第3話 おつかい

「編集部」と書かれたドアを一応ノックしてから開けた。

思っていた通り、誰もノックの音なんて聞いていない。

中は思っていたよりも閑散としていた。


「失礼します。制作部の楓月です。お届け物を持って来ました」


まばらな人の合間をぬって、塚地部長のデスクに向かう。

坂本課長から直接塚地部長本人に渡すように指示されたからで、そうでなければドアに一番近い人に預けて帰ってた。


「誰か適当なのに預けたらダメだからな。あそこは忙しすぎて預けたものを渡すのを忘れるやつが多い。わかったな?」


念を押された通り塚地部長のデスクの前まで行くと、部長は誰かと電話中だった。

さすがに黙って置いて行くのは失礼だと思い、電話が終わるのを待ちながら、周りを見渡した。


ここでいろんな本や雑誌が生まれるんだ。


数ある出版社の中で、どうしてもこの鷹ノ井出版で働きたかったのには理由があった。

当時、高校生だったわたしを救ってくれた、久遠遥の小説。それはここから生み出されたものだったから。

久遠遥は、この鷹ノ井出版からしか小説を出していない。

だからここはわたしの聖地なんだ。


「ごめんごめん、待たせたね」


電話を終えた塚地部長が笑顔を見せた。

編集部の部長というから、もっと怖い人を想像していたけれど、塚地部長はふくよかな、感じのいいおじさんだった。


「坂本くんから連絡もらってるよ。わざわざありがとう」


「どうぞ」


封筒を渡し、一礼してからその場を後にしようとした。


「今さ、うちの部署インフルエンザ流行っちゃってて、だいぶ人が足りないんだよね」


世間話……


「そっちはどう? 忙しい?」


「普通です」


「普通」って何……

自分で言っておいて恥ずかしくなるくらいの語彙力……


「ちょっと頼まれて欲しいんだけど、坂本くんには許可もらってるから。AKホテルにいる作家さんとこに、ボイスレコーダー取りに行って欲しいんだ。インタビューした郡山って奴が忘れて来た挙句に、インフルエンザで出社できなくて。他に取りに行ける人員が今いなくてね」


何でわたしに?


「坂本くん、僕の後輩だから頼みやすくて。向こうにはメールで君の名前伝えて、代理が取りに行くことにOKもらってるから」


つまり、わたしが封筒を持って来た時には、もう「おつかい」は決まってたってことになる。


「その作家さん、久遠遥なんだけど、知ってる?」


「はい」


久遠遥! 知ってます! 昨日、新刊の発売日でした! 早速買って昨日のうちに読みました!


「じゃ、お願いね。あ、行く時何か差し入れ買って行ってくれるかな。任せるから」



ずっと大好きだった久遠遥に会える!

久遠遥は、本名・年齢・性別全て非公表、当然顔出しもしていない。

そんな久遠遥に会えるなら、おつかいでも何でもします!

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