑きと呼ばれ、死以外に解放されるすべはない。

 げんていの御世になる頃には妖影の数が増え、被害は深刻であった。みやこから遠く離れたこのくにの辺境の里にも、その魔の手は伸びている。

「かぐや姫、ついにあのおう家の方から文が届いたぞ。お前に会いたいとのことであった!」

 板張りのわた殿どののほうから、どたどたと足音が近づいてきたかと思えば、遠慮なくを上げられた。

 はしゃぎながらに入ってきたのはよわい六十のおきな、名を讃岐さぬきのみやつこという。

 讃岐家は庶民なのだが、翁は貴族の平常服である小豆あずきねず色のほうこんきようはかまを身に着け、礼帽をかぶり、扇を持っている。

 竹林の奥深くにあるこの屋敷は広々としたしん殿でんに加え、後付けの対の屋まであり、貴族屋敷に比べればこぢんまりとしているが、もとの家屋に比べれば十分すぎるほど立派だ。庶民ではまず住めない。

 暮らしぶりはまさに貴族のようであるが、翁の振る舞いは高貴さからはほど遠かった。

「お前ももう十六、嫁いでいてもおかしくない歳だ。お前を嫁にと思っているのだろう。縁談相手には申し分ない。なにせ相手は──」

 翁はかぐやのいるちようだいの前までやってくるや言葉を切った。としていた表情はみるみる険しくなり、かぐやは身構える。

「……なぜじようが壊れているのだ」

 翁は帳台を囲むごうの戸につけられた錠を持ち上げた。続いてかぐやの手足につけられた鎖の切れた鉄枷に目をやり、壊れた錠を持つ手をふるふると震わせる。

「また、屋敷を抜け出したのか!」

 翁は顔を真っ赤にして怒鳴りながら、錠を床にたたきつけた。

 かぐやはびくっとしながら、悲鳴をみ殺す。声を出せば、翁を余計に不快にさせるからだ。

「まさか、また妖影を……殺したのか?」

 そうだと言えば殴られる。それがわかっていながら、答える勇気はなかった。

 翁やおうなから聞いた話なのだが、かぐやには幼い頃から、誰かに身体を乗っ取られたかのように、夜な夜な屋敷の外をうろつく癖があったらしい。朝になり目が覚めると寝床で眠っており、初めは夢だと思っていたのだが、恐らく九つか十のときだ。昨夜のように外で目覚めるようになり、そのときは決まって髪が金色に染まり、あの光の弓を手にしていた。目の前には自分が討ったであろう妖影のがいもあった。

 当然、里の者たちは『妖影憑き』『あやしの姫』とかぐやを忌み嫌った。

 この鉄枷と格子付きの帳台は、かぐやの奇行を止めるためのものだったのだが、もはや無意味。自分でもどうやったのかはわからないが、細工職人に特別に作らせた鉄枷の鎖を見事に断ち切り、格子の戸の錠も壊し、かぐやはまた妖影を殺したのだから。

「お前が普通でないと知られれば、縁談はなくなるかもしれないのだぞ!」

 礼帽を床に叩きつけ、髪をき回す翁を息を殺して見守る。

 両親はかぐやを産んですぐに捨て、そのまま姿を消したそうだ。きっとこの世に生まれ落ちたその瞬間から、かぐやは化け物のへんりんを見せていたのだろう。

 代わりにかぐやを育てたのが母方の翁と媼であった。ふたりに捨てられてしまったら、他に行き場がない。無力な自分は、巣から落ちたひなどりのようにとうされ死ぬだろう。

「誰かに見られていないだろうな! また里の者から気味悪がられるではないか!」

「も、申し訳……あ、ありま……」

 とうの勢いでとうされ、まともに謝罪の言葉すら口にできず、ひれ伏すしかなかった。

「謝るということは見られたのか? そうなのだな!?」

 びくびくしながら床に額をこすりつけ、ひたすら翁の怒りが冷めるのを待つ。

(ああ……また、あそこに戻されてしまう……)

 かぐやが初めて知った言葉は、ふたりが何度も浴びせてきた『やくびようがみ』だった。初めて知った世界はほこり臭い闇。物心つく前から、かぐやはに閉じ込められていた。理由は言わずもがな、例の奇行と変わる見目のせいだ。

 時間の感覚が育つ前から納屋にいたかぐやは、自分がいくつなのか、今日が何日なのかもわからないまま歳を重ねた。

 だがある日、ふたりは成長したかぐやを見てひどくおびえたかと思えば、満面の笑みを浮かべての式をすると言い出した。十歳くらいになると、皆やることなのだと。初めは意味がわからなかったが、あとになって裳着が吉日を選んで裳を着け、髪上げをすることで成人と認められる式だということを知った。裳着を済ませると結婚が許されるのだと。

 裳着を終え、翁はかぐやの名を決めてもらうべく、屋敷に宮城のさいつかさどぞくを招いた。彼は里長でもあったので、かぐやが早く結婚をして里を出て行ってくれるのならと名付け親になったのだ。彼に『なよ竹のかぐや姫』と名付けられたかぐやは、裳着の式を済ませてからおり付きではあるものの部屋を与えられた。やがて翁たちが噂を流したのか、屋敷に恋文が届き始め、せんを問わず屋敷の竹塀からかぐやの姿を見ようと訪れる者も現われた。翁たちはいつときだけかぐやを檻の外へと出し、すのを歩かせ、外の男たちにお披露目をした。翁たちはかぐやを裕福な家に嫁がせ、いい暮らしをしようと考えていたのだ。それが功を奏し、貴族からも縁談が舞い込むようになった。

「お前が夜な夜な妖影かげを討っているなどと知れたら、縁談なんぞ来なくなる! この生活も終わるのだぞ! わしらの努力が水の泡だ! ああっ、どうしてくれるのだ!」

 過去に意識を引きずられていたかぐやは、翁の声ではっと我に返る。

 我が家は今、縁談を申し込んでくる貴族からの貢ぎ物をあてにして生活をしている。庶民である讃岐家が裕福な暮らしができるのには、そういったからくりがある。

 かぐやは疫病神から金を得るための道具になったのだ。だが、悲しくはない。それよりも、まだ必要とされているのだというあんが勝った。納屋にしまわれたまま、いつか存在すら忘れられてしまうほうがずっと怖い。

「お前を育ててきたわしらの顔に、どれだけ泥を塗れば気が済む!」

 翁は乱暴に格子の戸を開け、中に入ってくると、かぐやの腕を引っ張り、大きく手を振りかぶった。

「……っ」

 反射的に身を縮こまらせたかぐやはぐっと目をつぶり、痛みを覚悟する。

 讃岐家は妖影憑きの子を育てている。ふたりがそう後ろ指をさされて味わった苦しみを思えば、たとえどんな扱いを受けようとも耐えねば。叩かれるのも怒鳴られるのも閉じ込められるのも、すべては自分が普通でないせいなのだから。

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