第5話

 赤黒い血が付いた鉄パイプを手放し、俺の目の前に立つ少女。

 おそらく、そこら中に転がっているグールの残骸もこの少女がやったんだろう。

 先ほどまでの強烈な殺気は鳴りを潜め、ただただ無感情な茫洋とした目で俺を見ている。


 どうやら言葉は通じるらしいので、とりあえず一つだけ訊かなきゃいけないことがあった。


「君は、グ――ゾンビなのか……?」


 グールと言いかけたが、伝わらないだろうと思って言い直す。

 少女はしばらく無反応だったが、不思議そうにコテンと首を傾げた。


 可愛い…………じゃなくて!


「えっと……君も他のやつらと同じように……一回、死んだのか?」


 少女はまたしばらく黙っていた。

 自らの記憶を探るように宙を見上げ……やがて小さく頷いた。


 ……どうやら自分が死んでしまったという自覚はあるらしい。

 次の瞬間に噛みついてくる可能性もゼロではないが、今のところはかなり理性的に見える。


「……そうだ。まだ名乗ってなかったな。俺は荒木小太郎。君は――」


 誰なんだ? と尋ねようとしたが、そもそも少女が一度も口を開いていないことに気付いた。

 グールが鳴き声を発するのは幾度となく聞いてきたが、例え理性があろうと人語を話せるかはわからない。

 アルさんの時の反省を活かしたつもりだったが……どうしたものかと考えていると、少女はおもむろに首に巻いた真っ赤なマフラーを外した。


「そ、れは……」


 そこにあったのは、右の鎖骨から首にかけて、齧り取られたような生々しい傷跡だった。

 おそらくはこの傷が少女の死因になったんだろう。

 ……なるほど、この傷のせいで話せないと伝えたかったのか。


 と、同時にマフラーの隙間から何かがぽとりと落ちた。

 少女はそれを拾い、俺に手渡してくる。


「…………これ、警察手帳か?」


 手渡されたのは、ドラマなんかでよく見る警察手帳だった。

 開いてみると、そこには警官制服姿をした少女のそっくりさん……というか、少女本人にしか見えない顔写真が貼ってあった。


 え、この子婦警さんなの?


 階級は一番下っ端の巡査。

 名前は大部分が血で滲んでいたが、辛うじて下の名前のローマ字表記の部分だけは読み取れた。


「名前は、Yuzu……ユズ、でいいのか?」


 婦警さんはなぜか目を僅かに見開き、大きく二回頷いた。

 童顔で身長も低かったので勘違いしていたが、立派な社会人だったらしい。

 というか、警察手帳に生年月日の記載がないから分からないが、つい先日二十一歳になったばかりの俺より全然年上の可能性だってある。

 今さらながら、敬語で話した方がいいのか……?


「…………?」


 困惑する俺を見て首を傾げる婦警のユズさん。


 ……まあ、いっか。

 実際のところ年齢不詳だし、グール相手に敬語で接するのも変な話だ。


「あー……それで、ユズさんは――」


 質問を投げかけようとするも、ユズさんは僅かに眉を顰める。

 そして、俺が手に持ったままの警察手帳を指さした。

 その細い指先がさしているのは、名前の部分だ。


「はい? ……ユズ、で合ってるんだよな?」


 またもや大きく頷く。

 ……何が言いたいんだ?


