第3話

 あれから、また数日が経った。


 その間、グール退治に出向かなかったのは、気持ちの整理を付けたかったのもあるが、魔力の検証をしたかったというのが大きな理由だ。

 ……この世界の厳しさを初めて目の当たりにしたわけだが、俺のやるべきことが変わるわけでもないしな。


 計八体のグール退治を経て、小指の爪ほどだった魔力は親指の爪くらいに微増した。

 ということは、それに伴って最大魔力で結界を維持できる時間にも変化が生じているのではないか、と俺は考えた。

 早速とばかりに、魔力が全快した翌日に検証してみたのだが……なんと、維持できるのは以前と同じ約三分間だった。

 それはつまり、魔力量と魔力出力はほぼ完全に比例しており、今後魔力量が増えても最大出力を維持するのは約三分が限界だと推測される。


 そう聞くとあまり進歩がないようにも思えるが、結界の範囲は広がっているし、セーブした魔力で結界を維持できる時間は前よりも長くなっているはずなので、成長していることには違いない。


 その翌日、翌々日と、検証結果に誤りがないかを試す。

 こういったことは念を入れすぎるくらいがちょうどいい。

 適当に済ませた結果、死んでしまいましたじゃ洒落にならない。


 自分の仮説が正しいと確信を得られ、あの出来事に対する気持ちの整理も付いた頃、俺はもう一つ試してみたかったことに取り組むことにした。

 本当はもっと魔力量が上がってから着手するつもりだったが、今からやっておくことで、アミュレットの起動確率にもいい影響がありそうだと思い直した。


 それはズバリ、『魔術の発動』である。


 異世界へ渡ったあの日、アルさんから貰ったものは浄化のアミュレットだけではない。

 ポケット入れていたメモ帳とボールペンで、魔術を発動するための魔法陣を描いてもらったのだ。

 ほとんど駄目元で頼んだのだが、メモ帳とボールペンを見て少し驚いた様子のアルさんは「……たぶん、使えないと思うけどね」と言いながらも引き受けてくれた。


 アルさんの世界で、魔術は『詠唱魔術』と『属性魔術』に分かれているらしく、最初に唱えていた翻訳魔術は詠唱魔術、グールを真っ二つにぶった斬ったのは属性魔術だ。

 浄化のアミュレットも正確には属性魔術の一種らしいのだが、中央教会とやらはそれを否定して『神聖魔術』だと言っているらしい。

「アミュレットに刻まれているのも属性の陣に違いないんだけどね。教会には魔術そのものを忌避する風潮があるから、完全に別物だと念を押したいんだろうね」とはアルさんの談。

 かつてのヨーロッパで、有用な医学やら科学やらを白魔術と分類し、それ以外を黒魔術として迫害したのと同じような感じだ。たぶん。


 閑話休題。


 とにかく、その『属性魔術』を発動するための魔法陣の絵を、俺はアルさんから授かることができた。

 メモ帳に描かれているのは第一位階魔術と呼ばれる基本魔術四種、そしてグールをぶった斬った第三位階魔術一種だ。


 第一位階魔術はそれぞれ、『ファイアーボール』『ウォーターボール』『ウィンドボール』『ストーンボール』。

 本当はもっとカッコいい正式名称があるのかもしれないが、翻訳魔術によって訳されたのはこんなゲームっぽい感じの名前だった。


 これらは名前の通り、発動に成功すると火や水の玉が出現する。

 属性魔術という括りではあるものの、無から有を生み出しているわけではなく、実際は召喚術の一種らしい。

 ようは、この世のどこかにある火や水を少しずつ回収し、その場に顕現させる仕組みということだ。

 某野菜星人が出てくるバトル漫画の元〇玉みたいなものだ。


 だから魔術で呼び出した火は消化しなければ消えないし、自らの手で触れれば普通に火傷してしまう。

 ただ、それは即ちファイアーボールは火種として使えるし、ウォーターボールで作った水も生活用水として利用できることに他ならない。

 自給自足生活を続けるうえで、これほどのアドバンテージはないだろう。


 ちなみに、この第一位階魔術の魔法陣は二層構造になっていて、内側の一層目が属性の指定、二層目が形の指定だ。

 サイズは魔法陣の大きさがそのまま反映されるらしいので、小さい火種が欲しければ小さい魔法陣を描けばいいというわけだ。


 その外側に、指向性を決める第三層を追加したのが第二位階魔術。

 さらに別の特性の層を加えると第三位階、第四位階と上がっていき、最大で第十位階魔術まで存在する。

 アルさんに教えてもらった第三位階魔術『エアスラッシュ』は、風の属性に刃の形、前方への指向性と、速度の上昇を付けた複雑な術式だ。

 ファイアーボールの五倍は細かい魔法陣が描かれており、一体いつ使えるようになるか見当もつかない。


 ……まあともあれ、今は練習あるのみだな。


「確か……初めは魔力の栓を絞って、高密度で出力してを作る、だっけ」


 栓と線でややこしいが、ようは魔術出力の栓を引き伸ばし、線状にするということ。

 高密度の魔力は可視化される。俺が思わず目を奪われた、アルさんの魔術の魔法陣のように。


 魔術を発動するためには、第一段階として目に見える魔力の線を作り出し、第二段階として線で正円を描き、最終的に魔法陣そのものを出力するという流れで練習するのがいいらしい。

