第20話 【聖女様の弟子入り志願】

 

 厄介ごととは前触れもなく訪れる。


 その日、俺の診療所の前に猛スピードで走って来た馬車が停まると、その中から瀕死の女が診療所へと運び込まれて来た。


「……聖女様」


 それは5年ぶりに見る聖女であり、その身体には大きな穴が空いていた。


 よく生きていると思ったが、どうやら聖女が自分で自分の身体に治癒術を使い続けて延命を続けているらしい。


「どうか、どうか聖女様をお救い下さい!」


 そうして聖女を運び込んで来た聖女の従者と思わしき者は俺に対して土下座する勢いで頭を下げて頼み込んで来た。


「やれやれ」


 本来、俺には聖女を助ける義理などないのだが、なんの因果か今の診療所にはユツキだけでなくカツキの姿もあった。


 前にも思ったことだが、愛娘の前で父親である俺が助けを求める者を見捨てるような姿を見せる訳にはいかない。


(聖女も運が良いことだ)


 結果、俺は渋々聖女の治療を開始することになった。






 どうも聖女は身体に穴を空けられてから2週間近くも馬車で移動しながら自分で治療を続けていたらしく、色々と消耗して意識混濁の状態に陥っていた。


(妙だと思ったら身体から賢者の石を抜き取られてやがる)


 本来の聖女の実力なら自分で完治出来るはずだったが、力の源である賢者の石を抜き取られて治癒術が本来の力を発揮出来ていなかったようだ。


 その結果、聖女は延命するだけで精一杯の状態になり、ここに来るまでの間に瀕死の状態になってしまったらしい。


(これは俺以外だったら治療は不可能だったな)


