答えはすぐそこに
ボックス席に案内されたシトラスと男性は、注文した飲み物を待っていた。全体的にシックで洗練された店内の雰囲気は、シトラスが普段友達と出かけるようなファミレスやファストフード店とは違った趣きがあり、なんだか少し緊張してしまう。
(ど、どうしよう……こういう時って何の話をしたらいいのかな……)
今まで男の人と二人でカフェに入ったことが無いシトラスにとって、この状況はかなり難易度が高かった。道中も男性は積極的にシトラスに話しかけてくれたが、シトラスはそれに答えるので精一杯で、正直会話の内容もあまり覚えていない。
しかしここに来るまでの道中で、はっきりとわかったことが二つある。
ひとつは、この男性の名前が「エリック」であること。
そしてもうひとつは、エリックが最近このラコルト市に引っ越してきたばかりだということだ。まだ街のことをよく知らないらしく、空いた時間を見つけては散歩をして建物の位置や道を覚えようとしているらしい。このカフェも、その散歩の最中にたまたま見つけたそうだ。
(ってことは、この前ブローチを拾ってくれた時も散歩している最中だったんだ……)
ポメポメは気をつけた方がいい、なんて警戒していたけれど、案外普通の人なのかもしれないな─
そう思いながら顔を上げると、ちょうど店員が二人の目の前に飲み物を置いたところだった。
エリックの前には淹れたてのブラックコーヒーを注がれたシンプルな白いカップが、シトラスの前には輪切りのオレンジがトッピングされたオレンジジュースのグラスが置かれる。
エリックは店員に会釈すると早速一口飲んでからふぅっと息を吐き出す仕草をした。その様子を横目で見ながらシトラスもストローを口に含む。爽やかな酸味が広がり、口の中をさっぱりとした心地よさが占めていく。緊張していたせいか、自分で思っていたよりも喉が渇いていたようだ。
「すみません、急にこんなお誘いをしてしまって……」
エリックから話しかけられ、シトラスは慌てて顔を上げる。
「えっ、あっ、いえいえ!大丈夫です!!むしろ私こそすみません、飲み物までご馳走になってしまって……」
ぺこりと頭を下げると目の前の青年はくすりと笑う。その表情を見て胸が高鳴ると同時に恥ずかしくなり思わず視線を逸らしてしまった。
「いいえ、私に付き合っていただいているのでジュースはそのお礼です。遠慮せずにどうぞ」
「で、ではありがたく……」
おずおずと手を伸ばしてグラスを手に取り、再びストローに口をつける。その様子を見ていたエリックは再び微笑むと自身もコーヒーを飲み始めた。
─そんな二人を、少し離れた席から見つめる影が二つ。
もちろん、キルシェと─人間の女の子の姿に変身したポメポメだ。
先ほどショッピングモールで購入したばかりのサングラスとニット帽で変装(?)した二人は、席に置かれていたメニューで顔を隠しながら、シトラスとエリックの方を見つめる。
「ふぅ〜……色々あったけど何とかお店に入れて良かったぁ。どれどれ、二人はどんな感じかなぁ……?」
他の客に迷惑がかからないように、だけど確実にシトラス達の様子を確認しようとロックオンする二人。
「あ、あの……」
そんな怪しさを隠しきれていないキルシェとポメポメは、突然背後から声をかけられてギクッと飛び上がりそうになる。振り返るとそこにいたのは─先ほど猫化していたポメポメを見てやんわりと注意をしてきた若い女性店員だった。
(えっ!?ヤバっ、あたしまた何かやらかしちゃった?!)
(も、もしかして帽子の中に猫耳を隠してるのがバレたポメ?!)
