友情と決意と

「うぁっ……!!」


ドンッ、と鈍い音がホール内に響き、埃が舞い上がる。数分前までつるりと磨かれて傷ひとつない様に見えた壁に大きな窪みとヒビが生じ、その下にシトラスはずるりと座り込むように崩れ落ちた。


身体中が痛い。

魔獣の攻撃が直撃した腹部と、壁に強打した背中がひりつくように痛む。後ろでぱらぱら、と塗装が剥がれた破片が落ちる音が聞こえ、壁の一部が破損したのだろうとぼんやりと思った。


「シトラス!大丈夫ポメ?」


「うん、平気……!」


心配そうに声をかけてくるポメポメに笑顔で返事をする。

強がりではなく、まだ戦えるだけの余力は残っている。


「誤算だったポメ……まさか水を直接ここまで引いてくるなんて」


恐らくこれらの水は水族館内の水槽や水道を通して集められているものなのだろう。しかし水の中でしか生きられない生物が大半を占める水族館でこんな魔法を使われては、やがては展示されている生物たちにまで被害が出てしまう。


「早く倒さなきゃ……!」


オレンジ・スプラッシュの柄を杖のようにして立ち上がり、シトラスはもう一度魔獣の方を見やる。傷付いている様子もダメージを受けている様子もない魔獣は、再びシトラスの方へと水の触手を叩きつけようと狙いを定めているところだった。


「……っ!!『止まれ(アルテ)』!!」


咄嗟にシトラスは呪文を唱えた。ピタリと空中で静止する魔獣の触手。しかしそれも一瞬のことで、すぐに動き出してしまう。


だが、その一瞬の間にシトラスは魔獣との距離を一気に詰めた。


「『花炎(フルール・ド・フレーム)』!!」


再び炎の華が咲き誇り、散り散りになった花弁が魔獣の体を包む。太陽が地上に降りてきたかのような熱気は魔獣を形作る水分を蒸発させ、白い水蒸気へと変えていく。


「よし!今度こそ……!!」


シトラスはすかさず追撃の準備をしてオレンジ・スプラッシュを構えた─が、


「っ─!!」


一体いつ移動したのか。シトラスの眼前に魔獣の水触手が迫っていた。シトラスは間一髪で避けようとするも間に合わず、腹部に一撃を受けてしまう。


「かはっ─!?」


紙屑のように空中を舞ったシトラスの身体は、2回ほどバウンドして床の上に投げ出された。痛みに顔を歪めながらなんとか立ち上がろうとするも、腕に力が入らず四つん這いになるのが精一杯だった。





「シトラス!!」


ポメポメはすぐさま駆け寄り助け起こそうとするが、魔獣はそれを許さないとばかりに無数の水触手を二人のいる場所に向かって伸ばす。


防御魔法を発動させる時間が無い。仮に間に合ったとしても、これだけの猛攻にポメポメだけの力で張った防壁が耐えられるか、正直自信はなかった。



「……っ、ポメ~~~~~!!!」



せめてシトラスだけでも守ろうと、ポメポメは目をぎゅっと瞑って起き上がれずにいる彼女を庇うように覆い被さる。










が、─いつまで経っても衝撃や痛みが来ることはなかった。その代わりに響いてきたのは、勢いよく何かを噴出するような音。



「……ポメ?」



僅かな煙たさを感じて恐る恐るポメポメとシトラスが顔を上げると、目の前は白い煙のようなもので満たされていた。それが少しずつ晴れると、先ほどまで悠々と空中を漂っていた水の魔獣が白く濁って床に落ちている。そしてその倒れている魔獣のすぐ隣に立っていた人物を見たシトラスは、己の目を疑った。