 逆に言えば俺なら治療出来る訳で、俺は手早く聖女の身体に空いた穴を再生魔術で塞いで、ついでに消耗した体力も回復させてやる。


「は……ふぅ」


 その瞬間、朦朧と意識のまま続けていた治癒術を中断して――聖女は気絶した。


「聖女様!」


「気を張っていた意識が、身体が治ったことで途切れて気を失っただけだ。明日には目を覚ますだろうよ」


「そ、そうでしたか」


 傍に居た従者が焦るが、俺が聖女の現状を正しく伝えてやると安堵の為か崩れ落ちた。


 どうやら、こいつも不眠不休で馬車の手綱を握っていたので限界だったらしい。


 そうして気絶した人間が2人に増えて……。


「こいつら、どうすっかなぁ」


「ベッドが足りないね」


 ユツキと一緒に、どうするべきか悩むことになった。




 ◇◇◇




 翌日。


 予想通りに目を覚ました聖女は……。


「助けて頂いたこと、感謝いしますわ」


 俺に向かって三つ指ついて頭を下げて来た。


 前にも思ったことだが聖女の割に随分と腰の低い女である。


「頭を上げてください。聖女様をお助けするのに否はありませんから」


 本当はカツキの目があったから見捨てられなかっただけだが、建前上はそう言っておいた。


「わたくしは、もう聖女ではありませんわ」


「へ?」


「聖女を聖女たらしめている大事な物を奪われてしまいましたもの」


 そう言って胸に手を当てる聖女。


 会うのは5年ぶりだが聖女の姿は5年前と変わっておらず、どうやら賢者の石で若さを保っていたようだが、同時に胸のサイズも成長していなかった。


 ぶっちゃけ、聖女はアルビノだからなのか成長が遅く、その大きさは精々Bというところだった。


 昨日の治療の際に直接見たから間違いない。


 美女ではあると思うが、大きいの大好き主義の俺からすると物足りない大きさだった。


 まぁ、聖女が言いたいのは胸の大きさではなく、抜き取られた賢者の石のことを言っているのだろうけど。


「クルシェ様なら御存じですよね? わたくしの身体の中に存在していた魔力を増大させる不思議な石を」


「……ええ、まぁ」


 聖女に診察魔術を教えたのは俺だし、ここで知らないというのも不自然過ぎるので俺は頷いておいた。


「わたくしを害した暗殺者の目的は、あの不思議な石だったようです。あの石を失ったわたくしは、もう聖属性の魔力を持つ唯の女ですわ」


「聖属性を持っているなら、それだけで特別だと思いますけど」


 実際、聖女が聖属性じゃなかったら、ここまでの2週間の旅路に耐え切れなかっただろう。


「というか、あんなのを奪い取って何をする気なんですかね?」


「なにって、魔力を増幅するのに使うのではありませんか?」


「いや。無理でしょう」


「???」


 俺とユツキとカツキ。


 3人分の賢者の石を調整した俺だから分かることだが、賢者の石は使用者用に調整しなくては使い物にならないのだ。


 聖女の身体の中にあった賢者の石は当然、聖女用に調整されている筈なので聖女以外に使えるようには出来ていないのだ。


 そういうことを聖女に説明してやったのだが……。


「そ、そうだったのですか? 知りませんでしたわ」


「…………」


 どうも自分の身体の中にあったというのに、賢者の石に関してはあまり研究対象にして来なかったらしい。


 まぁ、聖女自身が不思議な石とか言っているくらいだし、不思議だけどそういうものと思考停止して考えるのを止めてしまったのだろう。


 こういうところは俺とユツキなどの転生者とは違うのだと感じる。


「それでは、彼らは何の為にわたくしから石を奪ったのでしょうか?」


「単純に使えないって知らなかったのでは? もしくは奪ってから研究するつもりだったとか」


「な、なるほど」


「…………」


 どうも聖女という名前に騙されていたが、この女はあんまり頭が良くないらしい。


 どうして俺が賢者の石の詳細を知っているのか? とか突っ込んで聞いて来ないし。


 ちゃんと回答も用意しておいたのに、がっかりだ。


「それで、わたくしはこれからどうすればいいのでしょうか?」


「どうすればって、治ったんだから帰れば?」


「あの石がなければ、わたくしはもう聖女として働くことは出来ませんわ」


「そうなん?」


 アルビノで聖属性なのだから、黙っていれば分からないと思うのだが。


「ですが、わたくしは人助けを止めるつもりはありませんわ」


「お、おう」


「ですから、わたくしが出来ることを」


「?」


「クルシェ様の下で弟子として治療をさせていただきますわ」


「…………は?」


 この聖女、なんか意味不明なことを言い出したんですが。


「いやいや。俺の診療所は人手は間に合ってますから」


「本当に?」


「…………」


 はい、嘘です。全然、間に合っていません。


「わたくしは祖国に帰ってから今まで、ずっとクルシェ様が何処で何をしているのかという報告を受けていましたわ」


「マジかよ」


 この聖女、ストーカーかよ。


「だから、最近のクルシェ様がいかに忙しくされていたかも知っていますわ」


「お、おう」


「わたくしではクルシェ様ほどの活躍は出来ないかもしれませんが、それでも聖属性の魔力を持っておりますから、少しはお役に立てるかと思います」


「…………」


 ヘルプミー、ユツキさん。


「もう面倒だし、作ってあげればいいんじゃないかな?」


「……そっすね」


 というわけでユツキさんの許可の元、聖女用の賢者の石の製作が決定した。




 ◇◇◇




 2週間後、調整が終わった賢者の石を聖女に進呈した訳だが……。


「あなたが神ですの?」


「なんでやねん」


 どっかの新世界の神の如く何故か聖女に神認定された俺が拝まれるという珍事があった。


「兎も角、それがあれば国に帰っても聖女でいられるだろう?」


 勿論、今度は体内ではなく首から掛けるネックレス型なので奪われるリスクは上昇したが、そこまでは面倒見切れん。


 そもそも、奪われても聖女用に調整してあるので聖女にしか使えないのだから、奪われたならまた俺のところに来れば作ってやる。


 そういうことを説明してやったのだが……。


「あなたが神ですわ」


「だから、なんでだよ」


 こんなことで神認定されても俺が困るだけなんだが。


「どういう根拠でそんなこと言うんだよ」


「なんとなくです!」


「根拠ゼロ!?」


 言いがかりじゃねぇか!


