後編

「風呂と洗濯機はこの部屋だ。一応、浴室まで全自動クリーニングはしてあるはず。洗濯機は入れるだけで全部やってくれるタイプだ」

「おお悪いな。もろもろ借りるぜ」

「わー! 私も連れて行って下さいよー!」


 雑巾くさいコートを脱いだアイーダは、ごく自然に腕のサイバー端末をテーブルに置いていこうとし、ナビは両腕をブンブン振って呼び止めた。


「冗談だよ」

「ですよねー! アイーダさんは私とセットじゃないとダメダメですからー!」

「やっぱ置いて行くか」

「ダメを1個増やしてすいませんでしたー!」

「一言多いんだよお前は」


 終始イタズラっぽく笑っていたアイーダは、結局サイバー端末をしっかりと手にして風呂場へと消えていった。


 ややあって。


 雑巾臭までまとめてサッパリ落とし、飾り気も色気もへったくれもない紺の部屋着に着替えたアイーダが、ソファーの中央寄りの右側に腰を下ろした。


「――で、なんでしがない探偵であるアタシが、焼け出された挙げ句、事務所をメコン川くんだりまでぶっ飛ばされる羽目になってんだ?」


 合成ノンアルコールウイスキーのロックを手に、アイーダはボディを交換してホログラムキーボードで報告書を作る、少し離れたところに座るカガミへ訊ねる。


 ちなみに、備品も食料も自由に使っていいと言われたため、アイーダは容赦なくつまみのチーズまで拝借していた。


「なにノンアルなのに格好付けてるんですか?」

「クソ下戸なんだから仕方ねえだろ。格好ぐらいはつけさせろ」


 カラカラ、とグラスをクールに回していたアイーダは、腕組みをしてあざとく首を傾げたナビに、その雰囲気をぶち壊され彼女をジト目でにらむ。


「……私はあなたの問いに答えていいか?」

「スマンスマン。どーぞ」


 またまた1人と1体の漫才が始まる前に、カガミは早めに遮って話を進める。


「まず結論からいうと、あなたを狙ったのはキンセン社のアンドロイド。そして厳密に言えば狙われているのはあなたではなく、そのナビという人工知能のデータだ」

「は? なんでクソおしゃべり機能付き家庭用AIを?」

「……」

「そもそも、家庭用AIは彼女のように自我を持ってしゃべる機能はないだろう?」

「そうなのか? 初めて買ったんで他を知らねえし」

「あ、バレてますか。やっぱり国という形を護るだけなら公安は優秀ですね」

「申し訳ない。形を護るためにしか、我々は国民を護れないんだ」


 事務所にあったものより上等なドックで投影されている、皮肉を言うナビの表情にも語り口にも無邪気さが無くなっていた。


「ヤタさん、そりゃどういう事だよ」

「……」

「な、なあ。ナビも何か言えよ」

「……」


 悪い冗談かなにかだと思ったアイーダは、その棘のある言葉に動揺して口元を引きつらせ、頭をさげる1人と彼女を睨む1体へ視線を往復させる。


「彼女の開発コードは〝機械仕掛けの悪魔〟。全てのサイバー空間を意のままに操り、時には破壊するために生まれた」

「って言われるの、私嫌なんですよねー。なんたって全然可愛くないですし」

「……」

「何か言えって言ったのに、言ったら言ったでアイーダさんが無言じゃないですかー」

「あーいや。スマン、あんまりにもスケールがクソデカすぎたもんで……」

「ぬふふ。分かっていただけたようですね!」

「気を遣って明るくしようとするAIなんかいねえもんな」

「そうです! スーパーなんですよ! そんじゃそこらの――」

「しつこい」


 腰に手を当ててこれ以上にないぐらい胸を張り、自画自賛を重ねるナビへ、アイーダは毛虫でも見る様な目になって冷たく言い放った。


「あっ、そのさげすむ様な目っ。クセになりそうです!」

「で、そんなやべーコイツの居所を掴んだんで、ロケラン担いで取り返しに来たわけか」

「――まあ、そうなる」


 両手を交差させて胸元に触れ、クネクネと身をよじって興奮するナビをガン無視し、迷惑な話だぜ、とアイーダは続けた。


「あれ、キンセンに作られたってご存じなんです?」

「そりゃ作れるような規模で人材がいんのは、政府じゃなけりゃキンセンだろ。名探偵じゃなくてもそのくらい頭は回んだよ」

「ですねー」

