第02話 勇者、帰還する

 ――北国の端にある『召喚の神殿』。


 標高が高い場所にあるその神殿には、薄く雪が積もり、深い夜の中でぼんやりと浮かび上がるような存在感を示していた。入口の脇にそびえる二体の石像も、冬の寒さに臆することなく、優雅な出で立ちで鎮座している。


 その神殿の前に、二人の男が現れる。雷斗とショウメイだ。雷斗が得意とする【瞬間移動テレポート】で、ノース・セントラル・タウンから一瞬で移動したのだった。


「うえっ」とショウメイはえづく。吐く息が白く、その顔色は青い。


「最後まで慣れることはなかったな」


 雷斗は苦笑する。


「むしろ、これに慣れているライトの方がおかしい」


 ショウメイは忌々しそうに言った。【瞬間移動テレポート】は、三半規管への負担が大きいため、酔ってしまうことが多い。だから、【瞬間移動テレポート】を使っても平気な雷斗の方が珍しかった。


 雷斗は目の前の神殿を見上げる。五年ぶりの神殿だったが、あのときの驚きが昨日のことのように思い出される。


「おい、ライト、足元を見ろ」


 ショウメイに言われ、雷斗は足元を確認する。雪の上に複数の足跡があった。一つや二つではない。多くの人間がこの場所に足を踏み入れた形跡がある。雷斗は空を見た。分厚い雲からは、細かい雪が気まぐれに降っている。


「……この足跡が消えていないと言うことは、この辺にまだいるかも」


「ああ。気を引き締めよう。……と思ったが、あちらさんからお出ましのようだ」


 ショウメイが鋭い視線で睨み、雷斗も目を向ける。


 神殿の入口からこちらに向かってやってくる黒い一団がいた。


 その先頭にいた人物を見て、ショウメイは怒りを露わに、雷斗は寂し気に眉尻を下げた。


「やはり、ここに来たね」


 黒い三角帽子を被り、黒衣を着た若い女性が微笑む。彼女は、『西の魔女』の異名を持ち、西国で『賢者』の称号を得たばかりの魔法使い――リリスだった。彼女は、雷斗たちとともに旅をした仲間であり、二人にとっては、盟友と言っても過言ではない人物である。


「リリス、お前もか」


「安心してよ。私はべつに、あんたたちを殺しに来たわけじゃないから。ただ、交渉に来たの」


「交渉?」


「うん。雷斗――私と結婚しなさい」


「な、なにぃ!?」と驚いたのはショウメイである。


「け、結婚だと!?」


「うん。それが、最善かなって。私と結婚すれば、西国から命を狙われることは無くなる。当然、東国は怒り狂うだろうけど、雷斗がいれば下手には手を出せない。南国も指を咥えて見ていることしかできないでしょうね」


「北国はどうするんだ? 我が国王が許すとは思えんぞ」


「それは、雷斗が何とかしなさいよ。それくらいできるでしょ?」


「お前なぁ」とショウメイは呆れる。


「賢者のくせに、やはりアホというか、詰めが甘いと言うか……」


「むっ」とリリスは頬を膨らませた。


「アホ言うな。ショウメイ、あんたは打ち首だから」


「なぜ、私だけ!?」


「どうかな。雷斗?」


 リリスの熱のこもった視線に、雷斗は笑みを返す。――ポケットの中で左手を強く握りながら。


「一つ聞かせて欲しい。どうして、俺たちがここに来ると分かった?」


「わかるよ。あんたたち――いや、雷斗が考えることくらい。それくらい、私たちは一緒にいた」


「……そうか。嬉しいよ。リリスの提案も」


「じゃあ」


「だけど、リリスもわかっているんだろう? 俺がその提案に何と返すかなんて」


 雷斗の問いかけに、リリスは諦めたように肩を竦める。


「……そうね。でも、大丈夫。無理やりにでも、認めさせるから!」


 リリスが凛々しい顔で杖を構え、後ろにいた兵士たちも武器を抜いた。


「くっ、この脳筋が!」


 ショウメイも杖を構えようとするが、雷斗は手で制し、リリスを見つめる。


「リリス。ありがとう。さっきも言ったけど、俺はリリスに思われて嬉しいよ。だって、俺も――」


 そのとき、リリスの瞳に動揺が走るのを雷斗は見逃さなかった。すかさず、【閃光フラッシュ】を発動し、強い光でリリスたちの視界を奪った。


「しまっ、目がっ」


「行くぞ、ショウメイ」


「お、おぅ!?」


 雷斗はショウメイの右肩に手を置くと、【瞬間移動テレポート】を使って、リリスたちを追い抜き、神殿の入口に移動した。


「おっぷ」とショウメイが口を押える。ショウメイに【閃光フラッシュ】は効かないが、【瞬間移動テレポート】による三半規管への負担は免れない。


「急にそれを使うな!」


「行くぞ!」


 雷斗はショウメイを引っ張って、神殿の中に入った。


「早く、二人を!」


 リリスの号令とともに、目を抑えていた兵士たちも神殿内部に向かって走り出す。


 リリスたちの接近を背中で感じながら、二人は先を急いだ。本音を言えば、『召喚の間』まで【瞬間移動テレポート】を使いたいところではあるが、これ以上、ショウメイに負担を強いるわけにはいかない。


「……良かったのか?」


 隣を走るショウメイからの問いかけに、雷斗は小首を傾げる。


「何が?」


「リリスのこと」


「ん。まぁ、これもまた運命さだめさ」


「そうか」


 背後から迫る圧が強くなり、ショウメイは鋭い目つきで振り返る。


「奴ら。早いな」


「俺の【閃光フラッシュ】への対策もしっかりしていたということだろう」


「……なら、奴らの足止めは私が引き受けよう」


 ショウメイが立ち止まって、振り返る。


「え、でも」


「案ずるな。すでに準備は終えている。このまま進めば、元の世界へ帰れる」


「いつの間に」


「このショウメイ、常に先を見据えて何個も策を用意している。当然、こうなることも想定済みだ」


「……流石だな」


「さぁ、行け! 雷斗!」


「ありがとう、ショウメイ! 最高の相棒だったよ!」


 雷斗が駆け出し、その気配が遠くなっていく。


「最高の相棒、か……」


 ショウメイはその言葉を噛み締めるように呟く。


「そう言われると、私も別れが寂しくなるというもの」


 ショウメイの目尻に、きらりと哀惜の念が浮かんだ。


 しかし、すぐさまそれを拭い取ると、気合を入れ直す。


 おとこショウメイには、最愛の友のため、死を全うする覚悟があった――。


☆☆☆


 ――ショウメイと別れた後も、雷斗は走り続けた。


 雷斗が奥へ進むたびに、暗かった通路に光が灯って、雷斗を導く。


 雷斗は、走りながら、この世界でのことを思い出していた。


 初めてショウメイと会ったときのこと。リリスと出会い、戦いの末、仲間になったこと。劣勢の状況で現れたジオルがとても逞しく思えたこと。そして、その他旅の思い出が走馬灯のように駆けていく。


(もしも、俺に力が無かったら――)


 そんなことを考えてしまう。もしも、魔王を倒せるほどの力が無かったら、違った未来があったかもしれない。


 しかし――。


「ごほっ」


 口から漏れる血がその考えを否定する。


 力の大小ではない。これが自分に課せられた運命なのだ。救世主と言えど、その運命に抗うことはできないらしい。


 目の前に眩しいほどの白い光が現れる。


 旅の終わり。


 長いトンネルの向こう側にある世界に帰るため、雷斗はその光に飛び込んだ――。

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