第5話 悪魔の黒い爪

 エルザさんは、旦那オドさん夫婦の家で静養させることになった。

 わたしたちが教会の倉庫へ移って、エルザさんに部屋を空けようかとも提案したが、薬師に側に居て欲しいからと止められた。

 もう一つ空いていた小さな部屋に、わたしたちの部屋からベッドを一つ移動してエルザさんを寝かせる。

 わたしもイリヤも野宿には慣れてるから、サクヤの寝床さえあればいい。一つのベッドに3人で寝てもいいし。



 リサさんが、エルザさんの家に着替えを取りに行くと言ったら、唐突にイリヤが同行すると申し出た。


「僕も一緒に行きます。もしかしたら、エルザさんが自宅で何か悪いものでも食べたかも知れませんからね」


 イリヤが行くのなら、わたしもサクヤを連れて一緒に行こうとしたが、イリヤは一人で行くと言う。


「ここに残ってサクヤをお願いします。それに、またエルザさんが発作を起こしたら抑えられるのは貴女だけですよ」


 確かに、あの時のエルザさんの力はもの凄かった。男性とは言え、旦那オドさんでは抑えるのは難しい。



 イリヤとリサさんが戻ってきたのは、太陽が西に傾いて空が赤くなりかけた頃。それから、リサさんは大急ぎで夕食の準備に取りかかってくれた。

 昼食を食べずに教会へ行った時に、司祭から炒り豆をもらった。わたしとサクヤは、その炒り豆で空腹を紛らわせたが、イリヤは何も食べていないはず。


「部屋で夕食を待ちましょう」


 部屋に戻ると、イリヤは黒い三日月状のモノを掌にのせて見せてくれた。


「悪魔の黒い爪です」



 * * * * * * * * * *

【悪魔の黒い爪】


 後の世に、麦角菌と呼ばれる真菌類に寄生された麦の穂。菌核が黒い角状になるので「悪魔の黒い爪」と呼ばれた。

 有毒性でその中毒は「聖アントニウスの火」とも呼ばれ、足手の血行障害による脹れや焼け付くような痛みをもたらした。脳神経系にも作用して幻覚や痙攣などを引き起すこともあった。

 重症になった場合には手足が壊疽を起こし、黒く変色して崩れ落ちることもあった。

 * * * * * * * * * *



「悪魔の黒い爪?」


 悪魔か・・・神々が沢山いる国から来たわたしには理解しづらいモノ。


「麦に悪魔が乗り移ったとか、呪いとか言われてますけどね。麦の穂に、ごく希に発生するんですよ。昔から堕胎薬に使われてました」


「堕胎薬!」


 エルザさんは身籠もっていたはず。


「当然、毒薬です。量を間違えたら、手や足が焼け付くような痛みで腐り落ちてしまいます」


「これ、どこにあったの?」


「エルザさんの家にあった麦に混ってました。この麦で作ったパンを食べてたせいで、毒を身体に取り込んでしまったんでしょう」


 それって領主様の本宅から、エルザさんのところへ届けられた麦では・・・?


「・・・!」


 声を出す直前に、扉の外の気配に気付いたわたしは唇に人差し指を当てる。イリヤは口を噤み、サクヤはイリヤの背中に滑り込む。



 部屋の扉がノックされて、リサさんが部屋に夕食を届けてくれた。


「頂いたお薬のおかげで、妹はずいぶん楽になったようです。さっき持って行った豆のスープもしっかり食べられました」


「そうなのね。良かった」


「はい、本当にありがとうございます」


 夕食の皿を届け終わると、リサさんは深く頭を下げて出て行った。

 今日はパンはないが、炙った燻製肉と茹でた野菜で量も多い。茹でた野菜の塩加減はちょうど良かった。


「エルザさんの家の麦は使わないように言ったのね?」


「はい。でもまだ確信はないので、詳しいことは御夫妻には伝えてません」


「いつ確信が持てるの?」


 イリヤは返事ができずに押し黙ってしまった。いや、確信が持てても、どうしていいのかわからないのが正しいんだろう。

 イリヤは、実家の薬屋を飛び出してから、市警官助手をやっていた。今のイリヤは、薬師モードではなく市警官助手モードになってるようだ。

 そうか。市警官助手モードになってるイリヤは、カワイくないんだ。

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