其ノ二十五 白檀

 姫はこう仰ってふところから、桜色の扇面に霞んだ有明ありあけつきが描かれた、白檀びゃくだんの良い香りのする一本の美しい京扇子きょうせんすを取り出すと、夢見るような表情でそれをお広げになり、近くの文机ふづくえの上にあったすずりから小筆を手に取り、さらりと流れる様なお筆跡でその扇子の片隅に、


 朧月夜に似るものぞなき


 と源氏物語に出て来る右大臣の娘、有明の君が口ずさんだと言われる、歌のことばをお書付けになられました。


 その時、姫のあまりに大胆なお言葉に驚かれたのか、御簾みすの後ろで先生が、灸治療きゅうちりょうに使う陶器の火入ひいれでも盆に落とされたような、ごとっと言う物音が聞こえました。まあ先生は普段から、こうした情緒のある男女のお話が、お嫌いではない方ですからね。


 姫のお言葉を受けて奥方様は、

「まあ、何という事を申される。そなたには、御三家の姫として、名だたる大名家からの御縁談が後を絶たない身なのですよ。そうした家から、相応ふさわしいお方を殿がお選びになり、そこに嫁いで行くことこそ、武家の女子おなごの幸せの道なので御座います」

とこのように、姫をおたしなめになりました。



明日に続く

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