「えっと……ユズさんは――」


 無表情のまま首を横に振る。


「……ユズ」


 また大きく頷いた。


 ……なるほど、呼び捨てにしろってことらしい。

 何を考えているか分からないが、とりあえず理解した。

 初対面の異性を呼び捨てにすることに若干の気恥ずかしさ抱きつつも、改めて質問を投げかけようとして――


「……ッ!」


 突然、ユズさん――ユズは弾かれたように後ろを振り向き、鉄パイプを拾って曲がり角の向こうまで走っていく。

 ガンガンバコバコと鈍い音が響き、やがて静かになったかと思うと……見るも無残なグールの残骸を引きずってきた。


 …………やっぱり怖いよこの子。


 それを目の前に放り投げ、俺を真っすぐ指さした。

 ……いや、正確には俺の首にかけられている浄化のアミュレットを。


「……これか?」


 ユズは小さく頷き、次はグールの残骸を指さす。

 なんとなく言いたいことを察した俺は、彼女を巻き込まないようにアミュレットを手に持ち替え、最小魔力で起動した。


 灰になって空気に溶けていくグールを見送り、心なしか目を輝かせてパチパチと拍手をするユズ。

 いやまあ、芸でも何でもないんだが……。


 続いて、ユズはそこら中に転がっているグールの残骸たちを一ヶ所に集め始めた。

 見た目はもちろんグロいし腐臭もするはずだが、全く気にしている様子はない。

 そうして哀れなグールのピラミットを完成させると、ドン引きする俺の手の中にあるアミュレットを再び指さす。


 ……やれと言われりゃ、やりますよ。

 逆らったら何されるか分らんし。



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 俺が頑張ってグールのピラミットを浄化している間、ユズは時折走り去ったかと思うと、ボコボコにしたグールを持ってきてピラミットに追加する作業を繰り返していた。


 ……どうやら、彼女はグールの気配を察知することができるらしい。


 そうして、追加分も含めてグールの残骸を全て浄化してみせると、ユズは無表情ながらとても満足そうな様子だった。

 血まみれの衣服だけが大量に残ったが、燃やしたらまたグールが集まってきそうなので放置する。


 あとこれは嬉しい誤算だが、動かなくなったグールを浄化することでも僅かに魔力量は上昇するようだ。

 体感としては普通に浄化した時の十分の一くらいか。


「……ん、マズいな」


 随分とここに長居してしまった。

 気が付けば、日はかなり落ちてきている。

 ユズが何者なのか、一体なぜグールを倒すのか、気になることは尽きないが、街中で夜を明かす気は毛頭ないので、とりあえず今日は帰ることにした。


「……じゃあ、もう遅いから帰るわ」


 門限あるんで……みたいなノリで別れを告げる。


 背を向けてその場を後にし、セダンに乗り込むと、運転席のドアを閉めたのと同時に助手席のドアが閉じられた。


 隣を見れば、何食わぬ顔で助手席に座っているユズがいた。


「いやいや」


 何当たり前みたいに入ってきてんのこの子。


「……ついてくる気か?」


 当然のように頷く。

 力尽くで降ろすことも考えたが、並のグール以上の力を持つ彼女をどかすのは物理的に不可能だった。


 鉄パイプでグールをタコ殴りにしていたあの光景が頭に浮かぶ。

 ふいに、その暴力性が俺に向かないとは限らない。

 そもそも、意思の疎通ができるとはいえ、グールを自らの拠点に招き入れることそのものがリスクだ。

 色々考えた末に…………まあ別にいいか、という結論に至った。


 グールである以上、最悪襲い掛かってきてもアミュレットの力で浄化することができる。

 そういう意味では人間を相手にするよりもよほど気が楽だ。


「……帰りにグールを見つけても飛び出すなよ」


 一々そんなことをされたら日が暮れてしまう。

 念のために忠告しておくと、彼女は何を考えているか分からない顔で小さく頷いた。


 本当に大丈夫かよ……と思いながらも、俺は車を発進させた。



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 助手席のユズは時折窓の外に視線を向けてもどかしそうにしていたが、俺との約束は忘れていないらしく、膝に爪を立てながら自制していた。