「キルシェ……⁉」



電気室に置いてきたはずのキルシェが手に消火器を持って仁王立ちし、肩で息をしながら足元に転がった魔獣を見下ろしている。



─まさか、それで魔獣の動きを止めたのだろうか。



ポメポメはぽかんと口を開けてキルシェを見つめることしかできなかった。そんな視線に気づいたのか、キルシェはくるりとこちらに向き直る。



「シトラス、大丈夫?」


地面に倒れているシトラスに駆け寄り、その体を抱き起こすキルシェ。シトラスは苦しげに咳き込みながらも何とか首を縦に振った。


「キルシェ……どうして?」


「決まっているでしょ!?助けに来たんだよ!!……今まで、あんなおっかないヤツと一人で戦ってたの?」


「ひとり……ではないけど、」


キルシェは再び、水の魔獣をキッと睨みつけながら立ち上がる。


「あぶないポメ!魔獣は普通の人間が相手に出来るようなヤツじゃ無いポメ!」


「だとしても!このまま黙って見てるわけにいかないじゃん!!」


ゆらりと起き上がり再び攻撃を仕掛けようとする魔獣に向かって、キルシェは再び消化器を噴射する。視界を奪われた魔獣は再び怯んだようで、攻撃を仕掛けてこない。




「シトラス、今まで気付かなくてごめん!今まであたしの知らないところでこうやって、わけわかんない奴と戦ってたんでしょ?


駅前のお菓子屋さんに行った時も本当は……あたしのこと、助けてくれてたんだよね?」


「キルシェ……」


魔獣に消化器をぶち撒けながら、キルシェの脚は僅かに震えていた。キルシェも魔獣の恐ろしさを十分に理解しているのだろう。


それでもなお、彼女はシトラスを守るためにそこに立っている。


「……だから、今度はあたしがシトラスを助ける!絶対に逃げるもんか!!」


それまで響いていた噴射音が段々弱まり、止まる。恐らく中の薬剤を全て使い切ったのだろう。それを機ととらえたのか、魔獣はキルシェに向かって水の触手を飛ばす。


「だめっ!!キルシェ逃げて!!」


「逃げない!!!」


シトラスが一度も聞いたこともない、怒ったような叫び声だった。


魔法少女に変身して、魔装ドレスに身体を守られている自分でも苦戦している相手なのに、生身の人間であるキルシェが敵うはずがない。それでも、キルシェは絶対に逃げないという強い意志をその背中に滲ませている。


(だめ、このままじゃキルシェが死んじゃう……!!)


─その時だった。


「─っ!?」


突如として、キルシェの周りにピンク色の光が灯る。


光は輝きを増しながら広がり、キルシェ本人と傍にいるシトラスとポメポメを守るように辺りを覆いつくした。


「これは……何?」


キルシェ自身も驚くほどのその光は、ただ美しいだけではなかった。


魔獣が放った水の触手は光に触れると弾き返されてしまい、三人に近付くことが叶わない。まるでシトラスを助けたい、と言った彼女自身の意志を反映しているかのように。


「ポメポメ、この光ってもしかして……」


シトラスはこの現象に見覚えがあった。

─自分が初めて魔法少女になった時と全く同じなのだ。


ポメポメもそれに気付いて頷く。


「キルシェ!キルシェも魔法少女ポメ!!」


「えっ?魔法少女……!?なんかすごい夢のある響きだけど何それ?」


キルシェはポメポメの言葉に驚くが、当の本人は構わず続ける。


「シトラスと同じで、キルシェにも魔法を使う素質があるポメ!!」


そう言ってポメポメは、キルシェの放ったピンク色の光の奔流の中に向かって、ハートの形をしたオブジェクトを投げ入れる。


キルシェの光を受け入れたオブジェクトは一際強い光を放つと、やがてルビーのような宝石が埋め込まれた愛らしいブローチに姿を変える。


「わっ……なんかかわいいのが出てきた!」


「そのブローチを持って、『キルシェ、変身(コンベルシオン)』って唱えるポメ!!キルシェの力が必要ポメ!!」




「……よくわかんないけどその話、乗った!!」



キルシェは目の前のブローチを手に取り、胸の前に掲げながら叫ぶ。






「『キルシェ、変身(コンベルシオン)』!!!」


瞬間、ブローチからこれまでで一番強く眩い光が放たれ、キルシェの身体を包み込んだ。

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