世界のひみつ
世界はかつて、ひとつだった。
自然と調和し、魔法を操り、人々は平和に暮らしていたのだそうだ。
そんな世界の秩序は、ある種族の登場によって崩れ去った。
魔法を持たない種族─人間。
人間は魔法を持たない代わり、無限の可能性を秘めていた。
そのひとつが、生命力と強く結びついた力─エナジーだ。エナジーそのものはこの世界で生きる全ての生物に宿っているが、人間のそれは特異なものだった。感情や心持ちで爆発的に増加することも、逆に減少することもある。魔法を使うことのできない種族であるにも関わらず、強力な魔法使いのそれに匹敵するほどの量を持った者が稀に現れることもあった。
魔法を持つ者達は人間の持つエナジーに着目し、この人間を搾取するべきだと言うものと、共存すべきだと言うものに分かれて対立した。
そして世界は、力を全てとし魔法で更なる発展を目指す邪神率いる魔界と、秩序を重んじ全てとの調和を計らんとする女神が統べる天界、そして─魔法が存在しない代わり豊富なエナジーに溢れた人間界へと分かたれた。
天界と魔界は、人間界への扱いを巡って対立し、長年に渡って戦争を続けてきた。天界の女神も、魔界の邪神も気の遠くなるような戦いの中で、徐々にその力を擦り減らして行ったという。
ところが、今からおよそ300年前。双方の世界に大きな打撃を与える事件が起き、邪神はほとんどその身を封印されたも同然の状態となった。女神もその力の多くを失い、一時は天界もその存亡の危機に陥った。
双界の長が力を失ったことにより、長きに渡っていた天界と魔界の戦争はひとまずの区切りを迎えたのである。
しかし、それから時が流れ。邪神は失った力を取り戻し始めつつあった─
「……邪神は人間界からエナジーを搾取し、復活を遂げようとしています。今の状況は非常に危険です」
レオンの言葉に、その場に居た全員が神妙な面持ちで頷く。
シトラスも、キルシェも、ポメポメから大まかな話こそ聞いていたものの、この世界の歴史や邪神の脅威について具体的な説明を受けるのは初めてだ。
(そんな、すごいことになっていたなんて……)
自分たちを取り巻く状況の想像以上のスケールの大きさに驚きつつ、これから自分たちが立ち向かうべき相手の強さを実感していた。
レオンは続ける。
「しかし、私たちにも希望は残されています。邪神の復活を阻止するのに必要不可欠な『女神の魂』。その反応が、今からおよそ10年ほど前、人間界で確認されたのです」
「でも、まだ持ち主が見つかっていないんですよね?」
シトラスの問いに、レオンはゆっくりと頷いた。
「ええ。10年前に反応が一度だけあったきりで、その後の行方は分かっていません。わかっているのは、人間界に持ち主が必ずいるということと、─恐らく持ち主は人間であることです」
だからこそ、女神は天界人を人間界に派遣することにしたのだと彼は言う。そして、確実に持ち主を見つけ出すために彼らにもうひとつ、特命を与えた。
人間界にごく稀に存在する、魔法を扱える特別なエナジーを持つ人間。彼らと協力しながら女神の魂を探し出し、持ち主を護ること。
「だから、私たちは魔法少女になったんですね」
シトラスが言うと、レオンは静かに頷きながら答えた。
「その通りです。─我々の事情とは直接関係のないあなた方を巻き込んでしまうことになるわけですが……いいえ」
レオンはここで一旦言葉を区切り、改めてシトラスとキルシェを真っ直ぐ見据えると言った。
「まず、正直にお聞かせください。お二人は現時点で─魔法少女を辞めたいとお考えですか?」
「師匠!?」
突然何を言い出すのかとポメポメは声を上げるが、レオンはそれを片手で制する。
シトラスとキルシェは、戸惑ったようにお互いの顔を見合わせた。
「……ここまで話を聞かされておいて、非常に答えにくい質問だと思います。ですが、忖度や建前ではなく本音で答えてください。─というのも、黒き明日(ディマイン・ノワール)との戦闘は今後ますます熾烈になることが予想されます。これから戦う魔獣が強くなることはあっても、弱くなることはないと考えた方がいいでしょう」
つまり、レオンの言わんとしていることはこうだ。
魔法少女を辞めるのであれば今のうちだ、と。
今後も魔法少女として戦い続けるのであれば、今まで以上に危険に晒されることになるかもしれない。その覚悟の有無を問われているのだ。
(やめようなんて、考えたことなかったけど……)
考えたことこそないが、確かに魔獣との戦闘は怖いし、命を懸けることへの不安もないとは言い切れない。もっと言えば来年には大学受験も控えているし、学校生活との両立だって難しくなるだろう。
普通の生活をしたいのであれば、魔法少女など辞める一択だ。
でも───
「あたしは、やめませんっ!」
先に沈黙を破ったのはキルシェだった。力強く宣言した彼女は、そのまま続ける。
