第35話 なにかなんてない

 セリスと話すメイドの声はルリルには聞こえなかったが、慌てた様子から察するに何かトラブルがあったみたいだった。


 セリスはメイドの話を何度か頷きながら聞き。


「分かりました。ルリル新人ネコミミメイド、私は少しこの場を離れます。あなたは私が戻るまで作業を続け、終わったら片付けをして待機をしていてください、よろしいですね」


「……」


「返事はどうしましたか?」


「……」


「返事」


「はいはい、わかりましたぁ」


「ふむ……まぁ良いでしょう。では」


 セリスは呼びに来たメイドに連れられて庭園から離れようとするその途中、ふと脚を止める。


「それと、私がいないからと言ってそのネコミミを外したりしたら、守護竜様にご報告しますのでそのつもりで」


「分かったってば、もうさっさと行っちゃってよ」


 ルリルの七面倒くさそうな返事にもセリスはその表情を変えず、今度こそ呼びに来たメイドと庭園から去って行く。


 その時セリスと連れたって歩いていくメイドがチラリとルリルの事を見る。


 ルリルが気が付くと、メイドは慌ててその視線を外しセリスの事を追いかけていった。


「……ふんっ」


 ルリルはつまらなそうに鼻を鳴らして庭園の掃き掃除を再開した。


 さっきメイドが見せたあの目には見覚えがあった。


 嫌悪と恐怖が混じった侮蔑の目。


 あれと同じ目を今までずっと何度も向けられてきた、今更何か思うような事はない何時ものことだ。


 少しして庭園の掃除が終わった。


 セリスが戻ってくる気配はなく、他にやることもないので言われていた通り掃除用具を所定の場所へと片付ける事にする。


 箒やら雑巾などを抱えながら城内を歩いている道中、前から初老の男が歩いてきた。


 その男は城で働く国務大臣の一人だったが、ルリルは一切興味がなかったのでその名前も顔もすっかり忘れ去っている。


 そんな名前の思い出せないなんとか大臣とルリルがすれ違ったその時、聞こえよがしの舌打ちをルリルは聞いた。


「汚らわしい。どうして女王様はダークエルフなんぞを」


 すれ違った後ろで何とか大臣が聞こえよがしな大臣の罵倒を聞き頭に血が上ったルリルは魔導を使おうとするが直前でそれを思いとどまる。


 無理に魔導を使おうとすれば首の術式が発動し術を維持できなくなる。


「ほんと忌々しい……なんでルリルがこんなこと」


 歯がみと共にルリルの口から零れた呟きが心の中にこだまする。


 少し前までの自分は多くの人がひれ伏し怯え従う圧倒的な支配者だった。他人を見下ろし、従わない奴は力で屈服させるそれがルリルの生き方だった。


 それが今は攫おうとした相手に情けを掛けられた挙げ句、こんな恰好で奉仕活動をさせられて。


 屈辱的な現状を思うと悔しさで泣きたくなる、なんて思っていたら本当に涙が滲んできてルリルは慌ててそれを拭う。


 しかしどれだけ不服だろうと、今はどうしようもない。


 盗賊団は霧散し行く当てがないのは事実だったし、何より守護竜に刻まれた魔導の術式がある。


 守護竜は隠していたが、ルリルはこの術式が自身の動きや魔導を制御する者であると同時に、居場所を特定し追跡するためのものであることに気が付いてた。


 ルリルの事を縛り管理する為の文字通りの首輪、この術式はそう言うものなのだ。


 仮にこの場から逃げ出したとしても居場所は常に筒抜けだ、本来罪人である自分は今度こそ牢獄行きだろう。


 仮にそうならなかったとしても、今後常に守護竜の目に怯えながら生きる生活なんてそんなものルリルは許せなかった。


 だから少なくともこの首の術式をどうにかするまでは、どれだけ屈辱的であろうともここでの生活に甘んじるしかないが、術式の解除方法は未だ糸口すら掴めていない。


「見てなさいよあのざこトカゲ。いつか必ず吠え面かかしてやる」


 せめてもの意趣返しに悪態をつきながら目的地の倉庫に辿り着くと、今度は同じように掃除道具を仕舞いに来た数人のメイド達とかち合った、その中にはさっきセリスを庭園まで呼びに来たメイドの姿もあった。


 関わり合いになるのも面倒だと思い、ルリルはメイド達から見えない場所に身を隠し彼女たちが去るの待つことしたが。


「ねぇ。例のあの子どう思う?」


「あーあのダークエルフ?」


 掃除用具を仕舞いながら話すメイド達の何気ない会話がルリルの耳に届く。


「さっきお姉様を呼びに行ったとき会ったんだけど、もう態度悪いったらなくって、ダークエルフってのは皆あんなんなの?」


「ねー、この前あたし、うっかりぶつかっちゃったんだけど、その時思いっきり睨まれた」


「うわ、最悪。てかぶつかったって大丈夫なの? ダークエルフに触ったら呪いが移るって」


「明日になったら、あんたもダークエルフになってたりして」


「ちょっとやめてよ、冗談でもそんな気味の悪いこと」


 キャッキャ、キャッキャと姦しく話しをしながらメイド達が倉庫から去って行く。


 メイド達が完全に去って行ったことを確認した後、ルリルは持ってきた掃除用具を所定の場所に仕舞い倉庫を後にして、元いた庭園へと戻るとそこにはすでにセリスの姿があった。


「お帰りなさい、用具の片付けご苦労様でした……何かありましたか?」


「は? 別になんにもないし」


「そうですか、では私の勘違いですね。さぁ次の持ち場に向かいますよ」


 相変わらず表情をピクリとも変えずに歩き出したセリスに続いてルリルも歩き出す。


「……ところで、その首のチョーカーですが」


 ピンッと背筋を伸ばし前を向いたまま声を掛けて来たセリスの横顔をルリルはギロリと睨むように見る。


 二人の身長差は倍近くあり必然的にそれは見上げる様な形になる。


「なに?」


「……いいえ、やっぱりなんでもありません」


 そう言ってセリスはそれ以上なにも言わず黙々と規則正しいリズムで歩き、フンと不機嫌に鼻を鳴らしながらルリルもその横顔から視線を外す。


 何かありましたか? 何かなんてありはしない。


 悪口を言われなんの根拠もない噂を流されて、そんなことはことは今まで数え切れない程あった。


 だから今更傷付いたり落ち込んだりしない――してやるもんか……。




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