『これが私』
1時間後─
「うぅ………」
訓練のために通されたアルページュ邸内の一室。シトラスは用意された席で、しょんぼりと俯いていた。
初回に当たる今日は、魔法の源でもあるエナジーの流れを理解するための訓練だった。エナジーは元々人間にも備わっているもの。そこで、その仕組みと扱いを理解するためにシトラス達は変身をせずに練習を行うことになった。
というのも─
「魔法少女に変身している間、貴方達人間は魔装や魔具によって魔法を容易く使える状態に最適化されています。─ゲームなら最低難易度のイージーモード。もう少し分かりやすく言うと、三輪車や補助輪のついた自転車に乗っているような状態です」
つまり、三人─特に魔法少女になって日の浅いシトラスとキルシェは、この補助輪が無くとも魔法の仕組みを理解し、簡単な魔法を扱えるようになるべきだというのがレオンの見解だった。
ロゼの豪邸内の一室に案内されたシトラス達はまず、机の上に用意された人形を己のエナジーだけで動かすという課題に取り組んでいた。
2年間魔法少女として経験を積んでいるロゼはすんなりとこなし、人形をまるで自分の分身のように自由自在に操っている。恐らく、シトラスとキルシェが魔法少女になる前にもこの訓練を経験済みなのだろう。
キルシェもまた、持ち前の飲み込みの良さでコツを早々に掴んだらしい。最初こそ少し苦戦していたがすぐに感覚を掴んだようで、今では人形にラジオ体操のような動きをさせている。
問題はシトラスだった。何度やっても上手くいかない。人形自体にエナジーを通すことは成功しているのだが、そこから立ち上がらせようとするとプルプル震えてしまい、まるで生まれたての子鹿のようだ。地面から手を離して立ち上がらせ、歩かせようとすると途端にバランスを崩して転んでしまう。
「シトラスちゃん、大丈夫?少し休憩にしましょうか」
その様子を見て、ロゼが心配そうに声をかける。しかし、シトラスはぶんぶんと首を横に振って再び。
「いえ……っ!もう一回やります……!」
そう言ってもう一度人形に意識を集中させるが、やはり結果は変わらず。
その後も何度か挑戦してみたものの、結局成功することは無かった。
「はぁ……全然ダメだったなぁ」
休憩時間になるなり、シトラスは廊下に出てため息をついた。窓の外を見るともう日は沈み、空の色がオレンジからピンクがかった紫へと変わり始めている。
(みんな凄いなぁ……私なんてまだまだだ……)
ずるずると廊下の壁に背中を預けて座り込み、ぼんやりと空を見上げながら考える。自分は本当に未熟なのだと思い知らされてしまった気分だ。
すると、ピタ、と頬に冷たいものが触れた感触があった。驚いて顔を上げるとそこにはペットボトル飲料を手にしたキルシェとロゼの姿があった。
「これ、レオンさんからの差し入れ!エナジーを使うと体力も消耗しちゃうから、ちゃんと水分と糖分を摂取してねって」
はい、と頬に押し当てたペットボトルを渡される。見るとありふれた市販のスポーツドリンクだったが、程よく冷えていて今のシトラスにはありがたかった。
お礼を言って受け取り、早速蓋を開けて口に含む。スポーツドリンク特有の甘みが広がり、少しだけ気分が落ち着いた気がした。
「ごめんなさい……なんか私、全然ダメダメで……」
ぽつりと呟くようにそう言うと、二人は顔を見合わせて苦笑する。それから励ますような声色でこう言った。
「そんなことないわ、初めてにしては十分出来ている方よ?」
「そうそう!きっとすぐ出来るようになるって!」
「でも……キルシェ、私より魔法少女になったの後なのに完璧に出来てたし……」
ずーん……と落ち込んだ声で言うシトラスに、キルシェは言葉を見失う。
確かにキルシェは運動神経が良く、─勉強以外ならば─基本的に何でも器用にこなすタイプだ。感覚的に物事を覚えるのが得意なキルシェにとって、魔法のコツを捉えるのはそれほど難しいことではなかったのだろう。
キルシェがシトラスにかけるべき言葉を見つけようとしているうちに、ロゼの方が先に口を開いた。
「シトラスちゃんは今、何か好きなこととか熱中していることはある?」
「え?」
突然の質問に、シトラスは戸惑った。
そういえば最近、趣味と呼べるようなものは特になかったかもしれない。勉強や読書、学校の宿題以外ではあまり積極的に時間を割いていないような気がする。
だが、それが何か関係あるのだろうか。首を傾げていると、ロゼは続けた。
「魔法というのはね。同じ形で在り続けようとする世界を、『これが私の世界よ』と自分の手で書き換えていくようなものなの。……そうね。例えばここに世界という一枚の絵があったとして、そこにペンで新しく自分の絵を描き足すのが魔法、と考えてもらうと分かりやすいかしら。
だから自分を強く持つことが、魔法を上手く扱うコツと言えるわ。自分の望む世界を描くためのイメージを強く持てば、それだけペンのインクの色ははっきりと鮮やかになって、描かれたものは世界という絵の一部として存在出来るようになるの」
「『これが私』……」
そう言われてみると、確かに自分はこの三人の中で一番そのイメージが弱いかもしれない、とシトラスは思った。
子どもの頃からバイオリンを一生懸命続け、生徒会長というリーダーシップや決断力を求められる仕事もしっかりとこなしているロゼは間違いなく自己をしっかりと持っているだろう。
キルシェはロゼのように何かを長年続けているわけでは無いけれど、常に楽しいことを見つけたいという己の心に従っている。自分が何を好きで、何を求めているかを理解しているキルシェもまた、自己イメージがはっきりしていると言えるだろう。
─対して、自分はどうだろう?
特に何も意識せず、ただ漠然と日々を過ごしていた気がする。そんな自分を変えたいと思ったことは何度もあったはずなのに、結局行動には移せていない。
シトラスが思考の海に沈んだのを見兼ねてか、ロゼは再度口を開いた。
「今はわからなくても、ゆっくり探していけばいいわ。シトラスちゃんのペースでね」
「ロゼ先輩……」
シトラスの表情の強張りが少し和らいだのを見て、キルシェも安心したように微笑んだ。
「だいじょーぶ!シトラスなら絶対すぐ見つかるって!だってこんなに頑張ってるんだもん!!」
ぎゅ、とシトラスにじゃれつくようにキルシェは抱きついた。彼女の温もりを感じながらシトラスは小さく頷く。
(そうだ……こんなところで挫けてる場合じゃないよね)
深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。もう一度目を開けると、視界に映る光景はほんの少し明るく見えた。
「ありがとうございます。ロゼ先輩、キルシェ」
そう言って微笑む彼女につられて二人も笑顔になるのだった。
「もう暗くなってきたし、最後に一度おさらいして今日はお開きにしましょうか。……あ、そうそう」
鍛錬に使っていた部屋に入る直前に、ロゼはもう一度シトラスの方に向き直るとそっと耳打ちした。
「誰かに夢中になるのもアリかもしれないわね。恋をしてみる、とか」
「えっ!?」
突然の爆弾発言に動揺していると、そのままクスクスと笑って部屋に入っていってしまった。
「えっ、なに!なんて言われたのシトラス!」
後ろにいたキルシェが興味津々といった様子でシトラスに詰め寄ると目を輝かせた表情で問いかけてくる。
しかし、シトラスはそれどころではなかった。
(どうして、あの人のこと思い出しちゃったんだろう……?)
いつも魔獣から助けてくれる、あの赤い髪の男性。
恋をしてみるのはどうかと言われて、真っ先に彼の顔が浮かんだ。
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