「兎も角、ここまで恩を受けてしまっては簡単に帰るわけには参りませんわ。今後はクルシェ様のシモベとしてわたくしはお仕え致します」


「えぇ~……」


 この聖女、帰る気ゼロなんですけど。


「あなた、私は愛人や妾は認めませんからね」


「大丈夫だよ。俺はおっぱいの大きい子が好きだし」


「がぁ~ん!」


 ユツキの苦言に俺が余裕で応えたら聖女はわかりやすくショックを受けていた。


 妻子持ちの俺の愛人ポジションを狙うのは止めてもらいたい。






 その日の夜、皆で食卓を囲むことになったのだが……。


「んぅ~♪ やっぱりご飯は美味しいですね」


 その席には山盛りのご飯を笑顔で頬張るユツキさんがいた。


「「「…………」」」


 同席しているキリエ、アルカティア、聖女の3人はドンドン減っていく丼飯を唖然とした表情で見ていた。


「ママ、しゅご~」


「うふふ。カツキも沢山食べて大きくなるのよ」


「あい!」


 カツキはユツキを見習ってパクパクご飯を平らげていく。


 将来有望なカツキだし、きっと大きくなったらユツキ似の巨乳美女になるだろう。


「あれが秘密なのか? 私もあれくらい食べれば胸が大きくなるのか?」


「いや。普通に考えて大きくなるのは胸より先に腹だろ」


 キリエの問いに俺は冷静に答えた。


 こと食欲に関してはユツキさんは普通ではないのだ。


 食べた栄養が全部胸に行く――と言ったら語弊があるかもしれないが、実際に食べても太らない不思議な体質なのだから。


「くっ! 可能性があるなら試してやる! 私にもおかわりを頼む!」


「……わたくしもお願いします」


「わ、わたくしは倍でお願いしますわ!」


 キリエと筆頭にユツキに対抗するべく茶碗にご飯を盛る女性3人。


 茶碗の時点で丼のユツキには叶わないんですけどね。


「俺には体重が増えて泣く未来しか見えないんだが……ごふっ!」


 途中、余計なことを言ったベルガの顔面にシャモジが直撃して沈黙した。


 女性に体重の話は厳禁だと習わなかったのだろうか?


(どうでもいいけど、こいつらはいつ帰るんだ?)


 家族の団欒に混じって普通に邪魔なんだが。




 ◇◇◇




 その後、かたくなに祖国へと帰ることを拒否した聖女は結局、ウチの診療所で助手という立場で雇うことになってしまった。


「…………」


 どうせなら、例の新型の影響でブラックな労働環境だった頃に来てくれれば少しは助けになったのに。


「それじゃ聖女様には……」


「セルティオ=アーガスレディアですわ」


「……はい?」


「わたくしはもう聖女ではありませんし、名前で呼んでくださいませ」


「…………」


 この女、面倒臭ぇ。


「というか、本当に帰らなくて良いんですか?」


 俺の視線の先には直立不動で聖女に仕える従者の姿が。


「我々が不甲斐ないばかりに聖女様を危険な目に遭わせてしまいました。護衛も全て倒されてしまい、今の祖国には聖女様をお守りする力がないのです。どうかクルシェ様に聖女様を守って頂きたいのです」


「…………」


 どうも聖女の思惑だけでなく、聖女の祖国からの要請ということでもあったらしい。


 そりゃ、暗殺者を簡単に聖女への接近を許して護衛を全滅させられたとか、普通に醜聞でしかないわな。


 そして国では同レベルの暗殺者が来た際に聖女を守れる人材がいないので、代わりに俺が護ってくれと言いたいわけだ。


 その代わりに聖女を助手として扱き使っても良いという契約になる。


(助手、ねぇ)