 今はまだ魔法陣全体を描くための魔力が足りていないだろうが、練習しておくに越したことはない。


 普段は歪な円のように揺らめいている魔力の栓を、細く細く引き伸ばしていく。

 ずっと出力のコントロールを練習していた甲斐もあり、それ自体は案外あっさりと出来た。

 しかし、その栓を外に出力してみると――


「…………見えん」


 アルさんの魔法陣のような輝きは一切なく、ただ身体の外に出力している、という感覚があるだけだ。

 これでは魔力を無駄に垂れ流しているだけなので、栓は一旦身体の内側に戻す。


 今回は親指の爪サイズの魔力を細長く伸ばし、二、三十センチほどの線を作ってみたのだが、どうやらこういうことではないらしい。


「……いや、高密度の魔力って言ってたよな」


 と、次は線の細さをそのままに、半分くらいの長さにしてみるが、出力されたのは無色透明の魔力のみ。

 これでは出力する量が半分になっただけだ。


「……じゃあ」


 線の細さと長さは今と同じ。

 しかし、この狭い範囲に全魔力を込めるつもりでやってみる。


 アルさんに最初教わった時のことを思い出せ。

 俺の魔力は全て、この狭い範囲に


 そう強く念じながら出力してみると……魔力の線は淡い光を放ちながら、俺の目の前に現出していた。


「…………できた」


 しかし、アルさんの作った魔法陣には遠く及ばない輝きだ。

 魔術を発動するためには、もっともっと圧縮する必要がある。


 そのまま魔力の線を短くしていき、アルさんの魔法陣に近い輝きを得られたと確信した頃には――それは線というより点というべき長さになっていた。


「いやいや」


 そのちゃちさに、思わず失笑してしまった。

 この点があと何百何千個あれば魔法陣を象ることができるのか。

 アルさんが「使えないと思う」と言ったのも納得……というか、絶対に使えないと断言しなかった優しさで胸が痛い。


「……まあ、やっぱりしばらくは無理ということで」


 それが分かっただけでも収穫だ。

 これからも、魔力の圧縮自体は練習しておこう。

 いずれ……気が遠くなるほどのグールを倒したら、使えるようになる日が来るかもしれないからな。



▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲



 その翌日から、俺は町のグール退治を再開した。


 日を追うごとにアミュレットの起動を失敗することは減っていき、二週間が経過する頃には、魔力をセーブしながらでも――小さく展開させた結界でも、危なげなくグールを倒すことができるようになっていた。

 その結果、魔力は拳大――とまではいかないが、それに近いくらいには増え、最大出力の結界は周囲二メートルくらいまで展開できるようになった。


 だが、片っ端から浄化したためか、グールを見つけることも難しくなってきた。

 この辺りは探索し終えたので、そろそろホームセンターに向かってもいい頃かもしれない。

 ホームセンターまでの距離は地図上では3キロ前後だが、途中の坂も多く、徒歩では一時間以上かかってしまう。

 最近は日々のフィールドワークのおかげで体力も付いてきた――というより、運動部だった学生時代の体力を取り戻しつつあるが、疲れれば疲れるだけ、アミュレットを起動するための集中力が下がることも分かっている。


 徒歩でホームセンターに乗り込むか。

 それとも、排気音でグールを集めてしまうリスクを飲んで車を出すか。


「…………」


 しばらく悩んだ末、結局俺は車でホームセンターに向かうことに決めた。

 車ならより多くの物資を持ち帰ることができるし、グールから逃げることも容易だからだ。


 そこまで考えて、ふと思った。

 ホームセンターには、もしかしたら人間の生き残りもいるかもしれない、と。

 あくまでゾンビ映画の知識に過ぎないが、籠城戦といえば、みたいなイメージがあるからだ。


 外を頻繁に出歩くようになって少なくない時間が経った。

 それでも、俺は他の生存者には一人も出会っていない。

 もう俺以外に人間は生きていないんじゃないか……と錯覚してしまうが、たまに思い出したようにラジオをつけると、避難所の状況なんかが流れてくる。

 この世界、そしてこの国に、まだ人間が存在しているのは確かだ。


 ホームセンターで生存者が身を寄せ合っていたとして、俺はどう振る舞うのが正解なんだろう。

 俺の力――というより浄化のアミュレットの力があれば、もしかしたら生き残りの人たちを先導して、いずれは人間の文化圏を取り戻すこともできるかもしれない。


 それはまさしく、英雄の振る舞いだ。

 人類が復興した暁には、後世に語り継がれるほどの。


 ……しかし俺は、そんなことを考えて奮い立つような感性はしていない。

 学生時代からリーダーなんてやったことがないし、会社でも上長の指示を待つ平社員だった。

 人類の未来や、命を背負えるほど、肝の据わった人間じゃない。


 そもそも、そう簡単な話でもないと思う。

 アミュレットの力が知られれば、俺から奪い取ろうとする輩も現れるかもしれない。


 極限状態でこそ人間の本質が分かるという言説があるが、あんなものは嘘っぱちだと思う。

 極限状態では、誰しもが狂うのだ。

 極限状態で、真っ当な人間性を維持できる人間こそが異端なのだ。


 俺は俺自身を人間不信だとは思っていない。

 だが、実体験として、信用できない人間が世の中には少なからずいることを俺は知っている。


 再度自分に問いかける。

 生き残りを見つけたとして、俺はどう振る舞うのが正解なんだろう。


 答えは出ないまま、明日のホームセンター攻略に向け、その日は眠りについた。

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