もうひとつの世界で

 

 そこは、人間の住む世界とは隔絶された異世界だった。


一見すると人の営みや集落の在り方は人間界のそれとよく似ているが、文明のレベルが明らかに違う。背の高いビルも無ければ、スマートフォンを手にした人々が慌ただしく行き来するような交差点もない。


代わりに街を歩く人々の大半はローブに身を包み、時折物を浮かせたり、手から炎や水を出現させ、自在に操っている。そんな光景が、この街が人間ではない者達の住処であることを如実に物語っていた。


ここは、人間達が暮らす「人間界」とは別の空間に存在する「魔界」。


太古よりこの宇宙に息づく「邪神」と呼ばれる存在が圧倒的な権力と名の下に支配し、魔族と呼ばれる魔法を操る人々が暮らす、科学よりも魔法が発達したもうひとつの世界。


そして、その邪神が直々に長を務める魔界の上層部、魔族達が崇高なる使命のために結成した組織「黒き明日(ディマイン・ノワール)」。


魔界の中央に位置するその本拠地の古城で、二人の魔族の女性が長い廊下を歩みながら会話していた。会話というよりも、片方の女性が移動するもうひとりの女性を追いかけながら話しかけている。


「ねーねーインヴァス、邪神様の新しい計画が始動するって本当なの?私たちの所にはまだ話が降りてきていなんだけど」


「えぇ、確かよ。今回の作戦は私達幹部クラスも駆り出されることになるわ」


インヴァス、と呼ばれたのは羊によく似た角と長い夜空色の髪が特徴的な美しい女性だった。彼女は問いかけに答えながらも、会話のために足を止めようとはせずに廊下を進んでいく。


「いよいよ、始まるのね……邪神様が復活してこの世の全ての世界を手中に収める日が近いということかしら……ふふっ、ゾクゾクしてきちゃう」


「エルロコ、気を引き締めなさい。今回の作戦はここまで数千年に渡って各世界からエナジーを回収してきた邪神様の最終段階。邪神様の復活はこの作戦の成功如何で決まると言っても過言ではないのよ」


「はいはいわかってますよー。相変わらず仕事人間なんだからインヴァスは」


エルロコ、と呼ばれた女性はインヴァスの言葉を軽く受け流すと、気怠げに伸びをする。


「そんなところで油を売っていたのか」


背後から聞こえた声に二人が振り返ると、若い男性が立っていた。年にして10代の後半から20代前半ほど。被ったローブのフードから黒髪が覗いている。


「あら、シュバルツェ。何か用事?」


「邪神様から指令が下った。魔獣を人間界に召喚せよ、と。魔獣召喚の指揮は貴様だったろう、インヴァス」


「今行くわ。……それにしても予定より随分早いのね。もう少し準備期間が必要だと思っていたのだけれど」


「邪神様の気分次第で予定が変わっちゃうなんて黒き明日(ディマイン・ノワール)じゃ日常茶飯事だからね~。

ま、私としては人間ちゃんが泣き喚いて逃げ回るところが早く拝めるから全然オッケーだけど♪」


そう言って笑うエルロコの目は爛々と輝いており、口元からは尖った八重歯が覗いていた。


「公私混同するな。我々の目的はあくまでもエナジー集めだ。邪神様の指示に無い行動を取るのは命令違反だぞ」


「わかってるわよぉ。相変わらず頭固いなぁ~これだから育ちのいい坊っちゃんは」


「うるさい。無駄口を叩く暇があるならさっさと行くぞ」


シュバルツェはエルロコを睨みつけながら冷たく言い放つと、踵を返して歩き出す。その背中を見送ろうとしたインヴァスは、思い出したように口を開いた。


「シュバルツェ、待ってちょうだい。 ─現地には誰が派遣されたのかしら?」


彼女が呼び止めると、シュバルツェはピタリと足を止めて振り返る。


「─ああ、それは」


シュバルツェの返答を聞いた瞬間、インヴァスとエルロコは顔色を変えた。


まさか、そんな。

何故初手でそんな逸材を?



トルバラン=フォン=エインヘリアル。

黒き明日(ディマイン・ノワール)の幹部にして、実質組織のNo.2。

邪神の右腕として名高い、上級魔族。


それが今回の任務で、人間界に送り込まれた男の名であった。

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