第11話 ユウベハオタノシミデシタネ

「もちろん唯一の生き残りとしての使命感もあるにはあるよ? でも一番の動機は罪悪感だね」


 暗闇に彼女の落ち着いた声が静かに流れる。


「あたしがストラーヴァにいたのって4歳の頃だから……あたしの中で日に日にストラーヴァの記憶が薄れていっているんだよね」


「そうか。13年近く外の世界で生きてるのか。お姫様だった時間よりもすでに長いですね」


 青年にはそんな無難な相槌を打つのが精々だ。

 どちらかと言えば割り切った性格の青年だが『忘れたって仕方がないっすよ』なんて無責任なことはさすがに言えなかった。


 青年に前世の未練はない。

 過酷なサバイバル生活の中でセンチメンタルな感情とはすでに決別を済ませている。『君と出会えてよかったよ。幸せになってくれ』と恋人と笑顔と握手で別れるがごとく。


 だとしてもだ。もしも異世界生活を続けてゆく中でいつか前世のことを完全に忘れてしまうとしたら?

 家族や友人。楽しかった想い出などなど。


 想像するとあまりに恐ろしい。


(それは自分が自分でなくなってしまうような恐ろしさだ……)


 現在のソウジンにとって『転生者』であることがアイデンティティの根幹にある。

 それがブレたら『異世界転生したと思い込んでいるだけの頭のおかしい人間』でしかなくなってしまう。


 おそらくエウレカにとって『亡国のお姫様』というアイデンティティが彼女を彼女たらしめている根幹的な要素なのだろう。


「お父様やお母様の顔もどんどんぼやけていってる……このままだといつかストラーヴァのことを全部忘れちゃうんじゃないっかって……それがひどく申し訳なくって……自分がひどく薄情な人間に思えて……」


 背後で彼女が声を震わせる。気持ちは痛いほど分かる。

 しかし、この問題は一長一短でどうにかなるものではないだろう。この先も彼女を悩ませ続けることだろう。

 

(なんせ最強の冒険者にならなければならないらしいからな)


 先は長い。だからこそ青年は年上らしく明るく振舞う。


「お嬢! よくぞ俺に秘密を打ち明けてくれました! 実に賢明な判断だ!」


「そう?」


「俺はこっちの言葉が喋れない! ゆえに俺から秘密が漏れる心配はない! ものはついでだ! 他にも悩みがあれば気にせずこの俺にっぶっちゃけてくださいよ!」


 王様の耳はロバの耳ってやつである。


「え? 言葉が喋れないとか関係ないよ?」


 まさかの否定である。


「ソウジンになら秘密を打ち明けても大丈夫かなって思ったからだよ」


 屈託のない返答が背後から流れてくる。

 さすがに首を捻って振り返ってしまう。

 驚いたことに、ピンクゴールドの少女が吸い込まれてしまいそうな真っ直ぐな瞳でこちらを見つめていた。


「今日、出会ったばかりなのに変かな? ソウジンに聞いてもらいたいって思っちゃったんだよね……理由はあたしにもよくわかんないけどさ」


 青年は初めて知った。

 正直者とは時に嘘つきよりも恐ろしいのかもしれないと。


「だからもしソウジンがこの世界の言葉を喋れたとしても、きっとあたしはソウジンに秘密を打ち明けたと思うよ」


 青年に返す言葉はない。完全に食らってしまっている。

 こんな風に手放しに信頼されて嬉しくない人間がいるだろうか。


「マジでプリンセスだわ……」

「……え?」


 青年の脳裏に鮮明に浮かんでいる。

 ドレスで着飾ったエウレカがお城のバルコニーから大観衆に演説している姿が。

 彼女の言葉に心打たれた民衆からのエウレカコールが響き渡る光景が。


 彼女の言葉には奇妙な説得力があり、やけに胸に響く理由をようやく理解する。

 彼女は天性のお姫様カリスマなのだ。


(こりゃとんでもない人間に買われちまったみたいだ……まあ、でも、これはこれで面白いか)


 青年は興奮している。亡国のお姫様か。大いに結構。実に異世界らしい状況に少年ハートをぐわんぐわんと揺さぶられている。俄然やる気が湧いてくる。


「了解です! そういうことなら『最強の冒険者』を目指して明日からバリバリ働かせていただきます!」

「うん! ありがとう! 一緒に頑張ろうね!」


 ベッドの中でピンクゴールドの少女と見つめ合い笑顔で頷き合う。

 まるで修学旅行の夜、好きなあの娘と巡回の体育教師から隠れるために一緒の布団に潜り込んだあの時のようじゃないか。

 ちなみにそんな甘酸っぱい出来事なぞ実際にはなかったが。


「ではお休みなさい」

「うん。お休み」


 ソウジンはピンクゴールドの少女に背を向け静かに瞼を閉じる。いつ以来だろう。こんなにも心穏やかな気分で眠りにつくのは――。


 黒髪青年はそのまま朝まで落ちるように眠る。

 彼に不埒な考えなど微塵もなかった。


 ――――ところがである。


 青年の至福の時は、眩い朝陽に照らされ目覚めるのと同時に終わりを告げる。

 やけに温かくてやけに柔らかくてやけにいい匂いがする。


「…………へ?」


 なぜなら、ご主人様が姿で黒髪青年に抱きついていたからである。

 シャツが大きくはだけ、おへそどころか胸元の下半分くらいまで丸見えだ。

 見方によっては完全にである。

 瞬間、サーッと顔が青ざめる音がした。

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