第4話

 早朝、俺は車を走らせ、ホームセンターに向かっていた。

 かつては出勤のために毎日運転していたものだが、パンデミックが起きてからは全然使っていない。

 初日の物資調達、尾道村訪問、そして今日と、都合三回目の運転だった。


 MT車なこともあり、ここまで期間が空くと運転の仕方を忘れていないか不安になるが、不思議なもので一度走り出してしまえば全く問題なかったりする。


 なるべく静かに移動したいので、法定速度の半分以下しか出していないが、それでも十分もかからず着くことだろう。


 その短い道程の途中でコンビニを見つけた。

 通勤ルートとは真逆だったので今まで気がつかなかったらしい。


 一応中を確認してみるが、使えそうな物資は全く残っていなかった。

 バックヤードの方も荒らされており、これは……明らかに物資を回収に来た人間がいた痕跡だ。


 やっぱり、この近くにも生存者がいるのかもしれない……。


 緊張を高めながらも、車に戻り、再度発進する。

 三分ほど走らせれば、目的のホームセンターに辿り着いた。


「…………あぁ」


 その入り口付近を見て、俺はこの場所で何があったかをおおよそ察した。


 駐車場と建物の間には、高さ二メートルくらいのフェンスバリケードが何重にも張られている。

 店に置いてあったありったけのバリケードを使ったんだろう。

 もし対策がそれだけだったら、グールの目を逃れるのに有効だったかもしれない。


 しかし、バリケードの中央あたりは無惨にも破られており、すでに用をなしていない。

 その原因は……これだろうな。


「……鳴子、ってやつか」


 紐で括られた空き缶――大量に落ちているうちの一つを拾う。

 中には小石が入っており、軽く振るとカラントと軽快な音が鳴った。

 おそらくは、バリケードの前でこれを横一列に並べていたんだろうな。

 グールの接近を知らせるため……ではなく、音でグールを追い払うために。


 パンデミック当初は、色々と情報が錯綜していた。

 ゾンビ病が狂犬病の一種だとか言われていた時は、甲高い大きな音をゾンビは嫌がる、とかいう根拠のない噂がネットで出回っていたくらいだった。

 実際は真逆の効果しか生まないわけだが……ここで籠城すると決めた人たちは、そのデマを信じてしまったんだろう。

 結果として、大挙したグールたちにバリケードは破られ、籠城は敢え無く失敗した、と。


 バリケードの隙間から店内を覗くと、中には十体以上のグールが徘徊していた。

 入り口は開きっ放しになっているので、ここに籠城していた者だけではなく、外から入ってきたグールの可能性もある。


 まあ、俺がやることに変わりはない。



▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲


「……これで全部だな」


 店内に残っていたグールを全て浄化し、ホッと一息つく。

 人間が生活していたような痕跡はあったものの、生存者はどこにもいなかった。

 そのことを残念に思うのと同時に……どこか安心してしまってる自分がいるのも事実だ。


 人間がいないのなら、グール以外を警戒する必要もない。

 元から一人でいることに全く苦痛を感じない人間だと自覚していたが、七ヶ月に及ぶ単身サバイバルによって、他人に対する情というものが薄くなっているのかもしれない。


「……いや、今は物資の回収だ」


 おかしな感傷を振り切り、ここに来た本来の目的――使えそうな物資の回収に取り掛かる。


 目当てだったカセットコンロと、使い捨てのボンベを持てるだけ持っていく。

 あとはガス式のインバーター発電機も……そうだ、発電機があるならIHコンロでも料理ができるな。


 他には、野菜の種と園芸用品も一通り持っていくか。

 もう十二月になるのですぐには無理だが、後々のことを考えたら家庭菜園にも挑戦していきたい。

 家の庭はあまり広くないが、なんなら佐伯さんの庭や、他の家を借りてしまうのもありだ。

 どうせあの周辺には他の生存者もいないことだしな。


 そんなことを考えながら、店と車を往復して物資を車に積み込む。

 三往復ほどでセダンのトランクと後部座席はいっぱいになってしまったので、今日はこれで引き上げることにする。

 温かい飯が食えるという喜びで気が逸ってしまうが……ふと、視界の隅に変なものが映ったような気がして、発進しかけた車を止めた。


「…………なんだ?」


 よく見てみると、それは地面に倒れ伏した死体だった。

 その肌の色は見慣れた土気色であり、一度グールになっているのは明らかだった。


 車を降りて近づくと、強烈な腐臭が漂ってくる。

 どうやら、動いている間は大して臭わないグールも、生命(活動)を停止すれば腐敗するらしい。

 身体中の至るところに鈍器で殴られたような痕があり、衣服は血液でどす黒く滲んでいた。


 …………人間業じゃない。


 アミュレットを持つ俺は別として、グールというのは、おおよそ一般人が勝てる相手ではないはずだ。

