第2話 木星の花嫁
エウロパ。太陽系で二番目の天体木星の衛星で、地殻が存在する惑星。木星の衛星の中でもっともテラフォーミングが進んだ星であるため、木星の中で最も人口が多い星でもある。
しかし男女の人口比率はほかの星と同じく、女性が九割を占めている。
「待ち合わせ場所はここのはず」
宇宙空港から降りて、街の中心地まで片道一時間。実に田舎だ。たいていの星は空港から首都まではたいていリニアで十分で到着するのだが、エウロパは昔ながらの車輪を使ったバスでの移動だった。
『恋愛チャット』という婚活アプリで直接会う約束をしていたのだが、どこを見ても女と犬の顔をした異星人ばかり。エウロパでは異星人間交流が進んでいると聞いたが、異星人が目立っているというのもあるが、これほどの異星人がいるとは予想外であった。
「犬多っ」
ミュラーのつぶやきに異星人が一斉に振り向いた。道端だけでなくオープンテラスでカップを舐めて飲んでいた異星人も舌を止めてまでだ。犬の耳は人の何十倍も遠くの音を聞くとは聞いていたが、この異星人たちもその外見から犬と同じなのか。だとしたらうっかり余計なことはいけないな。
ミュラーは口を押えて待っていそうな人を探すが、やはりそれらしい待ち人はいない。また騙されたのかな。ほかの星を見て回るのも社会勉強だと、母親に大学を休学する言い訳に使ったけど、本当にこのままでは社会勉強のために来ているだけになりそう。
ミュラーの母親はシングルマザー、つまり人工妊娠で産んだ。『白雪姫』や『シンデレラ』などの古典的童話では「二人は幸せに暮らしました」という夫婦の描写があったが、童話のようなことが
いや、家だけでない。クラスの子も母親だけという子が多い。たまに二人いる家の子もいるが、どちらも女性だった。この疑問に母親からは「昔は男女で結婚していた」と聞かされた。
ここまでは子供からの質問に対するテンプレート。そこにミュラーは「お母さんは一人だけで寂しくないの?」と加えた。それに対する返答は「一人は気楽だから。それにミュラーがいるから寂しくないよ」だったが、これにミュラーは人生で初めて母親に反発した。
気楽ってどうして? 私は一人だと寂しくてクラスの子に電話をかけたり、歌を歌って紛らわすのに? 私が産まれる前はずっと寂しくなかったの?
幼稚園から抱いた疑問と反発心は、成長するにつれてより鮮明に、具体化した。
子供は自分の寂しさを埋めるために作らない。私は絶対結婚してから子供を作って楽しい家庭を作る! もちろん結婚相手は男で!
しかし現実は無情であった。シングルマザーの一般庶民のミュラーでは希少な男は引っかかることも声をかけられることもない。
そして約束の時間はすでに二十分を過ぎていた。
『風のシレン:エウロパの都心入口で待っててください。目印に白のレンタカーを先に借りてきて。エウロパの町をドライブしましょう』
何が「風のシレン」か。「嘘です知らん」って評価コメントにつけてやろうか。まったくレンタカー代だって安くないんだから、たまたまエウロパに立ち寄るって書いたらすぐにお誘いのDM来たからすぐ乗った私も悪いんだけど。
このままホテルにでも行こうと車に乗り込もうとしたときだった。
「匿わせて!」
扉を開けた瞬間、ウエディングドレスが飛び込んできた。白い車体とはいえ、カーウエディングと見間違えたのだろうか、と一瞬呆然としたミュラーだが、勝手に乗り込まれては困ると飛び込んできた花嫁を引っ張りだそうとする。
「あの、勝手に乗られると困るんですけど。これ借りものですし、何か事件に巻き込まれたら損害賠償とか請求されるから」
「ミュラーさんですよね。白のレンタカーを借りて待ってていた」
私の名前? どうしてと逡巡するが、一人思い当たる人物を思い出した。
「風のシレンさん?」
「そう、シレン。まずい車出して、空港まで! 早く!」
何がどうなっているかと混乱するが、ちゃんと当人が来てくれたことで無下にするわけにはいかず、言われるがまま車を出した。
車はすぐ首都を抜けて、未開拓状態の灰色の大地が広がる荒野を走り抜けていく。
しかし空港までなんて、DMでは市内ドライブって書いてあったのに。それに……
ミュラーがやる視線の先は、女性特有の立派な二つの双房、どう見ても女性だ。シレンは額からこぼれる汗を拭きながら、カバンからティッシュを取り出して顔の化粧を落とす。現れた素顔は、本当に落としたのかと疑うほどの透き通るような白い肌に頬が木星から発する明かりに反射するほどのツヤが出ていた。
化粧前よりは幼く見えるが、毎日そばかす・ニキビ退治に苦心しているミュラーと比べると雲泥の差。ニキビ跡すらも存在しない美しさ、こんな子がアプリに素顔で登録したらあっという間に潜んでいた男たちが殺到するだろうに。
「え~っと風のシレンさん。誰かに追われてる? 私争いごとに巻き込まれてたくは」
「シレン。本名シレンだからそっちで呼んで。とりあえず空港まで着いたらそこで降ろして」
「ぜんぜんこっちの質問に答えてないんだけど。答えてくれないなら、停めるからね主導権はこっちにあるから」
レンタカーのキーを端末ホルダーから少し浮かせてわざと減速させる。自分に主導権があると脅し程度に揺さぶりをかけたが、それが間違いだったと気づいたのはシレンのカバンから拳銃を取り出した後だった。
「だったら私も主導権握らせてもらうから。キーを抜かずに空港まで走らせてね、ミュラーさん」
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