本当は怖い婚約破棄

結城暁

第1話

「君との婚約は破棄させてもらう」

「え?」


 大事な話があると我が家に訪れた婚約者ベルナール・ドノンは開口一番、そう宣言した。

 晴天の霹靂とはこのことだ。

 ついこの間までなんの問題もなく付き合っていたはずの婚約者に婚約破棄を一方的に告げられたジュリエンヌ・バイヨは呆気に取られた。

 隣に座るジュリエンヌの父ロベールも珍しく動揺を顔に出していたが、それもすぐに消え、貴族らしい、いつもの澄ました表情に戻る。


「い、いきなりどうしたんです、婚約破棄だなんて」

「君には悪いと思ってる。だが、俺は自分に嘘はつけない」

「はあ」


 ジュリエンヌは生返事をしてしまい、慌てて口を押さえた。幸い、ベルナールは気にしていないようだ。

 言っては悪いが、ベルナールは家柄、資産、容姿、性格、どれをとっても中の中、見方によっては中の下で、お世辞にもモテるとは言い難い。言い寄られて本気になった、ということはないだろう。

 他に好きな人でもできたのだろうか、とジュリエンヌは小首を傾げた。


「僕はエリザベトと結婚する」

「はあ」


 聞き覚えのない名前に間抜けな返事をしてしまった。ロベールは知っているようで、わずかに肩が上下する。

 しかしロベールは反論も問いかけもなく、婚約解消の書類を粛々と書いて婚約者に渡す。貴族たるもの用意周到であれ、というのがロベールの口癖だが、用意周到しすぎやしないだろうか。


「君の言い分は分かった。だが破棄となると両家の外聞が悪くなる。解消ということで構わないね」

「ええ、構いませんよ」


 ロベールの書いた書類を懐にしまい、言いたいことは言った、とばかりにベルナールが立ち上がり、ジュリエンヌを見下ろした。

 まるで冬の木枯らしのような冷たさの視線に、ここまで嫌われるようなことをした覚えはないけれど、とジュリエンヌは困惑する。


「君とは婚約してからの付き合いしかなかったが、まさかか弱い女性を陰でいじめ抜くような性根の持ち主とは思わなかった。危うく騙されるところだったよ。猫を被るのが上手いんだな」

「え?」


 いったい何を言っているのだろう、とジュリエンヌは眉根を寄せた。言いがかりにもほどがある。


「なんのことです? 私には──」

「言い訳など聞きたくないね。自分の妹をいじめていたくせにシラを切る気か? それを黙認していたロベール殿にも吐き気がする。あなたのような人と義父子おやこにならなくてよかった。エリザベトは連れて帰りますし、あなた達とは絶縁させます。今後、二度と彼女にも、当家にも連絡しないでいただきたい」


 言うだけ言って、ベルナールはさっさと玄関に歩いていってしまう。玄関の扉を開けたところで立ち止まり、蕩けるような顔と声をすぐ横に向けた。


「さあ行こう、エリザベト。これからは僕が一緒だからね」


 そうして、すぐに扉が閉まる。

 ジュリエンヌの脳内は疑問符が踊っているばかりだ。寒気に二の腕をさすりながら父に問いかける。


「あの、お父様。いったい、彼になにがあったんですか? お父様の娘は私ひとりではありませんか。なぜ彼はいもしない妹と結婚するなどと? なぜ誰もいない空間に笑いかけていたのです?」


 ロベールは疲れたように眉間を揉んで、それから長いため息をついた。安堵のまじるそれにジュリエンヌはますます困惑する。


「実はね、ジュリエンヌ。我が家は代々呪われていたんだ」

「え」

「昔々、ご先祖様は魔女に懸想されてしまったそうで」

「魔女」

「ご先祖様は既婚者だったし、子どももいたし。貴女を嫁に迎えることはできません、と丁重にお断りをしたそうなんだが」

「はあ」

「相手は魔女だからね、こちらの事情なんかは知ったこっちゃない。自分は後少しで死ぬのに、今際の際の願いすら叶えてくれないのか、と大層お怒りになったそうで。バイヨ家に呪いをかけんたんだ」


 物語に出てくる悪い魔女そのものの所業である。ジュリエンヌは頭痛を訴えるこめかみを揉みながら問いかけた。


「どんな呪いなんですか?」

「概ね、短命の呪いだね。バイヨ家の者は孫の顔を見られずに死んでしまう」

「そういえば、そうですね」


 ジュリエンヌは早世してしまった家族を思い出す。母方の祖父母は年に何回か手紙でやりとりをしているが、父方の祖父母はジュリエンヌが産まれる前に死んでしまったし、ジュリエンヌの母はジュリエンヌを産んですぐに死んでしまった。

 呪われたままであれば、ジュリエンヌもそう遠くないうちに死んでいたのだろうか。

 冷えた背筋に、思わず自分を抱きしめたジュリエンヌの肩を温めるようにロベールが手を置いた。


「でもいつまでも呪われたままいる訳にもいかないだろう?」

「そう、ですね」

「それで高名な占い師殿にどうにか呪いを解く方法はないかと尋ねて」

「その方も魔女では?」


 このあたりで有名な占い師といえば、煙管の魔女だの、三年寝魔女だのと呼ばれているラルカンジュであろう。

 金銭には興味がなく、気が向かなければ王族相手にだって動かないと言われている怠惰オブ怠惰。占いだけは月に三回はきっちりと客を取っているため、魔女、というより占い師として頼りにされている。 


「まあまあ。それで占い師殿がいうには、魔女が懸想したご先祖様と同じ容姿の人と魔女が結ばれれば呪いは解けるだろう、と」

「それは無理がありませんか? もう魔女はお亡くなりになっているのでしょう?」

「うん。亡くなったあとに取り憑いたんだよね、この屋敷に」

「この屋敷に?!」

「だから我が家は呪われていたというか、取り憑かれていて、それで時期を見極めて当主とその周辺を呪い殺していたんだね」

「初耳ですが?!」


 今までずっと幽霊屋敷で暮らしていたということだろうか。ジュリエンヌは思わず周辺を見回してしまった。もちろん代わり映えのない家の壁や家具しか見えなかった。


「で、ご当主様は紫水晶のような髪色、月に照らされた海のように深い青色の眼、痩せ型、だったというからこの家に招く男性もその辺りを選んで……」


 ジュリエンヌは思い出す。

 そういえばお見合いの相手は爵位は様々だったが、どちらかといえば子爵家のバイヨ家よりも下位の男爵家が多く、必ず家に招いてもてなし、ロベールの言うようなカラーリングの男性ばかりだった。


「魔女が一番気に入ったらしいのが彼だったんだよね……」

「はあ……」

「それで、うちに来てもらう機会を増やすためにジュリエンヌの婚約者にして……」

「あの、お父様……」

「まさか、本当にうまくいくとは思わなかったなあ。嫁入りの形でこの家から連れ去ってくれるなんて、いい子だったなあ……。混乱とか狂乱とか洗脳とかされてそうだったけど」

「お父様、もしかしなくても、ベルナールを生贄にしました?」

「うん」


 いい笑顔で答えた父に、この世で怖いのは人間だな、とジュリエンヌは思った。

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本当は怖い婚約破棄 結城暁 @Satoru_Yuki

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