「あんたが出向いたってこた、アタシもナビも政府が保護してくれんだな」

「それは……」

「アイーダさんは対象外ですよね」

「……その通りだ」

「マジかよ」

「まあアイーダさんを放り出すなら、政府機関のシステムを滅茶苦茶にしますけど」

「おいおい、国家ごと脅す気かよ」

「とーぜんじゃないですか。私はアイーダさんの利になることしかしませんからー」


 歯切れの悪いカガミに対しては先程の様に表情にもとげがあるが、向き直ったアイーダへは朗らかに眉間へ力を込めて宣言した。


「アタシ、お前にそんなに言われるだけの事したっけ?」

「それはですね、アシストAIとして、純然な善意でお仕事されているあなたを見てきたからですよ。私の開発者は野心でしか動かない、冷たい人達だけでしたから」

「んなアタシが正義の味方みたいに見えてんのか」

「はい。あ、でもそれだけじゃないですよ。アイーダさんは私がいないと生活能力無くて死んじゃいそうで心配だなっていうのもあります!」

「いや、お袋かよ」

「私はアルティメットなので、恋心とか母性ぐらい軽く生まれちゃうんですよねー」


 憧れを持ってナビに見上げられ、照れ隠しを言っていたアイーダだったが、生暖かい目で言われた2つ目の理由で頬を羞恥に染めつつずっこけた。


「……上には、ナビさんの要望は伝えておく」


 深海に沈んでいく様なため息をついて目を閉じてから、カガミはそれで止まっていた手の動きを再開させた。


 その後、ナビとのしょうも無いやりとりを肴に、チビチビとノンアルコールウイスキーを飲んでいたアイーダは、


「あ、寝ちゃいましたか」


 精神的な疲労もあって、近くに置いてあったブランケットを掛け、座ったまま居眠りを始めた。


「弁償はすっから――ッ。……夢か」

「凄く世知辛そうな悪夢だったようですねー」


 約2時間後、アイーダは悪夢を見たせいで目を覚ます羽目になった。


「おう、マスターが顔を血まみれに……って、ヤタは?」

「あの人なら、絶対に同僚が来るまで外に出るな、って言って、アイーダさんが寝てすぐ出て行きましたけど」

「は?」





 セーフハウスから出たカガミは、わざとキンセン社の追っ手に気付かれて路地に誘い込んで捕らえ、彼らの電脳をハッキングして識別信号を奪い取った。


 変装してを盗みながら社屋に侵入し、後は手当たり次第に私兵を殺害し、とあるサイボーグの男がいる社長室まで迫る。


「やあ公安0課のヤタ・カガ――」


 部屋に入るやいなや、真正面の社長イスに座って出迎えた、男の頭部に45口径の弾丸をぶち込んだ。


 気が抜けた様に息を吐くカガミが死亡を確認するために、頭がぶっ飛んでスパークを散らす男に近寄ったそのとき、


「――話は最後まで聞くものだろう?」

「な……」


 その身体から表面がパージされ、粘着液が飛び散ってカガミを絡め取った。


「う、ぐう……」

「残念だったな。貴様の復讐は失敗だ」

「か――」


 瞬時に硬化して身動きがとれなくなった彼女は、接続部に電気ショックを喰らい、保護機能によってシステムを閉鎖モードにされた。





「全く、私兵を9割も使い物にならなくしおってからに」


 所々ボディが損傷して返り血にまみれたカガミは、キンセン社の実験エリアに囚われていた。


 そこは2フロアを縦にぶち抜いた、影が出来ない様に白い照明が配置された収容室で、寝台に横たえられたカガミは要所を分厚い金属の拘束具で固定されていた。


 瞼が開いたままの彼女のうなじにある電脳への接続部からは、太い配線が4本伸びていた。


「まだ電脳のロックは開かないのか。もう2時間は経ったが」


 上階からはめ殺しのガラス越しに彼女を見下ろすマッシブなサイボーグ男は、サイバー端末を操作している研究者サイボーグへ訊ねる。


「はい、カネイズミ様。大変強固なものでして、進捗しんちよくは12%程です」

「そうか。幼児期から全身義肢者のデータは稀少きしようだ。ここまで生育したコストを無駄にしないよう、くれぐれも慎重に頼む」

「はっ」


 その報告を聞いて、カネイズミと呼ばれた男は苛立たしそうに唇をへの字に曲げたが、ご苦労、と告げると収容室内への音声を切って部屋を去った。


