真実の記憶
この数週間、キルシェは何度も同じ夢を見ていた。
シトラスと一緒に駅前に出来た新しいパティスリーでスイーツを買ったあの日。帰り際に街にいた人々が大勢倒れて、空からゲームに出てくるみたいな巨大な鳥が襲い掛かってきて。
倒れずに無事だった人々がそうしたように、キルシェもまたシトラスの手を引いて街中を逃げ惑った。せっかく買ったスイーツも、追いかけてくる鳥の化け物の気を反らすために投げつけて、なりふり構わず無我夢中で走っていた。スマホも電波が通じず、どうにか生き延びることだけを考えていた。
だけどその途中でシトラスが鳥の化け物に襲われそうになって─キルシェは咄嗟にシトラスの身体を突き飛ばした。そしてシトラスの代わりに化け物の攻撃を受けたキルシェは負傷し、そのまま気絶してしまった。
(変なの……肩に怪我の跡なんかないし、あの時投げたお菓子もちゃんと食べたはずなのに……)
どうしてこの記憶が嘘だと思えないのだろう?
襲われそうになったシトラスを見て体が先に動いてしまった感覚も、化け物の嘴が掠って肩に広がった鋭い痛みも、そして─庇ったシトラスの驚いた顔と、その後の焦ったような顔も、はっきりと思い出せる。
いつも見る夢は、そこの場面で途切れていた。
(あれ、いつもここで目が覚めるのに……)
気絶して意識が暗転していたキルシェに、誰かが声をかけている。
─………シェ、キルシェ!
聞き慣れた声。それは紛れもなく唯一無二の親友のものだった。
─キルシェ!キルシェ、大丈夫?
ぼやけていた視界が開け、キルシェの目の前にいたのは─今にも泣きそうな顔でこちらをのぞき込むシトラスだった。
どういうわけか学校の制服ではなくオレンジ色のフリルとリボンに彩られた愛らしいワンピースに身を包んでいるが、見間違うはずもない。
声も、表情も、自分を心配するその態度も、全てシトラスそのものだった。
(そっか……そうだ、やっぱりあの時……あたし、シトラスに助けられたんだ)
そんな大事なことを、どうして今まで思い出せなかったんだろう。
どうしてシトラスはあの日のことを何も言わなかったんだろう。
─いや、そんなことは今はいい。それよりももっと、大事なことがある。
(もしまたシトラスがひとりで大変なことに立ち向かっているなら……今度はあたしが助けなきゃ!!)
その瞬間、キルシェの意識は明確になり、まるで深い海から浮上してきたかのような清々しさが全身を包んだ。
***
「……っ!!」
目を覚ました瞬間、真っ先に感じたのは冷たい壁と床の感触だった。背中にはコンクリートで出来た壁が当たっており、誰がかけてくれたのか─黒いジャケットのような上着が毛布代わりにかけられている。
「あれ……?あたし確か水族館のステージでイルカのおねーさんがプールに引きずり込まれたのを助けようとして、それで……」
そう呟いた瞬間、記憶が鮮明に蘇る。
スタッフの女性を助けた後、自分もプールに引きずり込まれかけたのだ。そこからの記憶が無いということは気を失っていたのだろう。そして誰かが助けてくれたのかもしれない。
キルシェは被せられていたジャケットを端に寄せて立ち上がり、辺りを見回すが誰も見当たらない。部屋にはキルシェ以外誰もいないようだ。薄暗い部屋の中で、非常口の緑のライトだけが唯一の光源となっている。
周りに配電盤らしき機械やスイッチが並んでいるところを見ると、ここは恐らくスタッフしか入ることの出来ない部屋のどこかなのだろうと推察する。
「シトラス……」
さっき見た夢がもし本当なのなら、あの時怪我をした自分を助けてくれたのはシトラスだ。
だとしたら、今シトラスは─
その時、突如として金属がぶつかり合うような轟音が電気室の分厚い扉の向こうから聞こえてきた。続けて、地震のように建物全体が揺れる。
「な、なに!?」
キルシェは慌てて、鉄製のドアを勢いよく開ける。
部屋の外には─
「な、何これ……⁉」
巨大水槽の上部に架かっていたキャットウォークが崩壊した、凄惨なバックヤードの光景が広がっていた。
まるで巨大な腕に抉り取られたかのような壊れ方をしているそれは、明らかに老朽化や自然崩壊によるものではないことが想像にたやすい。水面には壊れたキャットウォークの瓦礫と思わしきものが浮かんでおり、水槽の中の魚たちも突然の出来事に驚いたように逃げ泳いでいるのが見えた。
「え、今の音って……何が起きてるの?」
混乱した頭で辺りを見回すが、今いる場所に人の気配は一切ない。ただ静寂が広がるばかりだ。
だが、しばらくして─その静寂を破るように、階下からけたたましい音が響き渡る。
まるで何かがぶつかり合っているような、激しい音。そして時々、何かが壊れるような音も聞こえてくる。その度に建物がまた、小さな地震のような揺れに襲われる。
あの日と同じぐらい、想像もつかないような事がこの水族館の中で起こっているのかもしれない。そう思うと急に怖くなり体が竦み上がるのを感じた。
だけど、もし今─シトラスがあの時に自分を助けたのと同じように、誰かを助けようとしているのなら。
そのために、危険な場所に飛び込んでいるのだとしたら。
「─よしっ!」
恐怖を振り切るように両手で頬を叩き、真っ直ぐに前を見上げる。
通路の先に非常階段を示す白と緑の蛍光灯が目に入り、キルシェはそこに向かって走り出した。
ここまでに起きた混乱によって散らばった物なのか─転がる瓦礫を避けながら階段を駆け下りていく。途中で何度も転びそうになったが、それでも足を止めることなく一気に一階まで降りきった。
そして─目の前に現れた扉を開け放った。
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