第8章「母の影」

 長老の使いの鷹から、エンマと蓮花に書状が届き、二人は長老の家に呼ばれた。

 早速二人は、長老の家へと向かった。

 長老、芭蕉の家は、里の奥まった山の中にあり、そのすぐ近くには、古くからある小さな石造りの神殿も建っていた。

 そこまで行くのに、エンマの足では数時間ほどもかかった。本来なら、霊術を使えばすぐに行ける距離なのだろう。

 長老の家は、造りは他の家と変わりはなかったが、大きく広い屋敷だった。

 そのすぐ近くにある神殿の前に、先に来ていた者が二人いた。

「あっ!お前は昨日の…。」

 エンマは、椿の姿を見つけて言った。

「やあ、赤鬼君。君も長老に呼ばれたのかい。」

「へー、こいつが赤鬼?」

 椿の隣にいた少女が言った。

「赤鬼じゃねえ!エンマだ。」

「ふーん。あたしはかえで月影つきかげの里出身なんだ。」

 少女は、髪が短く中性的な雰囲気で、涼し気な目元でエンマを見た。

「月影の里?」

 エンマは聞き返した。

「ここからずっと西の方にある隠れ里だよ。そこから移り住んで来たんだ。」

「へーえ、じゃあ、蘭丸と同じようなもんか。他にもそんな里があんだな。」

「ほんとに目が緑色なんだね。髪の毛も真っ赤だし。でも、思ったより変じゃないね。他の奴は怖いとか変とか言ってたけど。」

 楓は、屈託なく言った。

「ふん。別にどう思われようとカンケーねえ。」

「なかなか威勢のいい奴だねえ、エンマは。」

 そう言って、楓は明るく笑った。

 四人揃って、神殿で祈りを捧げた後、長老の家の戸を蓮花が叩いた。

「蓮花です。長老様。」

 からからと戸が開いて、中から顔を出したのは、蓮花たちと変わりないくらいの年頃の少女だった。髪が長く、おとなしそうな顔をした少女だった。

「あら、葵ちゃん。こんにちは。私たち、長老様に呼ばれてきたの。」

 蓮花が挨拶すると、葵と呼ばれたその少女は、薄く微笑んだ。

「どうぞ、入って下さい…。」

 そう言って顔を上げ、蓮花たちを見た葵の顔色が、突然変わった。

「きゃああああっ!!」

 葵は、エンマを見て悲鳴を上げると、そのまま気を失って倒れてしまった。

「葵ちゃん!」

 蓮花が抱き起して揺さぶっても、葵は倒れたまま動かなかった。

「あたしに任せて。」

 楓が、葵の体を床の上にゆっくりと寝かせると、右手を枕のようにして葵の頭を支えた。そして、左手を葵の額に置くと、何か呪文のようなものを唱え始めた。

 その様子を見ていて、エンマは、おそらく自分のせいで葵が倒れたであろうと思ったが、楓が何をしているのかということの方が、興味があった。

「蓮花、あいつは、何をしてるんだ?」

「再生術よ。私たちには出来ない術。月影の里だけに伝わる秘術なの。言霊の力で、遠くへ行った葵ちゃんの意識を元に戻そうとしてるわ。」

 やがて呪文のような声がやみ、楓は閉じていた目を開けた。

「落ち着いて目を開けてみなよ、葵。」

 そう言って楓は、葵の額から左手を離した。

「……。」

 葵の目が、少しずつ開いた。

「魔物なんてどこにもいないよ。」

「…あ…あ…。」

 葵は、エンマの方を見て、怯えたように震えていた。葵に怯えた目を向けられ、エンマは後ろを向いた。

「葵ちゃん。この人は、エンマというの。髪や目の色が違うだけで、私たちと何にも変わりはないのよ。怖がることないわ。」

 蓮花が言った。

「う…。」

 しかし葵は、目に涙を溜めて、奥へ引っ込んでいった。

「…何にもしてねえのに、なんか悪いことした気分だぜ…。」

 葵の後ろ姿を見ながら、エンマは呟いた。

「すまんな。葵は怖がりでな。昔、魔物に襲われた記憶がずっと忘れられないのだよ。魔物を見ただけで卒倒するから、あやつは外へも出られんのだ。困ったことだが…。」

 いつの間にか、芭蕉が廊下に立っていた。

 四人は芭蕉の広い部屋に通され、畳の上に並んで正座した。

「皆に集まってもらったのは、新しい班を確認してもらうためだ。エンマが新しく里の一員に加わったということで、魔物退治や見回りのときの班編成を作り直したのだ。それで、新しくお前たち四人で班行動をしてもらうことに決めた。」