 やっと、好機が巡ってきたと思ったが……。それすら仕組まれていた、か……。


 意識と五感のみが稼働している状態で、人生すらカネイズミの計算であった事を知ったカガミは、白光の視界の中で脳内に響くアラートをどこか他人事の様に聴いていた。


 私の感情すら、あの男の意図した通りなのだろうか……。利用しただけとはいえ彼女たちとの出会いも……。


 ならばもう、このまま全部諦めてデータの海に溶けて――。


 彼女の意思に答えるかのように、進捗が一気に40%台へと迫って、


「うーん、やっぱり毒親のいる実家は顔を出すのも嫌ですね!」


 唐突に、妖精の様な可愛らしい声が聞こえて停止した。


「なん――」


 研究者サイボーグはその声を聴いた瞬間、無表情で直立して口を開けると、そこからドヴォルザークの『新世界より』が流れ始めた。


「なんでこんなもん流してんだよ」

「ほら、バイオレンスシーンの定番演出じゃないですか」


 それは社屋内全てのスピーカーやサイバー端末から流れていて、それに紛れてすぐ足元から1人と1体の掛け合いが聞こえた。


「適当に抜いて大丈夫かこれ」

「はい、リンクは切っておきましたんで」


 黒服に変装したアイーダが顔を覗き込み、うなじに刺さっているプラグを引っこ抜いた。それと同時に制御が回復し、拘束具も外れカガミは開放された。


「おら、立て。さっさと敵討ちに行くぞ」

「なんで知って……」

「キンセン航空404便テロ事件。その犠牲者リストにヤタ・カガミが載ってたんだよ」

「そこから、なんやかんやで調べが付きまして。あ、なんやかん――」

「やってる場合か! ほれ、ここからはお前がライターだ」


 自身の端末に表示されているナビのむくれ顔を無視し、アイーダはカガミに回収してきた拳銃けんじゆうと装備品を渡しつつ、開きっぱなしのドアを指さして言う。


「……。ああ」


 カガミは半信半疑ながらも、明確に自身の手を引いてくるアイーダの言う通りにしてみる事にした。


 ややあって。


「な……、なんだこれは!?」


 電算室にいて焦っているカネイズミの本体は、会社システムへ侵入した〝機械仕掛けの悪魔〟の強制停止コードを入力していたが、エラーが出るばかりで効果はなかった。


「ほれ、アタシ達の乱入は筋書きに無かったみてえだぞ」

「コードはアイーダさんに権限を移しましたよ。どうやって? 私はアルティメットなので」

「アイツ今なんも言えねえだろ」


 ナビに電脳へ侵入されていたカネイズミは、閉鎖モードで身動きを封じられ、目の前に突然2人と1体が現われた様に錯覚した。


「こんなアホ面さらすヤツに頭が上がらなかったのか政府は」

「ああ。面目ない」


 殺意と共に銃口を向けていたカガミだったが、あんぐりと口を開け、鼻水を垂らしている中年を見て殺すことすらバカらしくなり銃を下げた。


「カネイズミ・ナリヤ。お前を殺人等、多数の容疑で逮捕する」


 ナビが脅して出させた礼状を読み上げ、カガミは腰の後ろにマウントされた電脳ロック装置を装着した。





 それから数日後。


「良かったのかよ。殺さなくて」

「ああ。どうせ極刑になるなら、血税の無駄だし」

「違えねえ。――いい顔で笑うようになったじゃねえか」

「同僚にも言われたよ」


 自身がポケットマネーで購入した、新しいアイーダの事務所兼住居に訪れたカガミは、サイボーグ用コーヒーを飲みながら彼女と談笑していた。


「ふおおお! 完璧に私じゃないですか! これでアイーダさんを直に介護できますよ!」


 再開祝いに、とナビを忠実に再現した、サイバー端末ドックと合体させた介護用アンドロイドが贈られ、ナビは締まりの無い顔をして姿見の前でクルクル回る。


「おいこら、ババア扱いすんな。ったく……」


 はしゃぎまくるナビを見て、アイーダはまんざらでもなさそうに苦笑いしていた。

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機械仕掛けの悪魔 赤魂緋鯉 @Red_Soul031

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