第33話(南樺太へ侵攻するソ連軍を屠れ!)

三十三話(南樺太へ侵攻するソ連軍を屠れ!)


勝和20年(1945年)8月9日、ソビエト連邦は対日参戦を開始した。8月11日からソ連軍の南樺太占領に向けた戦闘の火蓋が切られたのである。

「いくらオーバーテクノロジーとは言っても10式戦車だけでソ連軍を追い払えるほど甘くはないぞ」

眼前に迫る敵を前に田ノ浦一佐が呟いた。


矢矧須津香大首領より南樺太防衛体制の構築を命じられた田ノ浦真守は、この日に備えて自衛隊と日本陸軍との連携強化に励み、現代兵器の扱い方も積極的に訓練を行った。

「なぜ、もっと早くこれらの兵器を提供してくれなかったんですか?!」

「帝国陸海軍上層部のお偉いさん方が堅物でね。メンツにかかわるから助けはいらん!と言われたのさ」

この言葉は、半分は本当だがもう半分は田ノ浦の嘘が混じっている。

大日本帝国政府も軍部の中枢を占める人物たちも、札幌民主自由国に対して、再三の支援要請を重ねて打診していた。それを矢矧須津香大首領をはじめとする札幌政府首脳陣があの手この手でのらりくらりとかわしていたのだ。


ソ連を南樺太で屠り、札幌民主自由国の爪痕を残す


その一念が込められていた。それが札幌民主自由国政府大首領『矢矧須津香』の最終目標に戦局の変遷が影響した結果、本人も無自覚なままに目的となにかが入れ替わってしまっていた。


南樺太防衛戦は、勝和20年(1495年)9月5日まで続き、ソ連軍は事実上の撤退をせざるを得なかった。継戦と撤退を自分のメンツとの天秤にかけたスターリン書記長は現場指揮官の責任を強調することで責任を回避した。


一方で、田ノ浦真守たちと旧日本陸軍の混成軍は、ソ連軍を撤退させることには成功したものの被害は甚大だった。


武器弾薬の大半は使い尽くしてしまい、継戦能力は皆無でありソ連軍が強硬姿勢を崩すことなく戦闘行為の継続を選択していたならば南樺太防衛どころか北海道制圧作戦の実行を許しかねない瀬戸際だったのだ。


なにより、これらの戦場の現場指揮官である田ノ浦真守一佐が戦死した為に詳細を語れる人間がもういないのである。

或いは田ノ浦自身が自ら自分の口を封じたのかもしれない。


勝和20年(1945年)10月15日、日本軍の全ての武装解除が終了。名実ともに戦争は終結した。ソ連は南樺太割譲をアメリカ側から提示され、受け入れる形で戦争終結を宣言した。

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