第7話
翌日、俺は普段通り自室のベッドで目を覚ました。
仕事があるわけでもなく、目覚ましのアラームをかけたわけでもないのに午前七時きっかり。
元々規則正しい生活を送るタイプではなかったが、パンデミック後は娯楽が少なすぎて逆に早寝早起きが習慣付いていた。
とはいえ、昨日は色々あったので疲れは抜け切っていない。
たまには二度寝もいいかと寝返りを打ったところ、俺を見つめる無感情な視線と目が合った。
「……何してんの?」
「…………?」
ベッドの縁に顎を乗せながら、せいぜい十代中頃くらいにしか見えない元婦警さんのグール――ユズは、そろそろ見慣れてきた仕草でこてんと小首を傾げた。
可愛い……が、今回ばかりはちょっと看過できない。
「……正直ビビるから勝手に部屋に入らないでくれ」
腐っても――いや、言葉通りの意味ではなく――彼女はグールだ。
食肉衝動も完全にはなくなっていないようだし、寝込みを襲われたら成す術がない。
ユズはしばらく黙っていたが、不承不承といった感じで頷いた。
……客観的に見て、俺は不細工というほど顔が悪いわけではないが、特に容姿が優れているわけでもない。何が楽しくて、こんな特徴もない平凡顔を眺めてたんだか。
まさか、美味そうだなーとか思ってたわけじゃ……いや、やめよう。
これから一緒にやっていこうと決めたパートナーだ。
彼女は俺を信用してくれたし、俺も彼女を信じよう。
「……朝飯にするか」
頭を振って身を起こし、リビングに向かう。
朝飯は昨日炊いた米の残りとツナ缶。
欲を言えばマヨネーズを加えてツナマヨにしたかったが、今家にあるのは、賞味期限がだいぶ前に切れた開封済みのマヨネーズだけだ。
製造日がパンデミック直前くらいのものならまだ食えるだろうから、そのうち見つけられることを願う。
ユズにはフルーツミックスの缶詰をあげた。
一応ツナ缶も一口ほど小皿に盛って分けてみたが、カレーと同様味はしなかったようだ。
カレーと違って香辛料も使ってないのに、不思議な話だな。
二人揃って完食してから、改めて今後のことについて話し合う。
彼女は言葉を喋ることができないので、方針や決め事はあらかじめ擦り合わせなくてはいけない。
「まずは改めて、お互いができることについて確認するか」
素直に頷くユズの前に、浄化のアミュレットを置く。
「俺はこいつを結界を出してグールを浄化――消し去ることができる。……たぶん、お前も光に触れたら浄化されると思うぞ」
アミュレットに手を伸ばした体勢でピタッと固まるユズ。
……いや、今は魔力を通してないから平気だけどな。
「アミュレットに光を纏わせるだけなら一日中でもできるが、最大量の魔力で――2、3メートルの結界を展開するなら一日3分程度が限界だ」
昨日の朝までは約2メートルが限界だったが、昨日の一件でそこそこ魔力は増えていた。
検証はできていないので曖昧に言っておく。
「極力結界は広げないようにするが、グールに囲まれたりしたら遠慮なく周囲に展開する。その時は絶対に近づかないでくれ」
アミュレットに少し多めの魔力を込め、手のひらを覆うくらいの結界を展開してみせると、ユズはブンブンと大袈裟なくらいに首肯する。
……この分なら事故が起きる心配はなさそうだな。
「あとは……そうだな。こんなこともできるぞ」
手のひらを上に向け、その上に小さな圧縮した魔力の線――それを操作して作った輪っかを現出させる。
ここ最近の練習の成果だ。
「この線で魔法陣を描ければ魔術が使える……はずなんだ。グールを浄化して魔力を増やしてる理由の一個がこれだ」
ユズは心なしか目を輝かせて……いや、光が反射してるだけか。とにかく感心した様子で魔力の輪っかを見ていたが――
「…………?」
ふと俺を見て不思議そうに小首を傾げた。
……まあ当然疑問に思うよな。
俺だって魔法なんて実在すると思ってなかったし、現代日本にこんなことできるやつがいたら普通に目ん玉飛び出るわ。
「……知り合いの魔法使いに色々教えてもらったんだ。このアミュレットもその人から貰った」
尾道村や異世界のことを話すと長くなるので、かなり端折った内容を伝えると、ユズは理解したかしてないか分からないような顔で頷いた。
「俺ができるのはこれくらいだ。あと、運動は得意じゃないから、荒事は手伝えないぞ」
学生時代は運動部だったものの、万年補欠だったし、喧嘩だって一度もしたことがないからな。
さて、次はユズの番だ。
そろそろこの首肯と首振りだけのコミュニケーションにも慣れてきた。
基本的にはイエスとノーがハッキリしている質問を投げかけ、時には某ランプの魔人アプリのように答えを推理し、得られた情報をまとめていく。
ユズは通常のグールと同じように、異常な身体能力と頑丈さを持ち、飲まず食わずでもずっと行動し続けることができる。
アルさん曰く、グールをはじめとする魔物は大気中に漂う魔力――魔素をエネルギー源としているらしい。
普通の魔物は人間と同じように休息することで消耗を抑えているが、グールは不眠不休で動ける代わりにより多くの魔素が必要らしく、足りない分を食事で補っているのだそうだ。
ちなみに、人間の魔力が回復するのもこの魔素のおかげで、地球のグールたちが活動を停止しないことも含め、地球にも魔素が存在するという証明でもある。
目に見えないから自覚はないけどな。
そんなわけで、昨日は睡眠の必要がない彼女が夜間の警戒を買って出てくれたわけだが、今朝起きた時には俺の自室で寝顔を眺めていた。
まあグールの気配は事前に察知してくれるから別に……よくはないか。俺の精神衛生上。
