第03話 勇者、高校生になる

 目を開けると、青空が広がっていた。遠くに見える雲が穏やかな風にそよがれながらゆっくりと流れている。太陽の柔らかな光に、雷斗は目を細めた。


(俺は……帰ってこれたのか?)


 そのとき、声がした。


「おい、どこを見てんだよ」


「てめぇ、今の状況がわかってんのか?」


 雷斗は声の主に視線を向ける。茶髪にカチューシャをつけてオールバックにしている輩とダルマのような体型の輩がいた。また、剃り上げの輩も腕を組んで寡黙な表情で立っている。雷斗は、彼らのことを思い出すのに、数秒の時間を要した。


(そういえば、彼らによくカツアゲをされていたんだっけ。名前は……えっと……何だっけ? この五年間でいろんな人に会いすぎて忘れちゃったよ。というか、彼らがいるってことは……)


 雷斗は自分の服装を確認した。高校の制服を着ている。また、胸元には一年生であることを示すバッチがついていた。


 それで雷斗は一つの結論を得る。


(どうやら、あっちの世界へ行く前と同じ時間に戻ってきたみたいだ)


 正確には覚えていないが、彼らからカツアゲされているときに、視界が真っ白になった気がする。だからこの場面は、そのときからの続きということだ。


 そこで気になることができた。魔法が使えるかどうかだ。魔力のような力は感じるので、もしかしたら使えるかもしれない。雷斗が確かめようとすると、カチューシャの男に睨まれた。ダルマ男も鼻息を荒くする。


「さっきから何をしているんだ、てめぇは」


「あんまふざけたことをしているとボコすぞ」


 雷斗はとりあえず、【時間停止タイム・ストップ】を発動してみた。男たちが雷斗を睨んだまま停止し、翼を広げた鳥や落ち葉が宙に固定されている。空を流れていた雲も動きを止め、太陽も沈むのを止めたように見える。【時間停止タイム・ストップ】は、問題なく発動できた。


(ただ、ちょっと慣れていない感じがするな)


 雷斗は自分の胸を抑える。短距離を走った後のような心拍。この感覚は、魔法の発動に慣れていない時に起こりがちな現象だった。


(まぁ、いい。魔法が使えることがわかったんだとしたら、今度は動きを確認してみよう)


 雷斗が短く息を吐くと、世界が再び動き出す。男たちはより威圧的に目を鋭くするし、鳥は空を舞い、落ち葉が山に積もった。


「あのさ――」と雷斗は顔が近い二人に微笑みかける。


「口、臭いよ。ちゃんと歯を磨いた?」


「てめぇ!」


 カチューシャの方が、殴りかかってくる。そうだ。この男は血の気が盛んだった。そんなことを思えるほどには余裕をもって、その攻撃を受けることができる。


 雷斗はカチューシャの男が突き出した拳を左手でいなし、右手の掌底で顎を打ち抜く。カチューシャの男が糸の切れた人形のように膝から落ちた。


(あ、やべっ、やりすぎたか)


 雷斗は慌てて脈を探る。大丈夫。死んではいない。念のため、頭に触れて【光学分析スキャン】を発動する。脳に、異常があるようには見えない。少なくとも、異世界の基準なら問題ない状態である。


(まぁ、大丈夫だろ)


 雷斗はそう結論付け、立ち上がった。自分に対し、畏怖の念を向けるダルマ男と剃り込みに気づく。


(もうちょっと確かめてみようかな)


 雷斗は男たちに対し、挑発的な笑みを浮かべる。


「で、今度はどっちが相手をしてくれるんだ?」


「な、舐めてんじゃねぇぞ、雷斗のくせに!」


 ダルマ男が突進してきた。雷斗は異世界仕込みの格闘術であえてその突進を受ける。ぶつかり稽古をしている相撲レスラーのように二人はお互いの体をぶつけたまま動かない。


「な、なんだこれぇ!?」とダルマ男が絶叫する。


「い、岩みたいじゃねぇか!?」


 ダルマ男の言葉で、雷斗はにやりと笑う。確信した。格闘術も問題なく使える。しかし、問題はあって、筋力は召喚前と同じ状態だった。だから、この男を純粋な力だけで持ち上げることができない。


 そこで雷斗は、格闘術の合気道めいた技を使い、少ない力でダルマ男を壁にぶん投げる。


「ふぎゃっ」


 ダルマ男は壁にぶつかった衝撃で、そのまま気絶した。


「さて――」と雷斗は手についたゴミを叩いて、剃り込みに向きなおる。


「残りはあんただけだけど、覚悟はできているか?」


「くっ」


 剃り込みはボクシングの構えをとった。ボクシングの経験があることは、その構えからわかる。しかし、恐れるほどの相手ではないことも、その構えからわかる。


 ――そして、数秒後。剃り込みは雷斗の足元で気絶していた。


(筋力以外は、問題なさそうだ)


 異世界では、スキルや記憶は魂に紐づいているため、肉体が異なっても、魔法などは使用できると言われており、図らずも、それを実証することができた。


 魔法が使えることに安どしつつ、雷斗は一抹の寂しさも覚える。自分が元の世界へ戻ってきたことを実感したからだ。雷斗が紡いだ五年間の物語は記憶の中にしか残っていない。


(ショウメイ……)


