第4話 センチメンタル・エチュード
明け方の郷愁
黒き明日(ディマイン・ノワール)本拠地。
慌ただしく魔族たちが行き交う城内の喧騒から離れた中庭の石造りの段差に、ひとりの少女が腰かけていた。
各々の個を塗り潰すような黒いフード付きのマントを着て行き交う大勢の魔族たちと同様に、少女もまた黒いマントに身を包んでいる。ただし、フードから溢れる鮮やかなオレンジ色の豊かな髪は少女の個性を存分に主張していた。
「はぁ……」
青空を思わせるような澄んだ碧い瞳は憂いを帯びていて、その色に似つかわしくない深いため息と共に少女は俯いたまま独り言を呟いた。
「どうして、私はいつもこうなんでしょう……」
ここに来てから何度繰り返したかわからない自問と共に、もう一度ため息。
すぐ後ろの通路を行き交う魔族たちは、少女の様子に関心を示すこともなく通り過ぎていく。と、一人だけ少女に近付いてくる者がいた。
「─そこにいるということは、また何かしでかしたのですね」
背後から聞こえた呆れ声に振り返ると、 そこにはやはり黒いマントに身を包んだ長身の男が立っていた。
少女と頭二個分は違うであろう背丈に、端正な顔立ち。そして何より目を引く燃えるように赤い髪の青年だ。琥珀色の瞳が特徴的で、その表情や立ち振る舞いから育ちの良さと聡明さが窺える。
少女は声をかけてきた人物が誰なのかわかると、沈んでいた表情が少し明るくなったように見えた。
「今日は何を?」
「えっと……魔法薬開発部に送るはずの書類を、魔獣召喚部に送っちゃいまして……」
「現場は大混乱だったでしょうね」
彼らに同情します、と溜め息交じりに言うと、男は少女の隣に腰を下ろした。
「『薬草の発注伝票を俺たちにどうしろって言うんだ』ってめちゃめちゃに怒られてしまいまして……」
「前科が多過ぎるのですよ、貴方は。これが一度目や二度目ならそこまで責められないかと」
男の正論にぐうの音も出ないのか、彼女は小さく呻いているようだった。その様子を横目で見ながら、男は呆れた様子で彼女に告げた。
「……貴方の教育係は私ですから、先方には謝罪を入れておきます。ついでに、貴方が反省していることも伝えておきましょう」
「毎度すみません……」
「そう思っているのであれば、ミスを減らして欲しいのですけどね」
再びぶつけられた正論に、ますます少女は申し訳なさそうに縮こまる。
「でで、でも!この前そう思って書類のチェックをすごーく慎重にやったんですよ!そしたらフォルトゥナさんには『翌朝まで残業したいのですか?』って怒られちゃって……!」
「どれだけ時間かけてやっていたのですか」
「それはもう!1枚に1時間、全ての神経を注ぎ込み……」
「フォルトゥナさんが貴方を張り倒さずに堪えた精神力は、最早尊敬に値しますね」
「そ、そんなぁ〜!!」
己の努力を理解してもらえなかった少女は、悲痛な叫び声を上げる。
自分の頑張りを認めてほしいと言わんばかりに見つめる少女の視線を、男は鬱陶し気に避けた。それでも、少女の側から立とうとしたり、座る位置を変えて少女と距離を取ろうとはしない。
実力主義で、与えられた任務を正確にこなすことを求められる黒き明日(ディマイン・ノワール)において、彼女の存在は明らかに異分子だった。─尤も、彼らの長は彼女を採用した理由について、類稀な魔力の持ち主であったことを挙げていたが。どれだけ突出した実力のある逸材であっても、組織に入ったばかりの者はまず初めに、誰にでも出来て代わりの利くような雑務や事務作業を任される。適性や能力に見合った部署で任務を任されるのはその後だ。
その雑務すら─この有様ではあるが。
「あの……」
「何です?」
先ほどとは打って変わって、声のトーンが明らかに暗い。俯いたまま顔を上げようとしない様子に、流石に心配になったのか、男は少女をのぞき込むようにして言葉を待つ。
「私ってもしかして……皆さんの足を引っ張ってしまっているのでしょうか?」
「………今更気付いたのですか?」
「ひどいです!!」
ガーン!と効果音が鳴りそうな勢いでショックを受けた様子の彼女を他所に、男は続ける。
「漸く、ご自分を客観視出来るようにはなったのですね」
「それって褒めて……」
「事実を述べただけです」
「冷たいです!!どうしてそんなことおっしゃるんですか!!」
半べそをかきながら抗議する少女に対し、彼は淡々と答えるだけだった。しかし一瞬の間を置いて、こう続けたのだった。
「問題点に気付けたのであれば、あとは改善していけばいいだけの話ですよ」
それまでと違って柔らかい声音で語りかけられた少女は、ハッと顔を上げる。
しかし男はさっさと立ち上がって歩き始めていたため、その表情を見ることは叶わなかった。
「やっぱりお優しい方だな……」
本人には聞こえないようにそう呟き、笑みを浮かべる。
それからその背中を追うように、少女もオレンジ色の髪を揺らしながら城の中に向かって歩き出した。
先程まで自信を失っていたのが嘘のように、その表情は晴れやかだった。
─
「……随分と、懐かしい夢を見ましたね」
ベルベットのカーテンの隙間から差し込む朝日を浴びながら、男はぼんやりと呟く。
キングサイズのベッドからゆっくりと身を起こして窓の外を見ると、澄んだ青空が広がっているのが見えた。雲一つない、快晴。
ふと、少女の瞳の色を思い出す。
それはもう、過去の出来事。二度と戻ることのない日々の記憶。
まだ頭の中を漂っている夢の余韻を振り払うように、男は頭を左右に振るとベッドから降りて寝室を後にした。
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