第3話 百聞は一見に如かず

 黒髪青年は奴隷商館の頑丈そうな鉄門を潜ると、ぐーっと大きく伸びをする。身体のあちこちからゴキゴキと鈍い音が鳴る。

 青年は二週間ぶりの太陽を拝みながら目を細める。


娑婆しゃばの空気は美味いぜえ!」


 人生で一度は言ってみたいランキング上位のセリフをドヤ顔でのたまう。


 清潔な布で身体を拭き真新しい冒険者装備に身を包み上機嫌の黒髪青年である。

 羽織はおりのようなゆったりとした上着と、地下足袋じかたびのような足にフィットするブーツが特にお気に入りである。

 

「勢いで奴隷を買っちゃったけど……本当に彼で良かったのかな」


 その様子をピンクゴールドの少女が不安げに眺めている。


「えっと、あたしはエウレカ。改めてよろしくソウジン・オキタ」

「ソウジンとお呼びくださいお嬢」


 ソウジンは差し出された白い手を握り返しながら片膝を落とす。


「お嬢? なにその呼び方?」

「ご主人様とお呼びしたほうが?」

「んー、だったらお嬢でいいかな? あたし、ご主人様なんて柄じゃないし」


 エウレカがくいっと腕を引っ張るので「了解です」とソウジンは立ち上がる。


「それと必要以上にかしこまる必要もないよ。ソウジンのほうがあたしより年上でしょ?」

「たぶん。俺、27歳だし」

「え! あたしよりも10歳も年上じゃん! もっと若いと思ってた……」


「あー、あれか。海外で日本人が若く見られる的なやつね……そういうことなら可能な限りフランクにいかせてもらおうかな。とりあえず飯でも食いながら今後について話しましょう」


「ってか! 早くない?」

「なにがっすか?」


「順応するの! あたしたちさっき出会ったばっかりだよね?」

「まさしく運命の出会いでした」

「ソウジンはいきなり現れた年下の小娘に奴隷として買われて悔しくないわけ?」


 エウレカが唇を尖らせる。真剣にソウジンのことを心配してくれているらしい。

 部下のメンタルケアをおこたらないとは素晴らしい上司ではないか。

 ならばソウジンも真剣に答えねばならないだろう。


「そりゃ悔しいか悔しくないかと問われたら……もちろん、悔しくないです」

「……え?」

「ちっとも。ぜーんぜん。まったく悔しくないっすね。むしろお嬢のような美人に買ってもらえてラッキーって思ってるくらいだ」

「うっわ、すっごいテキトーじゃん。なんなのこの人……」


「いやいや、この世界に来てから誰とも会話ができなかったんすよ? こうして喋れることが俺にとってどれほど幸せか。それにあのまま売れ残ったら鉱山送りになるところだったんだ。お嬢は命の恩人だ。感謝の気持ちのほうがずっと強い」


「そっか。正直、相手の気持ちを考えると奴隷を買うことに抵抗があったけど……ソウジンがそう思ってくれてるならあたしの気持ちも少しは軽くなるよ」


 最高の上司やないかーい。ブラック企業で数々のクソ上司と関わってきたソウジンは彼女の優しさに感動してしまう。


「俺が元社畜だからかな? 状況に対してあらがうよりもさっさと順応して、与えられた環境の中でベストを尽くそうってマインドなんですよ」


「社畜ってのはよくわかんなけど……嫌々ってわけじゃないならいいよ」


「むしろ前向きかな? 俺自身、特に目的はないし。お嬢の奴隷になったのもなにかの縁だ。お嬢の目的のためにベストを尽くしますよ」


 これは皮肉な話なんだが、ブラック企業から解放されて自由になったはいいが、なにをしていいのかよく分からないのだ。正直、見知らぬ異世界の土地に放り出されて途方に暮れてしまっていた。

 あまりにも自由度の高いゲームはかえって持て余す的なアレである。


 悲しいかな、どうやら黒髪青年は目的を与えられそれを忠実に効率よく遂行することに悦びを見出すタイプの人種らしかった。

 

