忍び寄る影

 

 パステルカラーのインテリアで統一された店内には、色とりどりの様々なお菓子が並んでいる。比較的大きな店舗ということもあって、パウンドケーキやクッキー、マカロンやフィナンシェと言った焼き菓子の他にも、キャンディやチョコレートなども扱っていた。


レジカウンター側には様々な種類のケーキが並べられており、ショーケースの中にはシュークリームやプリンといった定番のものから、旬の果物を使った季節限定商品までずらりと並んでいる。


「……もしかしてシトラス、今お財布ピンチだったりした?」


「え?」


既にテイクアウト用のバスケットの中にカラフルなお菓子をこんもりと詰め込んだキルシェが、シトラスの方を見て心配そうに言う。


見れば、シトラスのバスケットの中には数個ほど焼き菓子が転がっているが、どれも果物やクリームで装飾されていないシンプルで地味なものばかりだ。そして、それらはこの店の中でもかなり安価な部類に入るものだった。


「無理しないで言ってくれれば良かったのに~全然余裕のある時でいいし、キルシェちゃんいつでも大丈夫よ?」


「う、ううん、違うの!本当に来たかったし楽しみだったよ!!ただ、お財布がピンチっていうか、日頃のクセっていうか……」


ひとり暮らしをしているシトラスだが、家庭に複雑な事情を抱えた学生を支援する学園の制度のおかげで、生活費に関してはそこまで困っていない。むしろ、よほどな贅沢さえしなければ余裕のある生活を送れるほどの援助を受けているくらいだ。


しかしシトラスはこの生活を始めてから今日まで、できる限り無駄遣いはしないように心掛けてきた。今でこそ高校生という身分だからこうして支援を受けて生活出来ているが、卒業して大学生、或いは社会人になれば、今とはまた状況が変わる。ならば、今のうちにお金の使い方には慣れておかなければならない。


(でも、あんまりケチ臭いと感じ悪いよね……)


そんなことを考えていたら自然とため息が出てしまった。

それを見ていたキルシェは、ふと思い立ったようにお菓子の並ぶ棚から何点かをバスケットに放り込むと、そのまままっすぐにレジに向かっていく。


(あ、私もお会計しないと……)


シトラスは慌てて自分のバスケットの中に入っていた商品をひとつずつ確認しながら、合計金額を計算していく。幸い、それほど高くはない。家計に影響が出るほどではないことに安堵しつつ、手早く支払いを済ませた。


「おーいシトラスー!お買い物終わった?」


「あ、うん。ごめんね、待たせちゃって」


店を出ると、既に会計を済ませていたキルシェがシトラスの元に駆け寄ってくる。それから手に下げていた紙袋のうちのひとつを、シトラスに向かって差し出してきた。


「これあげる!」


「えっ……?」


「早く中身見てみてよ」


言われるままに中を覗き込むと、カラフルなマカロンが数個と─ミントグリーンのアイシングが施された猫の形のクッキーが一袋。


「キルシェ、このクッキー……」


今朝キルシェと店のサイトを見た時に見たものと、全く同じものだ。


「シトラスそのクッキーの写真見た時嬉しそうだったし、お店でもそのクッキーの前で立ち止まってたから本当は欲しかったのかなー、って思って。買ってきちゃった」


「っ!ま、待って!お金払うから……!」


「いーの、あたしが買いたかったから買っただけ!今日付き合ってくれて楽しかったから、そのお礼だと思って受け取ってよ」


鞄から財布を取り出そうとするシトラスの手を制止し、キルシェは微笑む。そこまで言われてしまっては、これ以上食い下がることはできない。シトラスはキルシェの好意をありがたく受け取ることにした。


「ありがとう……大事に食べるね」


「うんうん、そうしてちょーだいな!そして感想をキルシェちゃんに聞かせてくれたまえ」


戯けた調子でそんなことを言うキルシェに、シトラスは思わず笑みをこぼす。本当に彼女は優しい子だ。友達になれて良かったと心から思う。


キルシェが誰かと楽しいことや嬉しいことを分かち合いたいタイプなのだとシトラスが気付いたのは、彼女と同じクラスになって間も無くのことだった。


一見自由奔放に見えて、実は人一倍周りに気を遣っている。困っている人や、それを口に出さない人にさりげなく声をかけて、そっと手を差し伸べる。そういうことを、嫌味なく自然体でやってみせるのだ。


それを指摘すれば本人は自分が楽しく過ごしたいだけだと言うけれど、間違いなくキルシェ自身の持つ優しさだとシトラスは思う。


「これ……わざわざラッピングもしてもらったの?そこまでしなくてもいいのに……」


「いいの!こういうのは雰囲気が大事なんだからさ♪」


どこかで座って食べよう、というキルシェの提案にシトラスは頷き、二人は店の前から移動し始める。


駅前には大きなショッピングモールもあるし、フリースペースを設けている施設も多い。ぶらぶらと歩いていてもどこかしら落ち着ける場所には辿り着けるだろう。


「どこがいいかな~天気も悪くないし公園のベンチとかも良さそうじゃない?」


「そうだね、公園なら自販機もあるし……?」


そう言って歩き出した二人の前に──ふらりと一人の女性が現れた。


年は二十代から三十代ぐらいだろうか。会社帰りなのかオフィスカジュアルといった装いで、茶色い髪は後ろで束ねられている。しかし、仕事終わりの疲労困憊、と片付けるには余りにも顔色が悪く、足取りも覚束ない様子だった。


「あ、あの……」


大丈夫ですか、と続けようとしたシトラスだったが、それよりも先に女性はその場に座り込んでしまった。呼吸は荒く、額からは汗が滲んでいる。どう見ても尋常ではない。


「ちょっ、おねーさん!?大丈夫ですか!?シトラス、救急車呼んで!!」


「う、うん……!」


「しっかりしてください!今、助けを呼びますから……!」


「うぅ…………、」


キルシェに身体を支えられながら、何とか女性は返事をしようとするが、意識が朦朧としているせいか言葉らしい言葉も紡げないらしい。


(早く連絡しなきゃ……!)


シトラスは鞄のポケットからスマホを取り出し、受話器のマークの描かれたアイコンをタップする。


しかし、その時だった。


─バタッ、バタッ……


「え………?」


それまで普通に街中を歩いていた人たちが、次々と倒れて行く。それも、とても救急車が一台や二台では対応できないような大勢が。


「……っ!?」


「なに、これ……?急にみんなどうしたの……?」


戸惑いながら二人は周囲を見渡す。中にはシトラスやキルシェと同様倒れずに動けている人もいるが、それもほんの一握りだ。ほとんどの人は意識を失って地面に伏したまま動かないか、意識を保っている人も苦しげな呻き声を上げている。


「どうしよう……っ、どうしたら、」


こういう時はどこに連絡すればいいのだろう。


救急車?それとも警察?


だけど、そのどちらも正解ではないように思えてならない。

そもそも今、一体何が起きているのか。


そんな二人の戸惑いはまだ終わらない。






─グギャァアアア……


弦楽器を滅茶苦茶に掻き鳴らしたような、不快な音。


いや、声だろうか?


上空から降り注いだ轟音は、鼓膜だけでなく内臓まで震わせる。

音を発したそれは太陽を覆い隠し、街に影を作り出した。

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