 どっちかというと、俺の治療を見学させて聖女の実力を底上げしたいという思惑が透けて見えるようだ。


 ちなみに聖女というブランドを守るためなのか聖女の従者は女性だし、住む場所も近所の部屋を借りて診療所へは通いということになる。


 そんな用心をされなくても俺はユツキ以外の女に手を出したりしないけどな。


「こほん。それじゃ診療所ではセルティオと呼ばせてもらう。敬語も省くぞ」


「ティオと呼んでいただいてもよろしいですわよ♪」


「……セルティオな」


 誰が妻以外の女を愛称で呼ぶか。


「それで、セルティオに最初にやってもらうことなんだが……」


「はい!」


「とりあえず、あれを整理しろ」


 俺が指差した先にはセルティオが祖国から持ち込んだカルテの山が積み上げられていた。


「あれはわたくしが今まで治療して来た患者さん達の記録ですわ。祖国に連絡して全部送ってもらいましたの」


「え? あれで全部なの? 少なくね?」


「…………」


「おっと」


 思わず本音が漏れてしまった。


「やはりクルシェ様が所有する記録は膨大な量になるのですね。その上で蓄えられてきた知識、羨ましく思いますわ」


「とにかく、あんなところに置かれても邪魔だから整理しろ」


「畏まりましたわ」


 聖女の最初の仕事は書類整理に決定したのだった。






 当たり前だが聖女の書類整理は1日では終わらなかった。


「ひぃ~ん」


 単に書類を整理して纏めるだけなら兎も角、内容を確認して類似した症状が書かれた書類を見比べて自分で判断して整理しなくてはならないのだ。


 そういう指示を出したのは俺なのだが……。


「単にカルテを積み上げても意味はないんだぞ。これらの記録を整理して過去の記録としていつでも引っ張り出せるようにしないと」


「わ、分かっておりますが、こんなに大変だとは思っても見なかったのですわ」


「せ、聖女様。私もお手伝い致します」


「治療師でもない奴に勝手に判断させるわけないだろうが」


 従者が手伝うと名乗り出たが、これは治療師以外の奴に判断させてはならならない仕事なのだ。


 実際、俺の所有するカルテだって、俺と養父以外の奴には触らせてすらいないのだから。


 これは俺の妻であるユツキも例外ではなく、俺が俺の法則に従って整理しているカルテなので、俺以外の者が触れること自体厳禁なのだ。


 下手をすると全てを最初からやり直しだ。


「これは全てセルティオが自分の法則で書いたカルテだから俺が手伝うことも出来ないしな」


「うぅ。書式を統一しておけば良かったですわ」


「そういうのに関しては統一して書き直しだな」


「ひぃ~ん」


 その日から聖女は書類仕事に忙殺されることになった。


「これはこれでブラックよね」


「最初から整理して書いておけば良かったのに、手を抜くからこうなるんだよ」


 呆れるユツキに俺は肩を竦めて答えるのだった。




 ◇◇◇




 最初は涙目で仕事をしていたセルティオなのだが、時間と共に目から光が消えて黙々と仕事をこなすようになっていった。


 だが、その仕事捌きはロボットのように正確になっていった。


「もう立派な社畜ね。社畜が誕生する瞬間を目撃することになるとは思っていなかったわ」


「俺らもああだったのかな」


 傭兵時代のブラックな労働環境を思い出して遠い目をしてしまう俺とユツキだった。






 聖女の社畜化は兎も角として。


「賢者の石を奪った暗殺者って、何処の依頼を受けていたのかな?」


「まぁ、普通に考えれば帝國だろうな」


 俺とユツキはセルティオの賢者の石を奪った勢力に関して考察を行っていた。


「でも帝國って今は団長さんを相手にしていて余裕がなかったんじゃないの?」


「そうだろうけど、帝國は広いし。色々な勢力がいて、その分野の研究をする機関があってもおかしくないと思うけど」


「聖女様が生きているって分かったら、また襲ってくるのかな?」


「目的が賢者の石だったなら、既に目的は達しているわけだし、よっぽど余裕がないと再襲撃には来ないと思うけど」


 団長と戦う帝國に、そんな余裕があるとは思えない。


「でも暗殺者のプライドとかで、仕留め損ねた相手を許せない、とかはありそうじゃない?」


「プライドのある奴がお喋りで時間を無駄にして、対象に死も確認しない間抜けをやるのか? どう考えても3流だろ」


「……確かに」


 それにユツキには言わないが、きっと拷問好きのサディストだったのだと思う。


 セルティオに図星を突かれてカッとなって手を出してしまったが、本当は時間を掛けてじっくりと拷問して殺すつもりだったに違いない。


 そういう意味ではセルティオは機転が利いたと言えるし、運が良かったとも言える。


「問題は相手が帝國ではない、専用の研究機関だった場合だな。マッドサイエンティストが相手だと常識が通用しないから」


「独自の理屈で動く人って常識が通じないからねぇ」


「そうなんだよ」


 俺も何度かそういうのに遭遇したことがあるが、言葉は通じるのに会話にならないのが苦痛だった。


 そんなのが複数いるような研究所があったら近寄りたくもない。




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