第16話 応えられなかった期待

 俺は生まれたときから。いや、きっと生まれる前から周囲の人間に期待を寄せられていた。


 親父は有名大学の教授、母は弁護士。


 押しも押されぬエリート夫婦の間に生まれた俺は両親やその周りの人間に大きな期待を寄せられていた。


 きっと両親の様にさぞ才覚に恵まれた子になるはずだろうと。


 だが優秀な両親から必ずしも、優秀な子供が生まれてくるというわけでは無かったらしい。


 俺は生まれてから何をやっても両親の期待に答えることはできなかった。


 色々習い事をさせられたがどれも人並み、受験させられた有名私立中学の試験はあっさりと落第した。


 その結果に両親はどうしても納得できなかったんだろう、全部お前の努力が足りなかったからだと俺を責めた。


 ガキだったその時の俺は、両親の言葉を鵜呑みにしてもっと頑張らなければと子供心に使命感の様な物を感じていたんだと思う。


 それなりの私立中学に入学してからの三年間、正直何をしていたのか今となってはあんまり覚えていない。


 覚えているのは学校の授業が終わった後には毎日の様に塾へと通い、休日には両親が雇った家庭教師の授業を受ける日々。


 勉強漬けの毎日をあの時の自分は何を思って過ごしていたのか、それすらもうよく分からないが両親からの言葉だけは鮮明に思い出せる。


 やる気をだせ、お前ならこの程度のことができない筈がない!


 あなたなら絶対にできる、私達の子供なんですもの。大丈夫、きっとあなたなら私達の期待に答えられる。


 そんなことを毎日の様に言われ続け、それに応えなければならないと、それだけを考えていたような気がする。


 その時の俺は両親の期待に応えなければという使命感だけで動いて、言われた事をこなす事が全てだった。


 同級生の顔なんて誰一人として覚えてないし、運動会だの文化祭だのも何をしていたのか思い出せない。


 楽しいとか辛いとかすらなく、ただ毎日が無機質で機械的に過ぎていく。


 そうして迎えた高校受験、俺は超難関校を受験して、結果はまた落第。


 結果を知った両親は失望したんだろう。


 親父は怒ることもなくただ冷めた目で俺を見て落胆し、対照的に母さんは涙を流しながら俺にすがりつく様に掴みかかった。


 どうして、どうしてあなたはわたし達の期待に答えてくれないの? あなたならもっとできるはずなのに。


 俺には有無を言わせず、ただヒステリックに怒鳴る母さん。


 どうしてだ? 俺はあんたらに言われたとおりに過ごしてきた、それだけじゃだめなのか?


 もっとできる、お前ならできる。


 そう言ってあんたらが期待している息子は、いったいどこの誰なんだ?


 俺は、いったいなんのために?


 その時ぷつりと俺の中で何かが切れる音がした。


「……るっせぇな」


 苛立ちが胸の奥から湧き出て視界が赤く染まった様な錯覚を覚える。


「うるっせぇんだよ! いい加減にしろ!」


 わき出る苛立ちのまま気が付くと俺は母さんを突き飛ばしていた。


 拍子抜けするほど簡単に吹っ飛んだ母さんが壁に叩きつけられる。


 ハッと我に返り、慌てて突き飛ばした母さんをみて、そして何も言えなくなった。


 苦しげに咳き込みながら、胸を苦しそうに抑える母さんとそれに寄り添う親父。


 何か得体のしれない物でも見るような怯えた目で二人は俺の事を見ていた。


 その日を境に俺と両親の親子としての関係は終わったんだと思う。


 両親は俺の事を見なくなった。 俺という息子は二人にとって存在しないものになったらしい。


 別にそれで構わなかったんだろう、なんせ二人にはもう一人可愛い息子がいたのだから。


 俺には歳の三つ離れた弟がいた。


 弟は俺とは違って両親の才能をしっかり受け継いだようで、俺が落ちた難関中学にあっさり合格し成績も優秀。


 そんな弟があの二人は可愛くて仕方ないのは傍目から見ても分かりやすかったし俺との親子関係が終わってから、それはより顕著になっていった。


 飯が俺の分だけ用意されていない事なんて当たり前だったし、両親に声を掛けたところで返事が返ってくることはない。


 あの人達の息子は弟だけになった。


 だから俺は殆ど家に帰る事はなく、いつも独りで過ごした。


 せめてもの親心かそれとも面子を気にしてか、高校の学費だけは出していた様だったが、学校に顔を出すことはしなかった。


 あの日から消えることの無い苛立ちを周りにぶつける日々。


 気にくわなかったり、喧嘩を売ってきた奴らをぶん殴るのは正直気持ちがよかったがそれでも苛立ちが消える事はない。


 この先、俺自身がどうなろうが知ったこっちゃない。


 もう何もかもどうでもよかった。




 すべてを話し終えて、我ながらクソ面白くもない話しだなと自嘲する。


 いったい俺はこんな事を話してどうして欲しかったんだろうか。自分に呆れて思わず苦笑が零れた、その時。


 いきなりお姫様が肩もまだ痛むだろうに俺の事を持ち上げ、そっとその胸の中に抱きよせた。

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