「フフッ。赤鬼君を除けば、強すぎるメンバーじゃないか。」

 椿が鼻で笑いながら言った。

「うむ。それで本来は、五人の所を四人にした。霊術マスターの蓮花に、再生術の使い手である楓、そして霊剣使いの椿。お前たちがいれば、エンマの分を十分に補えるだろう。」

「ふん。そのうち俺が、一番強くなってみせらあ。」

「アハハ。笑わせるねえ。」

「いや、そうでもないぞ、椿。」

 馬鹿にして笑っている椿を、長老が咎めるように言った。

「皆は、まだ知らんかったか?エンマは、アヤメの子なんだよ。」

「アヤメ…って、あのアヤメ様ですか?」

 楓は驚きながらも、落ち着いた口ぶりで聞いた。

「そうだ。」

「へーえ。凄い血を引いているじゃないか。」

 エンマを見て、楓は微笑んだ。

「…どうりで、赤鬼君なわけだ。半分は魔物だろ。あの雷鬼の。」

 皮肉たっぷりに、椿は言った。

「てめえ!」

「やめなさいよ!椿。エンマを煽らないで。」

 立ち上がって椿に殴りかかろうとしたエンマを蓮花が止めた。

「ごめんごめん。ついね…。」

 椿はにやにやと笑っていた。

「おい、じじい!芭蕉っつったか。俺の親のことなんざ、どうでもいい。俺の親はじじい一人だけだからな。」

「だが、アヤメのことは知っておいてもいいだろう。」

「別に興味ねえ。」

「そうか…。残念だのう。」

 芭蕉は、エンマを見ると、あの頃のことが鮮明に、昨日のことのように思い出されるのだった。


 今から二十年も前のことだった。

 ある日、何の前触れもなく、花霞の里の上空が、突然雲に覆われ暗くなり、雷が里中に響き渡った。

 その激しい音を聞いて、皆びっくりして外へ飛び出し、空を仰いだ。

 空から雲に乗って現れたのが、雷鬼だった。

「今すぐに、邪魔な結界を解け!」

 雷鬼は大声で怒鳴った。

「お前は魔物ではないか!里には絶対に入れるものか!」

 皆、雷鬼を見て口々にそう言った。そして、いつ戦闘に入ってもいいように、身構えていた。

「俺は戦いに来たのではない。俺の名は、雷鬼。根の国の王として、アヤメを迎えに来た。」

 これを聞くと、皆戸惑ったように顔を見合わせた。

「雷鬼…。本当に困った人。」

 そこへ、アヤメが現れた。

「おおっ、アヤメ。お前を迎えに来たぞ。さあ、俺と一緒に、根の国へ行こう。」

「私は花霞の里を守る人間よ。その私が、この里を捨てて、根の国に行くことは出来ないわ。」

 アヤメはきっぱりとそう言った。

「それでは、どうすればいい。俺は、何が何でもお前を妻にしたいのだ。お前の条件を何でも聞こうではないか。」

「そうねえ…。」

 アヤメは腕を組み、何事かを考えているかのような仕草をした。長い艶やかな髪が風になびき、目元や口元に、溢れるほどの色気を含んでいて、その美しい姿は、男も女も全ての者を魅了していた。

「もし私が欲しいというのなら、今後一切、魔物が人間を襲ったり、殺したりしないこと。この里ばかりでなく、人間の暮らしている所を滅ぼさないこと。それが条件よ。」

「要するに、人間を滅ぼすな、と言いたいんだな。」

「そういうこと。それを約束してくれるのなら、あなたの妻になってもいいわ。」

 ふふ、とアヤメは可愛らしく微笑んだ。

「いいだろう。そんなものは簡単だ。これからは、人間を殺さなければいいだけのことだろう。それでお前が手に入るのなら、俺は誓おう。これからは、人間を殺したり、滅ぼしたりしないと。」