 素手なんて論外だし、バットでぶん殴っても一瞬怯めばいいところで、銃器ですら必殺にはならない。

 ゾンビは身体が脆い、というイメージに反して、グールという存在は耐久性まで兼ね備えているのだ。


 グールの倒し方は主に二つ。

 浄化の力で葬り去るか、急所に致命的なダメージを与えるか、だ、

 前者は言わずもがなで、後者はアルさんが魔術でグールを真っ二つにした時のように。


 このグールをやった相手はどちらでもない。

 物理攻撃が通じにくいグールを、ただただ圧倒的な暴力で全身をなぶり倒している。

 それがひたすらに悍ましくて、俺は気温のせいじゃない鳥肌が立つのを自覚した。


「…………一応、供養はしとくか」


 考えることはあるが、このまま放置していくのも忍びない。


 俺は吐き気を堪えながら、アミュレットを起動して押し当てる。

 すると、見るも無残なグールの残骸は灰となって風に流されていった。


 ……その先を見ると、同じような死体が何体も倒れており、路地の遠く奥まった場所まで続いていた。

 ヘンゼルとグレーテルという言葉が頭に浮かぶが、並んでいるのはパン屑ではなく腐ったグールだ。

 なんとなく、誘われているような気さえする。


「…………」


 しかし、一体だけ処理して、他を放置するのも据わりが悪い。

 何かあった時にすぐ対応できるよう、浄化のアミュレットは首からかけておき、死体を順々に浄化していくが……どんどん腐敗臭は強くなっていく。

 一番奥の死体までたどり着き、路地の曲がり角の先を見て――


「――なっ」


 ……そこには数十は下らない、夥しい数のグールの亡骸が並んでいた。

 そのどれもが、同じように身体中を殴打され、倒されている。


 何か、とんでもないことが起きているのかもしれない。

 浄化は諦め、一刻も早くこの場から立ち去ろうと考えたが……。


 カラカラ、カラカラ、と。


 背後から、何か金属を引きずるような音が近づいてくる。

 嫌な汗が頬を伝って地面に落ちる。

 振り向くことすら恐ろしいが、振り向かないことには対処もできない。

 なけなしの勇気を振り絞り、俺は勢いよく背後を振り返った。


 ……そこにいたのは、こちらに歩み寄ってくる一人の少女だった。


 黒髪の長髪で、白のワンピース姿。首には真っ赤なマフラーを巻いている。

 身長は成人男性として平均程度の俺より頭一つ小さく、俯いているので顔はよく見えない。

 手には鉄パイプが握られており、先は赤黒く――おそらくグールの血で汚れていた。

 カラカラと鳴る音は、鉄パイプが地面に擦れる音だった。


 その少女が顔を上げて、目が合った瞬間……文字通り、蛇に睨まれた蛙みたいに全身が硬直した。


 殺気というものが本当にあるとしたら、こんな感覚だと思う。

 顔立ちは整っているのに、恐ろしいほど生気のない視線が俺を射抜いている。

 足取りは確かで、僅かに血色が良いようにも見えるが……おそらく、彼女もグールだ。


 俺が恐怖で固まっている間にも、少女との距離はどんどん近づく。

 アミュレットに魔力を込めようとするが、恐怖に飲まれているせいか、一向に起動してくれない。


 少女は鉄パイプを振りかぶり、それで、俺の頭を――


 ガンッ! と、肉を打つ鈍い音が響く。

 しかし、想像していた痛みは訪れなかった。


「……なに、が」


 思わず閉じてしまっていた目を開くと、少女は鉄パイプを振り切った体勢だった。

 そして、俺の背後では、グールが一体倒れ伏していた。


 どうやら、そいつは背後から密かに忍び寄っていたらしい。

 呻りながら起き上がろうとするそいつに対して、少女は容赦なく鉄パイプの追撃を加える。

 何度も、何度も、執拗に、全身隈なく、どこを殴れば動かなくなるかを探るように。


 一体どれくらいそうしていたのか、グールが動かなくなったことを確認した少女は、立ち竦んだままの俺に向き直ってくる。


 襲い掛かってくる様子はない。

 しばし無言で見つめ合うが、少女は自分の手元を見て何を思ったか……握っていた鉄パイプを手放し、カランと甲高い音が鳴った。


 ……敵意はないってことか……?


 改めて少女を見てみるが、見た目の印象は明らかに人間よりグールに近い。

 顔も、服の間から覗く肌も、他のグールよりはマシだが、土気色と言っていい色合いだ。

 だが、こんな個体は今まで見たことがないし、他のグールとは違い、明確な意思のようなものを感じる。


 だったら、


「……こっ」


 ……声が裏返ってしまった。

 流石に仕方がないと思う。怖いもんは怖いし。


「言葉、通じるか……?」


 静かに問いかけると、少女はしばらく無反応だったが……やがてこくりと一つ頷いた。


「……え、マジで?」


 もう一度、こくりと頷く。

 それを見て、俺は思わず天を仰いでしまった。


 こんな世界になってから、この国で初めてコミュニケーションを取った相手は、人間ではなくグールだった。

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