「……ま、誰もが必ずしも王様になりたいわけじゃないんだよな。王様に仕えることに生きがいを感じる人間だっているんだよね」


「ん? ソウジンなにか言った?」


「はい。ハゲでデブで脂ぎったゴミのような性格の上司のためではなく、お嬢のような可愛くて優しいご主人さまのために働けるなら社畜も悪くないかもなって」


「もう! ソウジンってばテキトーなこと言いすぎ! 年下だけどあたしがご主人さまなんだからね? あまりからかわないで!」


 不服そうに唇を尖らせてはいるがピンクゴールドの少女の頬は真っ赤である。


(俺みたいなタイプの人間にとって重要なのは、仕える相手を間違わないことだよな。その点において、派手な見た目に反して心優しきピンクゴールドの彼女は今のところ当たりと言えそうだ)


「性格は思ってたよりテキトーだけど、ソウジンが忠実な奴隷だとわかってあたしは嬉しいよ」

「恐悦至極に存じます」

「あとは地下で大口を叩いてみたいに本当に強ければさらに嬉しいんだけど?」


 エウレカがソウジンに胡乱な眼差しを向けたその時だった。

 街の大通りから年配の女性の叫び声が聞こえてくる。


「だ、誰かぁー! その男を捕まえて頂戴! ひったくりよぉー!」


 外套がいとうを頭からすっぽりとかぶった大柄な若い男が、

「邪魔だ! 退けッ!」

 子供や老人を突き飛ばしながら人混みの大通りを走ってゆく。


「おー、おあつらえ向きのシチュエーションだ。許可を頂けるのなら今すぐ俺の実力をみせましょう」


 腰にぶら下がるブロードソードの柄に手をやりながら黒髪青年がひったくり男に鋭い視線を送る。


「ソウジン止められるの?」

「お望みとあらば」

「じゃあ許可する」

「半殺しにしてしまったらすみません」

「ダメ! 絶対ダメ! 街中だよ? できるだけ穏便に!」

「了解でーす。手加減する方向で」


 即座、黒髪青年は腰を落す。

 青年は転生した瞬間から本能のように知っていた。


 アビリティの名を――。

 その発動のさせ方を――。



【――—〈疾風迅雷しっぷうじんらい〉――—】



 刹那、旋風つむじかぜのごとくエウレカの眼前から黒髪青年の姿が消える。

 さながら地を這う稲妻のごとき速度で青年は人混みすり抜けてゆく。


 たとえるならアビリティ〈疾風迅雷〉はカーナビだ。目的地を設定すると自動で最短ルートを脳裏に描いてくれる。

 あとはそのルートに従って全力疾走するだけ。


 それとこれは転生者の力だろう。身体が信じられないほど軽い。前世と見た目こそ大差ないが、身体能力は爆発的に高まっている。


 間もなくして視界がひったくり男の背中を補足する。

 青年はブロードソードの柄をグイと握り締める。



【――—抜刀術〈紫電一閃しでんいっせん〉――—】


 

 刹那、ブワっと青年の黒髪が真下からの突風にあおられたかのごとく舞い上がる。

 同時、紫色の閃光がブロードソードの刀身からほとばしりひったくり男の背中を斬り裂く。


「うぎゃッ!」


 凄まじい衝撃に突き飛ばされひったくり男は低空飛行で吹っ飛んでゆく。そのまま真正面にある建物の土壁に顔面からズドンと激突。

 ひったくり男はズリズリと壁に沿って崩れ落ち、顔から地面にくの字に突っ伏してピクリとも動かなくなる。


 ソウジンは「ふぅ」と短く息を吐き、


「つまらぬものを斬ってしまった……」


 人生で一度は言ってみたいランキング上位のセリフをのたまいながらブロードソードをカチャリと鞘に納める。


 そんな緊張感のない黒髪青年とは裏腹に、往来の人々は驚きの光景に唖然と固まっていた。

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