 雷鬼は、敵意がないと示すように、両手を広げて言った。

 それでも、一年間様子を見るという形で、二人の婚約が成立した。

 そして、約束の一年が経ち、その間、魔物が人間を襲うことは全くなかった。二人は晴れて結婚することになった。

 魔物と人間が結ばれるということは、前代未聞であった。

 アヤメにより結界術が解かれて、雷鬼は花霞の里に入り、正式に長老たちに人間を滅ぼしたりしないという約束をすると、里では平和を祝して盛大な宴が開かれたのであった。

 あの時は皆、これからの平和を信じてやまなかった。

 まさかそれが裏切られるなどとは、考えてもいなかったのだった。


「私たちのように、霊術を使う者にとって、血は重要なものよ。エンマ、あんたはそのことをまるで分かっていないわ。アヤメ様の血を引いているってことはね、本当に凄いことなのよ。」

 長老の家を出ると、蓮花がエンマに言った。

「そう言われてもな。俺は俺だ。親がどうだのこうだの言われたって、強くなるのは俺の力だろ。」

「エンマの言う通りだよ。いくら血に恵まれてたって、力を発揮できない奴もいる。蓮花は、アヤメ様を目指して頑張ってきたからね。だからこんなに強くなったんだよ。」

「楓!私のことはどうでもいいの!」

 蓮花は、何故か照れたように言った。

 四人は途中で別れて、蓮花とエンマの二人になって歩いていた。

「蓮花。お前は何だってそんなに、アヤメを尊敬してんだ?」

 何とはなしに、エンマは聞いてみた。

「…私はね、ただ強くなりたいからとか、そういう理由でアヤメ様を目指していたわけじゃないわ。」

 蓮花は、前を向いたまま言った。

「私は魔物に親を殺されて、ひどく恨んだわ。だから、エンマの気持ちも分かるの。でもそれだけじゃ、何にもならないって、気付いたのよ。憎しみの心ばっかりじゃ、前には進めない。小さい頃にね、お父さんとお母さんから、アヤメ様のことをよく聞かされてたわ。アヤメ様は、魔物を恨んじゃいけないって言ってたって。魔物も私たちと同じ生き物なんだって。普通、誰もそんなことを考えないでしょう?私だって、そのことを、まだ理解していないわ。だけど、それがどういうことなのか、理解したいと思ってる…。」

 エンマは黙って耳を傾けていた。

「…私が立ち直れたのは、憎しみの心や恨む気持ちでもなくて、蘭丸や、蘭丸の家族に支えられたからだった。だから今度は、私が皆を守れるくらい強くなりたいって思ったの。アヤメ様のように、強い力を持ちながら、全てを赦し、全てを守れるような、そんな人になりたいって。」

 そこまで言って、蓮花は笑った。

「私は、エンマの仇討ちを否定してるわけじゃないのよ。でも、きっと、それだけじゃ生きていけないと思う。憎んだ相手を殺せば、それで全てが丸く収まるとは思えないの。そのあとどうするか…そっちの方が大事なことだと思うわ。」

「そんな先のことは分からねえよ。俺はただ、今はあいつを倒すことしか考えられねえ。」

「それでいいわ。大丈夫。もうエンマには、里の仲間がついているから。」

 蘭丸の家に戻ると、夕餉がもう出来ていて、家族皆が集まってエンマたちを待っていた。

「エンマ!一体、蓮花と一緒に長老様に呼ばれるなんて、何だったんだよ!」

 家に入るなり、蘭丸がエンマを問い詰めた。

「新しい班のことよ。エンマと、私と、楓と、椿の四人で行動することになったの。」

 蓮花が答えた。

「何だって!?…くそっ。」

 蘭丸は悔しそうに言った。

「なーに騒いでんだ。さっさとメシにするぞ。腹が減って待ちくたびれたぜ。」

 氷助が、蘭丸を掴んで無理矢理座らせた。

「さあさあ、おなかがすいたでしょう。」

 エンマが席につくと、みぞれが、飯を山盛りに盛った茶碗をエンマに渡した。

「兄貴!今日はおいら、みぞれと一緒に山に行ってきたんだよ!そんでさ、サンサイってのをとってきたんだ!ほらっ、おいらは何にも食えないけど、兄貴に食ってほしくてさ。」

 フータが、山菜の盛り付けられた皿を、エンマの前に運んできた。

「うまそうだなあ。」

 温かい飯と団欒で、いつもエンマの腹は一杯になるのだった。

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