第四十話 アガタ対黒騎士戦 三合目 一角獣の一撃

 主審が笛を二回吹いた。

 真っ赤な中央旗が上がった。

 馬止旗が下がる。


 どんどん気持ちが静かになっていくわ。

 風の無い湖の水面のように静かで平穏だ。


 そうか、何を焦っていたのだろう。

 勝とうとか、伯爵を懲らしめようとか、そんなのは邪念だわ。


『お、さらに邪気が減るな』

「私はなんだか勘違いをしていたみたい」


 そうね、あの時も何も考えていなかったわ。

 ただただまっすぐに槍を突き出しただけだった。


 簡単な事なんだけれど、すぐ忘れてしまうのよね。


 音が退いていく。

 視界がやけにはっきりと見える。


 全ての物に焦点が合う感じ。


 そうだったわ、何も要らないし、何も考えなくていい。

 これまで培ってきた技と体に全てを任せればいい。


 牧場の奥さんのアガタが蒸発していく。

 お母さんのアガタも蒸発していく。

 借金の心配や、ヘラルドの容体の事も蒸発する。


 全ての想いや心配が全て消えて、私は希薄になる。

 それでも確かに私は居て、ここに存在して、槍だけを持って、ユニコに跨がっている。


 中央旗が無音の中振り下ろされた。

 馬止旗が上がる。


 いこう、ユニコ。


 ユニコは走り始める。

 彼は私と混ざり合い、ただただ速度だけの存在になる。


 自分が無い。

 でも、自分は在る。


 槍を構えてトツゲキひわのようにただまっすぐに走る。


 真っ黒な固まりが近づいてくる。

 ケインの鼓動が聞こえるようだ。

 彼は勝利に飢えている。

 目の前の勝利をつかみ取りたいと渇望している。


 ああ、そうか、魔王さんがあの時優しい目をしていたのは、彼の魔族を守りたいという優しい気持ちと私が感応していたからなのね。


 私は何も考えず、ただ無造作に槍を突いた。


 ユニコが背伸びをするように伸び上がり、槍に力を足した。

 槍はただ、まっすぐに伸びていく。

 想いも技もなにも含まれていない、ただ純粋な突き。


 黒騎士はこちらに突きを放つ。

 彼の突きは拒絶の色をしている。


 大丈夫、私の突きを受け取って。

 怖く無いよ。

 十年、私を思い続けてくれてありがとう。


 ああ、これだ。

 魔王さんを倒した突き。

 一角獣の一撃だ。


 槍は彼の胴体に吸い込まれるように伸びて、胴丸に当たって砕けた。

 衝撃で胴丸が凹み、彼は鞍の上から吹き飛ばされて落馬した。


 ああ、一撃が終わるわ。

 何時までもどこまでもこの一撃を放っていたいけれど、全ての物事はどこかで終わる。

 そしてきっと、私はこの一撃の事をまた忘れてしまうだろう。


 これはそういう現象だ。



 ドカン!!


 音が帰って来た。

 まず感じたのは手の痺れだ。

 槍の衝撃が戻って来たようだ。


 静まりかえった競技場で私は柵の端までユニコを走らせた。


 振り返る。


 副審が一斉に右旗を上げた。


「勝者!! アガタ!!」


 主審が私の勝ちを宣言した。


 観客席が爆発したように湧いた。

 泣きながら掛札を破り捨てる者、喜んで飛び跳ねる者。

 王様はニコニコ笑いながら手を叩き、ゴーバン伯爵は口を開けて棒立ちになっていた。


「お母さんっ!! やったーっ!!」

「おかあしゃま~!! ゆにこ~~!!」


 コンチャとアマラが笑いながら手を叩いていた。

 勇者とセギトが手を叩いて喜んでいた。

 テュールが掛札を握りしめ両手を天に突き上げ吠えていた。


「やりましたねっ、アガタ先生っ!! 凄い突きでしたっ!!」

「ありがとう、ウォーレン」


 黒騎士はレーンの途中でぺたんと座り込んでいた。


「怪我はない? ケイン」

「あばらがいったが……、まあ、いい、素晴らしい突きだった。アガタ」

「あなたが強いから、あの技じゃ無いと倒せなかったわ」

「魔王を倒した一撃だな」

「ええ、一角獣の一撃だわ」

「凄い技だった、完璧な神技だ。ありがとうアガタ、君はやはり俺の憧れだ」


 ケインは面頬を上げて笑った。

 邪気の無い良い笑顔だった。


 私は空を見上げた。

 トツゲキひわはもう居なくなっていた。

 あれは、ユーリーだったのかもしれないわね。


 ユーリー、私はあなたのお父さんを破滅させたわ。

 

 でも、なんとなく、ユーリーは怒らないような気がした。

 うん。


 これで、私のトーナメント馬上槍仕合も終わりね。

 思ったよりも楽しかったし、色々な事を思いだしたわ。


「ありがとう、ユニコ、あなたのお陰だわ」

『ああ、もう死にそうだ、休ませてくれ』

「あら、たいへん」


 私はゆっくりとユニコを引いて待機所に向かって歩いた。


 待機所に入ると、馬丁と騎士達が、口々におめでとうと言いながら、拍手をしてくれた。

 初めて来た頃のよそ者扱いからずいぶん態度が軟化したわね。

 普通に嬉しい。


「やったなあっ! 黒騎士を破るとはすげえっ!! 次のトーナメント馬上槍仕合は出るのかっ」

「出ないわよ、デイモン」

「いやあ、それは残念だなっ、やり合いてえのにっ」

「これからは普通の牧場の奥さんにもどるんだなあ、もったいないなあ」

「ありがとうピーコック」

「あ、そうか、アガタの牧場に行けば練習試合は出来るな、やろうぜっ」

「ええ、良いわよ」

「お、俺も俺も」


 トーナメント騎士たちとも仲良くなれたわね。


 私は馬房にユニコを入れた。

 彼はしんどそうに寝わらに寝転んだ。


「おお、勝ったか、何よりだ」

「ありがとう、ガッチン、あなたのお陰よ」

「馬鹿をいうない、全部アガタの頑張りの結果だ。俺は何にもしてねえよ」


 ガッチンは少し照れたように言った。

 賭け屋の若い衆が木箱をぞくぞくと運んで来た。


「うひょひょ、大もうけじゃわいっ」


 だだだとテュールが駆け込んで来た。


「勝ったなーっ!!」

「勝ったわ」


 コンチャとアマラを抱いて勇者とセギトが入って来た。


「凄い突きだったね、アガタ。久しぶりにあの頃の事を思いだしたよ」

「良くやったわね、おめでとうアガタ」

「勇者もセギトもありがとう、本当に嬉しいわ」


 コンチャとアマラが駆けよって来て、私に抱きついた。

 私はしゃがんで二人を抱きしめた。


「おかあさん、おめでとう」

「おかーしゃま、さみしかったー」

「ありがとうコンチャ、ごめんねアマラ」


 勇者がうんうんとうなずいた。


「これで大団円だね、めでたしめでたしだ」


 神殿の若い尼僧が入って来た。


「アガタ夫人……、おめでたい時に申し訳無いのですが……。ヘラルドさんの容態が……、その、悪化しています……」

「ヘラルドが!」

「今夜が峠との事です……。神殿においでください……」

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