「そりゃ戦うのは大変だなっては思います。魔獣って容赦ないし、怪我したら痛いし。でも魔法少女になったおかげでポメポメとも仲良くなれたし、ロゼ先パイとも知り合えたし、それに─あの時もし魔法少女にならなかったら、シトラスのこと……助けられなかったかもしれないから」
「キルシェ……」
親友がそんな風に思っていたことを初めて知って、胸が熱くなる。
キルシェは普段おちゃらけたところはあるが、誰よりも友達思いなのだということをシトラスはよく知っていた。
「シトラスさんは、どうですか?」
レオンに促されたシトラスはハッと顔を上げる。答えはもう、決まっていた。
「……私もキルシェと同じです。魔法少女を続けたい、です」
そう答えた途端、キルシェの表情がぱあっと明るくなり、ぎゅっと抱き着いてきた。
「よかったぁ~!シトラスならそう言ってくれるって信じてたよ~!」
「キルシェ……」
まるで自分のことのように喜んでくれる彼女につられて笑みが浮かぶと同時に、じんわりと温かいものが胸に広がるのを感じた。
だけど、それと同時にどんよりとした靄のようなものも感じる。
─先に魔法少女になったのは私なのに、どうしてキルシェよりも先に答えることが出来なかったんだろう。
魔法少女を辞めるつもりはない。だけど─もしキルシェがここで「辞めたい」と答えていたとしたら、自分だけの答えをちゃんと口に出来ていただろうか。
自分の意志だけで、魔法少女を続けるという覚悟を持てただろうか。
(─ううん、続けたいって思ったのは本当だもん。やめよう、余計なことを考えるのは)
シトラスはかぶりをを振って雑念を振り払い、前を向いた。
「シトラスちゃん、キルシェちゃん。二人は魔法少女を続投する、ということでいいかしら?」
ロゼの問いに、二人はしっかりと頷く。それを見て安心したのか、それまで真剣だったレオンの表情もにわかに和らいだ。
「ありがとうございます。厳しい戦いが待っているでしょうが、皆さんはひとりではありません。互いに協力しながら乗り越えていきましょう。私も出来る限りサポートします」
「はーい!よろしくお願いしまーす!」
「お願いします」
元気よく返事をするキルシェに続いて、シトラスも頭を下げる。
ロゼはこほん、と咳払いをすると真剣な表情で語り始めた。
「まとめると、わたしたち魔法少女のすべきことは─送り込まれた魔獣から人間界を守ること。そして、人間界のどこかにいる女神の魂の持ち主を見つけ出して、その持ち主を護ること。
いずれは黒き明日(ディマイン・ノワール)や魔界と直接戦わないといけない日が来るかもしれないけれど、まず今考えないといけないのは大きくこの二つね」
そう言って、ロゼは指を二本立てる仕草をしてみせる。
「もし仮にわたしたち三人の中に女神の魂の持ち主がいたとしても、そうでなかったとしても、魔法のスキルは絶対に必要よ。もし持ち主なら、膨大な力をコントロールするために魔法の基礎はしっかりと築いておくべきだし。持ち主ではなかったとしても、持ち主を魔界の軍勢から守るためにわたしたちは強く在らなくてはならない」
だからまずは基礎的な部分を固めましょう、とロゼは言った。
「幸い、アルページュ邸は広いスペースの確保が可能です。市内にも財団が所有する施設がございますし、ロゼお嬢様や奥様がバイオリンの練習をされるため、いくつかの部屋には防音措置も施されています。定期的に集まって、魔法の鍛錬を行えるでしょう」
レオンの言葉に、一同はおお、と感嘆の声を漏らした。
「ロゼ先パイのお家で魔法の練習をさせてもらえるってことですか……?」
かねてよりロゼのファンだったキルシェは彼女の提案に興奮を隠しきれない様子だった。
少し前まで雲の上のような存在だった推しの家に、合法的に出入り出来るようになるなんて!
彼女が目を輝かせているのを見て、ロゼも嬉しそうに微笑んだ。
「どうしても外だと目立ってしまうし、ここならプライバシーも守られるでしょう?私の両親は海外出張も多くて、家を空けていることが殆どなの」
そういえば、ロゼの母親は世界的なバイオリニストで、父親はこの街で多くの教育機関を運営するミネルヴァ財団の理事長だと聞いたことがある。二人とも多忙を極めており、家にいることの方が珍しいらしい。
「そういうことだから、誰かに正体がバレることを心配する必要もないわ。みんなで魔法の技量を磨いて、黒き明日(ディマイン・ノワール)への対策を練りましょう」
ロゼがそう言うと、シトラスとキルシェは顔を見合わせて頷いた。
「放課後に集まってみんなで何かやるの、なんか部活みたいだよね!魔法少女部?」
「キルシェ、遊びじゃないポメよ。大事な女神様の任務を遂行するためポメ!」
はしゃぐキルシェに釘を刺しつつ、ポメポメが言う。だけど、そんなポメポメもどこか楽しそうでワクワクしているように見えた。
「それじゃあ早速移動しましょうか」
ロゼとレオンは立ち上がり、シトラスとキルシェ、ポメポメを案内するように歩き出した。
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