冷や汗を流しながら固まる二人に構わず女性は言葉を続ける。
「ご注文はお決まりですか?」
「……え?」
予想外の言葉を投げかけられたことで一瞬固まってしまったものの、すぐに気を取り直して笑顔を浮かべるとキルシェは慌てて口を開く。
「あ、えっとぉーあたしはこのシェフの気まぐれ特盛イチゴパフェにしますっ!ポメポメは?」
「ポメッ……メロンクリームソーダにするポメ!」
「かしこまりました」
店員が特に気にする様子もなく頷いてバックヤードへと戻っていったので、二人はひとまずホッと胸を撫で下ろす。
「……キルシェ、さっきクレープ食べたばかりなのにまた食べるポメ?」
「まぁまぁいーじゃん!クレープは薄いから実質ゼロカロリーだし!」
絶対違うポメ……そう思いながらも、ポメポメはそれ以上ツッコむことはせずに店内の中央付近にあるボックス席に座るシトラス達の方に視線を戻すのだった。
さて、そんな彼女たちの様子に全く気付いていないシトラスは─
「あの、エリックさんって最近ラコルトに来たばかりなんですよね?その……お仕事とかって」
思い切って気になっていた事を質問したところだった。
(ふ、踏み込み過ぎかなぁ……でも、何をやっている人なのかわかったらポメポメも安心するかもしれないし……)
それに、今後ももし会うことになるのなら、知っておいた方が役に立つかもしれない。
正直なところ、そんな思惑も少しだけあった。
エリックはほんの少し目を見開いたが、すぐに穏やかな笑顔に戻ると言った。
「実は今、求職中なんです。前の職場で少し色々とありまして……どんな仕事が自分に合っているか考えているところですね」
爽やかな語り口からはそこまで深刻さは感じられないものの、何かしら苦労はあったのだろうということは察せられる。
「アイツ、無職ポメ……」
「し、仕事探してるし働く気はあるんじゃない……?」
キルシェとポメポメも、離れた席からシトラスとエリックの話を盗み聞きしながら届いたパフェやクリームソーダをつついている。
「色々……」
「ええ。以前はチームの指揮をとったり、時には現場の監督をするような立場にありましたが……上と下の板挟みになりやすい中間管理職に疲れてしまいまして」
中間管理職、というと前の職場ではそれなりの地位にいたのだろうか。若い見た目からは少し意外な境遇だが、嘘を言っているようには見えない。
「……とはいえ、人と接するのは好きなんです。だから次はもう少しひとりひとりと向き合える仕事が出来たらいいですね」
「なんだか、大変だったんですね……」
労うように声をかけると、彼は苦笑しながら静かに首を振った。
「前の仕事もそれはそれで、良いところがあったんですよ。─かけがえのない思い出もありますし」
─
「なるほど、大企業のしがらみに疲れ果て、癒しを求めて縁もゆかりも無いこの
「……アイツ、そんなに人生経験豊富そうには見えないポメ」
ポメポメは不審そうな目で彼を見る。しかし、
「……それ、ポメポメが言う?」
自分よりも幼い少女の姿でそう言うポメポメに、キルシェはそうツッコミを入れてパフェのいちごアイスを頬張った。
─
「シトラスさんは、ラコルトに住んで長いのですか?」
今度は逆にシトラスがエリックから質問される。
「えっと……はい!小さい頃から住んでいるので」
自分のことを聞かれると思っていなかったシトラスは、少しだけ慌てながらも姿勢を正して質問に答えた。
「それなら、もうこの街のことは知り尽くしていそうですね。困った時は頼りにさせて頂きます」
「いや……私なんて、そんな」
シトラスはたじたじとしながらも彼の真っ直ぐな視線から逃れようとするかのように目を逸らす。
─そういえば、先ほどから事あるごとに目を逸らしたり俯いたりしてしまっていると、シトラスはふと気が付いた。
昔から恥ずかしくなったり、話し慣れていない相手との会話中に緊張するとつい視線を逸らしてしまう癖がある。キルシェは初めて会った人に対しても前から仲良しだったように話しかけるし、ロゼもおっとりとした態度だけどシトラスと初めて会った時は自然で親しみやすく接してくれた。
どうして私は、二人のように出来ないのだろう。
「……シトラスさん?どうかしましたか?」
急に黙り込んでしまった彼女に、エリックは心配そうに声を投げかけた。
「あ……すみません。ちょっと、考えごとしちゃって……」
大したことではないと取り繕うように笑顔を見せるが、エリックはシトラスの顔をじっと見つめたままだ。
大したことなのでしょう、とでも言いたげなその視線に耐えかねて、シトラスはポツリと口を開く。
「エリックさんは、すごい人ですね」
「……私が、ですか」
突然の言葉にエリックは一瞬面食らった表情を見せるが、すぐにシトラスの言葉の続きを待つように彼女を真っ直ぐ見据える。
「すごいです。ひとりで知らない街に来て、新しい事にも積極的にチャレンジしようとしてて……私には、絶対出来ないです」
「……シトラス?」
離れた席から二人の会話を聞いていたキルシェは、ポメポメと顔を見合せる。シトラスの声も、表情も、先ほどまでと違って沈んでいる。
「私、友達と一緒にがんばってることがあって……あんまり詳しくは言えないんですけど。でも、私がみんなの足を引っ張ってしまってる気がして……」
エリックは黙ってシトラスの話に耳を傾け、少し考えた後に口を開く。
「それは……シトラスさんがお友達から直接言われたのですか?自分たちの足を引っ張るな、と」
「いえ、そうじゃないです。ただ、私がそう感じてるだけで……」
シトラスは慌てて否定する。そんな彼女の様子を見て、エリックは少し安心したような表情を浮かべた後、再び真剣な表情に戻る。
「ならば、それはシトラスさんの考え過ぎではありませんか?」
「そう、なのかもしれません……でも」
それでも、シトラスは顔を上げない。
「私は友達みたいにしっかりと自分を持ってなくて、『これが私』って言えるものとか、夢とか目標みたいなのもまだ見つかってなくて。何だかみんなの中で私だけ、フワフワしてて……こんなだから、上手く出来ないのかも」
離れた席で聞いていたキルシェとポメポメも、呆然した様子で彼女を見つめる。
(シトラス……そんな風に思ってたの?)