あと、人外の怪力と引き換えなのか、手先を使う細かい作業は絶望的で、生前に得意だった料理や、部活としてやっていた弓道が全くできなくなっているらしい。
せっかく同じ屋根の下なのに、料理が得意な美少女の手料理が食べられないことを少し残念に思うが……グールの手料理って色々と大丈夫なのか? と思わなくもないので納得しておく。
「よし、それじゃあ最後に……グールの探知能力のこと聞いておきたい」
正直言って、これが彼女に一番期待している能力だった。
「具体的に探知できる範囲についてだが……ここからどこら辺までだったらわかる? この町一帯……大体半径一キロ以内にグールがいるかわかるか?」
ユズは視線を宙にさまよわせ、小さく頷いたあと、ゆっくり首を横に振った。
……なるほど、気配は察知できるが、この町にグールはいないと。
「じゃあ、昨日いたホームセンターあたりまでだったらどうだ?」
流石に無理だろうと思ったが、予想に反してユズはあっさりと頷く。
……おいおい、マジかよ。三キロは離れてるのに。
「それじゃあ……一番グールの反応が多いのはどこだ?」
そう問いかけると、ユズは再び視線をさまよわて……顔を横に向けて南の方を指さした。
そっちは昨日行ったホームセンターと真逆で…………駅の方角だ。
ここは駅から十キロ近く離れている。
佐伯さん家の千夜ちゃんなんかは都内の私立小学校にバスと電車で片道一時間半かけて通学していたらしく、大変そうだなーと他人事のように思ったことを覚えていた。
「駅前……か」
駅前では最近――といっても半年以上前だが――再開発事業を展開していたようで、俺はあまり足を伸ばすことはなかったが、大型のショッピングモールも完成して結構栄えていたらしい。
そこに今、グールが密集している、と。
生存者が集まっているからグールも引き寄せられているのか、それとも単純に人口が多かったからなのか……現時点で判断はできないが、とりあえずこれからの行動方針は決まった。
「……しばらくは、駅前を目標に探索しよう。くれぐれも安全第一で。……それでいいか?」
ユズは心なしか目を輝かせ、今までで一番しっかりと頷いた。
▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
その日の正午から、俺たちは行動を開始した。
車だと囲まれたときに対処が難しいので徒歩での移動だ。
直線距離なら二時間ほどで着くような距離だが、ユズにグールを探知してもらい、その度に浄化に向かっていたので進行は遅々としたものだった。
結果として、十日ほどかけて駅までの道のりの半分ほどを制圧できた。
俺としては順調そのものだと思っていたのだが……一つだけ問題が発生していた。
「…………」
数日前から、明らかにユズの機嫌が悪い。
ずっと若干眉間にしわが寄っているし、昨日は愛用の鉄パイプをガンガンと地面に打ち付けていた。
近くにグールがいないことは分かっているが、正直気が気じゃなかった。
今も、苛立たしげに地団太を踏みながら、頑なに俺と目を合わせようとしない。
約束通り果物の缶詰は毎日与えているし、思い当たる原因は一つしかなかった。
「あのなぁ……いくらグールが殴れないからって、そんな――」
と流石に苦言を呈しかけた時、ユズは弾かれたように視線を横に向けた。
……その先にいたのは、一匹の野良犬だった。
ユズは血走った目で野良犬を見つめ、口端から涎を垂らしながら、自分を抑えるように太ももに爪を立てていた。
食いたくて食いたくてたまらない、とでも言うように。
殺気を感じたのか、野良犬はキャウン!と弱々しい鳴き声を上げて走り去っていった。
「……そういうことか」
それを見て、俺はようやく自分の間違いに気づいた。
彼女がグールとしての食肉欲求を抑えていられたのは、グールを倒して魔力を補給できていたからだ。
果物の缶詰がそれの代用になるとも思えないし、魔力の供給が断たれた状態が続けば……どうなってしまうかは想像に難くない。
「……ユズ、次に見つけたグールはお前が倒していい」
そう言うと、ユズはこちらを見ることもなく駆け出していく。
遅れて追いつくと、彼女は三体のグールを鉄パイプでタコ殴りにしていた。
初めて見た時以上に、鬼気迫った様子で。
そいつらを動かなくなるまで滅多打ちにすると……我に返ったユズは申し訳なさそうな視線を俺に向けてくる。
「…………いや、ごめん。俺の方が配慮が足りてなかった」
もう少し考えを巡らせれば、十分に予想できたことだった。
こんな状態でも、俺を決して襲おうとしてこなかったことが、逆に彼女の理性の強さの証ともいえる。
グールを鉄パイプでボコボコにする姿には恐ろしさしか感じないが……それを無理やり我慢させた結果として、彼女に襲われて俺自身がグールになったり、襲ってきた彼女を浄化してしまったのでは取り返しがつかない。
彼女と手を組もうと決めたのは俺だ。
少なからず情は移っているし……再び一人の生活に戻るのは嫌だと思っている自分もいる。
「……次から分担して、お互いに一体ずつ処理しよう」
そう告げると、ユズはホッとしたように――それでいて謝罪するように深く頷いた。
……彼女は何も悪くない。俺の思慮の浅さが原因だ。
「ごめんな」ともう一度謝っておき、俺たちは気を取り直して、再び駅までの道のりの探索を続けた。
リビング・デッド・ファンタジア 碓氷 雨 @ame_usui
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