 どんだけグールをボコしたいんだ……。


 行きと同じ程度のスピードで車を走らせ、行きと同じ程度の時間で帰宅した。

 いつも通り、玄関のバリケードを外して家の中へ入る。


「……どうぞ。散らかってるけど」


 ユズは礼儀正しく脱いだ靴を並べて家に上がった。

 グールながら、彼女の所作には一々品がある。

 もしかしたら、元はいいとこのお嬢様なのかもしれないな、なんて思った。


「あ、ちょっと待ってくれ」


 しかしながら、グールピラミットを作った影響か、彼女からは僅かに腐臭が漂っていた。

 年頃の女性にやることではないと思いつつも、先に断ってから消臭スプレーを振りかける。

 臭いはあらかた消えたが、流石に自室に入れる気にはならなかったので、リビングの方に案内した。


「……んじゃ、色々と話を――」


 と思ったが、その前に俺の腹からぐぅ~と間抜けな音が鳴った。


 ……そうだった。

 そもそも、ホームセンターに行った本来の目的はホカホカの白米だった。

 急ぎの話があるわけでもなし、初志貫徹ということで、先に食事を済ませることにした。


 車内に置きっぱなしだったカセットコンロやらを回収。

 ついでに腕に巻いていた成人雑誌を外し、後部座席に放り込んでおく。

 ガムテープでぐるぐる巻きにしていたため、アダルティな表紙は彼女に見られていないはずだ。

 ……見られていたところでどうという話ではないが。


 リビングに戻り、椅子に鎮座するユズにも飯を食うか尋ねてみた。

 予想に反して頷いたので、今回は三合分の米を炊くことにする。


 インバーター発電機があるから炊飯器を使うこともできるが、今回は土鍋で炊くとしよう。

 父親が生きていた頃は、休日にいつも手料理を振る舞ってくれていた。

 俺も手伝うことが多かったので、土鍋で米を炊くことにも慣れていた。


 家にあるのは無洗米ではなかったのでミネラルウォーターで米を研ぎ、研ぎすぎないくらいで終わらせて水に浸けておく。

 この状態で四十分程度放置だ。

 浸け置かなくても加熱の時間で調整できそうだが、失敗したくないので慣れたやり方でいく。


 カウンターキッチンの内側からユズの様子を伺うと、彼女はじっと卓上を見つめていた。

 そこにあるのは写真立てと、そこに写る夫婦の姿だ。

 俺に気が付くと、問いかけるような視線を送ってくる。


「……俺の両親だよ。もういないけど」


 今から約五年前。

 俺が高校生の時に事故で死んでしまった両親だ。


 銀婚式のお祝いということで、夫婦水入らずで行った旅行先での出来事だった。

 電話口の医者から告げられる死亡報告を、しばらくの間理解できなかったことを覚えている。

 その後も色々あって俺はぼっち街道を突き進み、その期間中にゾンビ映画にハマるわけだが……まあそれはいいか。

 

 じっと写真を見つめている彼女の対面に座る。

 

「それじゃあ、ユズ。色々と聞きたいことがある」


 そう話を切り出した。



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 彼女がグールであることは間違いないようだが、人間を襲ったことはないらしい。

 グールになった当初は意識もはっきりせず、食人衝動のようなものもあったようだが、気力でなんとかねじ伏せていたようだ。

 今では人間を食いたいとはほとんど感じないらしい。

 ……ほとんど、というのがちょっと怖いが。


 じゃあ今まで何を食ってきたかといえば、なんと何も食わずに生きてきたらしい。

 どうやらグールを倒していれば飢えは感じなくなるようで、いつグールになったかは記憶が曖昧だが、少なくとも数ヶ月は絶食状態とのこと。


 彼女がグールを襲うのは飢えを満たすためだけではなく、純粋にあいつらが嫌いだからという理由もあるらしい。

 しかし、彼女の生前就いていた職業は警察官だ。

 憶測に過ぎないが、正義感のような感情も多分にあったんじゃないかと思う。

 

 大量のグールの残骸に関しては、この路地裏でグールをタコ殴りにしていたら音で他のグールも集まってきて、気付いたらあんなことになっていたようだ。


 とまあ、彼女は言葉が話せないので、何度も質問を繰り返して得られた情報だ。

 ちなみに意識がハッキリしてきたのは比較的最近のことで、それまでは夢でも見ているような感じだったらしい。

 なぜ他のグールと違うのかも訊いてみたが、それは本人もよく分かっていなかった。


 これはアルさんに聞いた話だが、デミグールの中には生前の記憶を強く残し、他のグールと違う行動をとる者も稀にいるらしい。

 あくまで予想になるが、彼女は生前の記憶に従ってグールを倒すことで、その魔力を吸収してより高次の存在になったのかもしれない。

 レベルが上がったモンスターが進化するのは、ゲームなどではよくある話だ。


 と、そこで控えめなスマホのバイブが鳴った。

 スマホはホームセンターで見つけたリチウムバッテリーを使って起動できたため、依然ネットには繋がらないが、音の出ないタイマーとして使うことにしたのだ。


 聞きたいことはあらかた聞けたし、調理を再開することにしよう。


「……そうだ。米は固めと柔らかめ――固めがよかったら首を縦に、柔らかめがよかったら横に振ってくれ」


 ややあって、ユズは首を縦に振った。


 よかった。

 俺も米は固めが好きだからな。

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