(ポメ………)
シトラスと一緒に住んでいるポメポメでさえ、こうしてはっきりとシトラスの思いを聞いたのは初めてだった。魔法の練習に必死になって、根を詰めすぎていることはわかっていたけれど、まさかそこまで悩んでいたとは。
エリックはしばらく黙ってシトラスの話に聞き入っていたが、やがてゆっくりと話し始めた。
「自分を卑下する必要はありませんよ」
その言葉に、俯いていたシトラスは思わず顔を上げる。
「誰だって最初から完璧に出来るわけではありませんし、失敗することだってあります。 人は皆、それぞれのペースで成長していくものです。貴方の年頃だと、どうしてもその差を他人と比べてしまって自信を無くしてしまうこともあるかと思いますが──」
エリックは一旦言葉を区切り、間を置いてから続ける。
「お友達は、貴方が出来ないからと言って咎めたり責めたりしたわけではないのでしょう?」
「それは、……みんな、優しいから」
エリックの琥珀色の瞳が、僅かに細められる。
「優しいお友達が、心の中で貴方のことを邪魔だと思っている。……シトラスさんは、そう言いたいのですか?」
「……っ!!」
俯いていたシトラスは、反射的に顔を上げた。そしてすぐに首を横に振る。
「違う、違います!みんなは、そんな人じゃない!!」
シトラスの気持ちに誰よりも早く気付いて、いつも一緒に楽しいことを共有しようとしてくれるキルシェ。
先輩としてシトラス達を導き、困った時には優しく手を差し伸べてくれるロゼ。
忙しい中で時間を割いて、自分たちに魔法を教えてくれるレオン。
どんな時もシトラスを心配して、いつも一緒に居てくれるポメポメ。
シトラスの周りは、こんなにも温かい人たちでいっぱいだ。
その優しさを、嘘だなんて言いたくない。
「─ちゃんと、答えが出ているじゃないですか」
「え……?」
エリックの言葉に、一瞬思考が止まる。
「貴方がお友達を信じているように、お友達もきっと貴方を信じています。失敗ばかりでも貴方を咎めないということは、お友達がそれで貴方の価値を計っているわけでは無いということではありませんか?
貴方もそれに本当は気付いているから、すぐに私の言葉を否定出来た」
「……あ、……」
その言葉でようやく、シトラスは気付いた。
自分のことしか見えなくなって、大切なことを忘れていたこと。
そして自分を責めて貶めることは、自分を大切にしてくれる人たちに対しても失礼だということ。
シトラスが何かを悟った事を察したエリックは、そっと微笑んだ。
「他人と同じくらい、自分を信じることが出来るようになれば─きっと大丈夫ですよ。素敵な方々にも囲まれているようですし」
「エリックさん……」
彼の言葉には不思議な説得力があり、心が軽くなったような気がした。先程まで感じていた不安や焦燥感が嘘のように消え去っていく。
(すごい人だな……)
改めて目の前の人物を見て思う。
エリックは二十代半ば程に見えるけれど、まだ16歳のシトラスの知らない世の中の色んなことを知っていて、たくさんの物事を見てきたような雰囲気がある。
これが、大人の男性というものなのだろうか?
「めっちゃしっかり人生相談に乗ってくれるじゃん……言ってることもザ・大人って感じだし」
これには、離れた席から会話の一部始終を聞いていたキルシェも感嘆の声を漏らしたようだ。
「ポメ……悔しいけど、今のシトラスに必要なこと全部言ってくれたポメ……」
エリックに対して不信感と対抗心を燃やしていたポメポメも、今回ばかりは素直に感心しているようだ。
と、その時。
カタカタ…、とポメポメの側に置かれたメロンクリームソーダのグラスが揺れる。
「ポメ……?」
クリームソーダだけではない。キルシェの注文した特盛のイチゴパフェも、天井からぶら下がっている照明器具や観葉植物も揺れているようだった。
「なんだろ……?地震?」
キルシェは辺りを見回すが、ポメポメは違う、と首を横に振る。
「魔獣の気配がするポメ!」
その言葉に、キルシェの表情が一瞬で引き締まる。
違和感に気付いたのは、シトラスも同じだった。自分の席のオレンジジュースのグラスと、エリックの前に置かれたコーヒーカップが小刻みに揺れ始め、天井からぱらぱらと埃が落ち始める。
「え、何これ……」
困惑するシトラスの向かい側で、エリックは琥珀色の瞳を細めると静かに言った。
「……来たようですね」
誰の耳にも届かなかったその言葉と同時に、カフェの外から耳をつんざくような咆哮が響き渡る。
シトラスが窓の外に目をやると─爬虫類によく似た魔獣が巨体を揺らしながらカフェのすぐ目の前まで迫っており─その巨大な尾をカフェの建物に叩きつけた。
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