 彼はあの後大丈夫だったのだろうか。空に問いかけても、答えてはくれない。


(まぁ、でも、ショウメイなら大丈夫だろう)


 ショウメイほどの聡明な漢ならうまくやっているに違いなかった。


(それよりも、問題は俺の方だ)


 この五年間、刺激的な毎日を送ってきた。そんな自分が、いまさら普通の学校生活で満足できるのだろうか。


(難しいだろうな……)


 魔法が無いこの世界に、自分の楽しみと呼べるようなものは無い。


 ――少なくとも、この時点ではそう思っていた。


 雷斗は、たいして期待していなかったが、何気なく【魔力探知マジック・サーチ】を発動した。


 そして、眉が動く。


 反応が――あった。


 この世界にも魔力がある。


 ただ、雷斗が知るそれとは微妙に違うため、ちゃんと調べる必要はありそうだが。


 それでも、その事実に、雷斗はにやりと笑う。


 この世界でも魔法が楽しめそうだ。


(まずは、魔力の正体に調べてみるか。というか、この学校でのことも思い出さなくては)


 雷斗が校舎へ戻ったとき、渡り廊下に人がいた。線の細い眼鏡を掛けた男である。雷斗はその顔に見覚えがあった。確か、担任だったはず。


(ネズセン、だっけ?)


 ネズミみたいな顔つきをしていることから、そう呼ばれていたことを思い出した。


 雷斗は、ネズセンに軽く会釈して、その場から去ろうとした。


 が、ネズセンに声を掛けられる。


「照栖君」


「はい。何でしょうか」


「厄介ごとは止めてくれないか」


「厄介ごと、ですか?」


 雷斗は小首を傾げる。厄介ごととは何のことだろうか。雷斗の反応に、ネズセンは苛立ちを露わにする。


「佐藤たちのことだ」


「佐藤?」


 そこで雷斗は、先ほどの茶髪たちのことを思い出す。そういえば、茶髪の苗字は佐藤だった気がする。


「ああ、さっきの。ってか、あれを厄介ごとと言うのは、教師としてどうなんですか? 本来なら、先生が止めるべき事態ですよね?」


 ネズセンが忌々しそうに唇を噛み、睨んできた。


(あ、やべ)


 そこで雷斗は失態に気づく。勇者だった時の調子で、思わず正論を言ってしまった。しかしこの世界での雷斗は、大人の言うことに従う真面目な生徒だったから、例え自分が悪くなくとも、自分に責任を感じて黙らなければならなかった。


(でも、いまさら、そんな生活に戻りたくないし)


 だから雷斗は、強気に微笑み返す。するとネズセンは、舌打ちして背中を向けた。


 教師とは思えない態度に、雷斗は苛立つが、次の瞬間にはどうでも良くなった。


 この五年で、おかしな人にはたくさん会ってきたから、いちいち目くじらを立てたりしない。


(まぁ、いいや。あんな奴のことは忘れて、さっさと魔力の正体を探しますか~)


 雷斗は鼻歌でも歌いそうな穏やかな表情で歩き出した――。


☆☆☆


 ――教室。


 昼休みも終わりに近づいていたが、教室には、まだご飯を食べている者、スマホのゲームで盛り上がっている者、午後の授業の課題を教え合っている者、談笑で盛り上がっている者など、いろんな人たちがいて、雑多な雰囲気に包まれていた。


 雷斗は、窓側にある自分の席に座って、その光景を眺めていた。


(懐かしいな。この感じ)


 異世界に召喚される前は、煩わしく思っていた教室の喧騒も、今は余裕をもって楽しむことができる。


 そして雷斗は、一人の女生徒を観察する。艶のある長い黒髪で、整った顔立ちの少女。このクラスのアイドル、いや、この学校のアイドル、女美唯奈おなみゆいなだ。五年ぶりに見たが、相変わらず可愛い。雷斗は彼女のことが気になっていた。


(改めて見ると、リリスに似ている)


 彼女の横顔にリリスの面影が重なり、雷斗は切なくなる。


(……って、違う。そうじゃない)


 雷斗は頭を振る。雷斗が唯奈を気になる理由は、彼女から魔力を感じるからだ。彼女が特別なのは、見た目だけではないらしい。


(何とか、話を聞けないかな)


 存在感のある可愛い人で、カースト最底辺の雷斗は、一度も喋ったことが無い。だから、声を掛けようにも、その方法が思いつかない。


(リリスだったらなぁ)


 雷斗はぼやき、慌てて頭を振った。


(ここはもう異世界じゃない。切り替えていかなくては)


 雷斗は声を掛ける方法について考える。中々良い案が思いつかないので、異世界でのやり方について思い返してみる。異世界だと、女性関連のことは、ショウメイのイケメンパワーで何とかしていた。だから、ショウメイさえいれば、何とかなるのだが……。


(……って、まーた、異世界のことを考えているよ)


 雷斗は自分に呆れるが、それも仕方がないことではある。雷斗にとって、異世界で過ごした時間は、それほどまでに濃密な時間だった。

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