第8話 茉莉花の根

 ・・・早朝。

 リサさんが、飲料水をエルザさんの部屋へ持っていた時には、エルザさんの身体は冷たくなっていた。

 旦那オドさんは、すぐに司祭と村長のもとに行きそれを告げる。間もなく教会にエルザさんの遺体が運ばれて葬儀が執り行われることになった。

 悲しみにくれるリサさんは、葬儀にすら出られなかった。わたしたちはそんな彼女にずっと付き添っていた。

 人か獣かわからない怪しい存在に脅える村では、悠長に死者を弔う余裕すらない。

 エルザさんの遺体を入れた棺は、その日のうちに村の西側にある墓地へ埋葬された。夕方から雨が降り始めて、暗くなるにつれて雨脚は強くなる。

 村の男達は、エルザさんに対して心ない誹謗を行ったことを、旦那オドさんに謝罪した。旦那オドさんは、そんな男達に家で酒を振る舞った。

 悲しみに打ち拉がれるリサさんは、ずっと教会で祈りを続けている。



 深夜。どうにも雨の勢いはおさまらない。


「行きましょう」


 イリヤが声をかける。わたしは鍬を2本持ち、サクヤはランプを持ってイリヤの後に続いた。目的地は、エルザさんを埋葬した西の墓地。

 サクヤは両手を上に掲げてローブを天幕のように張って、ランプの灯りが雨で消えないように守る。

 そして、わたしとイリヤはその灯りを頼りに土を掘ってエルザさんの棺を掘り起こしているのだ。

 雨の中での墓荒らし。サクヤは顔をしかめて辛そうにしているし、わたしだって吐き戻しそうなくらい内臓がムカムカする。なのに、イリヤはいつも通りのすまし顔で土をもくもくと掘っている。


「あのさ、もしかして人の心とか神経とかないの?」


「何の話ですか?」


「いやさ、さすがにこの仕事って精神的にキツイよ」


「そうですか?」


「こんな仕事に、サクヤを連れてこないでよ!」


 ・・・カツン。

 鍬の先が棺にぶつかった。棺の上の土を払って、棺の蓋をこじ開けた。

 胸の前で手を組んだ姿のエルザさんの遺体・・・雨に濡れないようにサクヤがローブを上にかざす。

 エルザさんの首にイリヤが手を当てて脈を確認する。


「エルザさん、大丈夫ですか?」


 イリヤの呼びかけに、エルザさんの目が僅かに開き、口元が動いた。


「マグナオーン。エルザさんをお願いします」


 わたしは、エルザさんの身体を抱き上げた。そして雨の中、わたしたちはリサさんの待つ教会へ向かう。



「ある種の茉莉花まつりかの根は、仮死の薬と言われてるんです」


 ここは教会の倉庫。リサさんには教会に籠もるフリをしながら、エルザさんのためにここを整えてもらっていた。

 旦那オドさんが、男衆に酒を振る舞ったのは、男衆を旦那オドさん宅へ引き留めるため。吸血鬼よろしく死体の胸に杭を打とうとする輩が出たら面倒だ。

 エルザさんはまだ喋れないようだったが、リサさんが用意したスープを、口元まで運ぶと自分の意思で飲み込めた。


「許されない恋に落ちた恋人同士で、男性が女性に茉莉花まつりかの根を渡す話があります。死んだものとして埋葬された女性の墓を男性が暴いて、二人で知り合いのいない別の国に逃亡して・・・」


「知らないよ!」


 わたしはイリヤの話をぶち切った。雨に濡れた服を脱いで、身体を乾いた布で拭くのが忙しい。サクヤも早く着替えさせないと、風邪を引くかも知れない。

 イリヤの話を聞いてる暇なんてない!



 表向き、これでエルザさんは死んだことになる。お腹の子供が生まれる前に死んだのだから、もう領主様のお家騒動とは無関係だ。

 これで亡き領主様の奥方も、この村を気にかける必要は無くなるはず。

 しばらくの間、エルザさんにはここに潜んでもらって、折を見て旦那オドさんの行商に紛れて、別の土地へ逃れてもらう。

 悪魔の黒い爪の毒素が、身体から抜ければ手足の黒ずみや皮膚のひびも治るだろう。新しい土地で別人として、親子で穏やかに暮らせる・・・きっと。



 わたしとサクヤが着替えを済ませると、司祭様がお湯を持ってきてくれた。

 器に注いだお湯をサクヤに与えた。サクヤは掌を器に添えて、自分の掌を温めている。やっぱり寒かったんだ。


「寒い思いさせて、ごめんね」


 サクヤの掌の上から、わたしの掌を重ねた。サクヤの指はまだ冷たかった。


 

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