Report 2. 金曜日のカレーライス
――ルキア・レッドフォード取材報告
――火星歴 141年20月21ソル 月曜日
――いよいよ地球へ出発。地球にはどんな食べ物があるのか楽しみだ。
私たちはこれからエスプロリスト号に乗車する。折り返し地球に向かう宇宙列車だ。光速の約〇・〇三パーセントまで加速し、およそ一週間半の旅になる。地球到着後、私たちはエスプロリスト号のクルーとして、二年間、試運転や科学調査の任務に就く予定だ。といっても、地上勤務もあるので、その機会に色々食べてみようと思う。
「あのお貴族様、見送りに来ないの~?」
「なんか、地球人たちと食堂車に閉じこもってるらしいよ。まったく、人に物を頼んでおきながら……」
車両基地の隅っこにポツンと食堂車。あんなところで一体何をしているんだか。
『アンリミテッド・ハンバーグ・パーティーですわぁ! オーッホッホッホッホ』
脳内のエレノア・ブライトンが荒ぶっている。食堂車の中を飛び交うハンバーグ。空を舞うサイコロ肉。
……私は頭を振って邪念を振り払った。
仮設の発車ホームは、火星コロニーを出て、与圧フィールドの中を少し歩いたところにある。その二番線でエスプロリスト号が出発を待っていた。エスプロリスト号は地球製の車両を用いた宇宙列車で、十六両編成だ。流線型のフォルムが美しい。
その入り口で、船長が私たちを出迎えた。
「エスプロリスト号へようこそ。私が船長のカエルム大佐だ」
船長は陽気な笑顔で、白い歯を見せる。良かった、悪い人ではなさそうだ。
「ルキア・レッドフォード大尉です。ただいま着任いたしました。乗車を許可願います」
「私は、ミンユェ・リー。少尉だよ。よろしく~」
「乗車を許可する。これから二年間、よろしく」
「よろしくお願いします」
「ラジャ~★」
ミンユェは、必要もないのに挙手の敬礼をして、ペロリと舌を見せる。しかも手首が曲がってるし。不格好ったらありゃしない。
「はぁ……。リー少尉、真面目にしなさい。これは命令です」
私がそう命令しても、ミンユェはヘラヘラとした態度だ。
「ちぇ~堅苦しいのやめようよぉ」
ダメだ。分かっていたことだが、こいつはどこまでもマイペースだ。どうしようもない。
「船長、申し訳ありません。後で言い聞かせておきますので」
「ハッハッハ、構わないよ。元気でいいじゃないか」
地球公用語の正確なニュアンスは分からないが、もし火星のお貴族様がこれを言うなら、「うるせえ、こいつを黙らせろ」という意味だ。
「……本当に申し訳ありません、船長」
第一印象、失敗したなぁ。国際問題にならなければいいけど。ただでさえ、地球政府と火星政府は折り合いが悪そうなのに。
幸いにも、カエルム船長は気にする様子はない。
「では、ブリッジへ」
私たちは彼の案内に従った。
ちなみに、宇宙列車は宇宙船でもあるので、船に準じて指揮所はブリッジ、最高責任者は船長と呼ばれているのだ。
ブリッジへの道すがら、彼は私たちに提案した。
「そうだ。二人とも、離陸後、歓迎会も兼ねて一緒に食堂車でディナーはいかがだろうか。今日はちょうど金曜日だ。今日の日替わりはおすすめのメニューなんだ」
「……船長。あの……」
「……今日は月曜日の早朝だよ~」
私とミンユェがそう言うと、船長はポンと手を叩いた。
「ああ、そうだった、確かに火星歴では月曜日だったね。我々は地球歴のZ時間で行動するから、今は地球歴Z時間の2413年9月13日、金曜日、19時なんだ」
なるほど。火星の一日である一ソルは地球より約39分34・25秒長い。その分だけ地球の一日と火星の一ソルはずれていくから、その積み重なりで、曜日にも時刻にも食い違いが生じているということか。
「……ただ、朝からディナーは重いかな?」
カエルム船長が問うと、私たちは即座に否定した。
「いえ、何でも食べます! 食べさせてください!」
「……そ、そうか。良かった。楽しみにしておいてくれ」
船長は半歩下がって、渇いた笑い声を発する。
しまった。勢い良く食いつきすぎたか。よほど腹を空かせているのだと勘違いされてしまったようだ。また、失敗である。
こうして、私たちは、ブリッジへと足を踏み入れた。
白を基調とした真新しい内装が眩しかった。左右の壁面には中型のスクリーンが整然と並び、その下にタッチパネル式の操作卓が並んでいる。センサーの計測値がリアルタイムにグラフにプロットされ、クルー達がそれを確認しながら議論を交わしていた。ブリッジの中央には、船長席があり、その前方にパイロット席と運用主任席がある。そして、最奥部にディスプレイを兼ねた大型フロントガラスがあった。その外には見慣れた赤褐色の平原が広がっている。
さて、私たちが自己紹介を終えると、ブリッジクルー達はせわしなく離陸準備を始めた。私たちが補助席に着席してシートベルトを着用したのを確認すると、船長は命令を下した。
「さあ行こう。地球行き、9002列車発車!」
ブリッジに緊張が走る。
「9002列車発車!」
パイロットの復唱と共に、列車は光のレールに導かれ、オリュンポス山よりも高く、はるか上空へと向かって走り出した。激しくなる振動と共に、赤褐色の大地は遠のいて行く。
やがて振動が収まると、もうそこは宇宙だった。どこまでも続く静寂の世界。その暗闇の中にひときわ輝くものがある。赤く丸い地平線――あれが私の生まれ育った星、火星だ。今しばしの別れである。
「周回軌道に乗りました。各システム正常」
運用主任の報告とともに、ブリッジの空気は和らいだ。
「では、早速、食堂車に行こうか」
私とミンユェは、船長に連れられ、食堂車へと向かった。
食堂車に入った瞬間、何やら独特の匂いが私達を包んだ。それは未知の匂いだったが、嗅いだ瞬間、何故だか私のお腹がグウと鳴った。
船長に案内されて席に着く。
「ヘイ、アシスタント。二人分お願い」
『……』
私の声にコンピューターが反応しない。
「ハハハ、地球のコンピューターは『OKコンピューター』で呼び出すんだ」
と、船長。
「OKコン――」
「ああ、ただ、地球にはフードレプリケーターがなくてね、代わりに彼が作ってくれるんだ」
しばらくすると、白い服を着た人物が現れた。医者かと思ったら、そうではないらしい。彼は私たちの机に地球料理を運んできた。そして、船長は彼のことをシェフと呼んだ。
「シェフって何だっけ」
小声でミンユェに尋ねる。火星では聞き慣れない単語だ。地球公用語はエスペラント語にない外来語が多いので、たまに文意が分からなくなる。その点、ミンユェは言語オタクなので、頼りになるはずなのだが――。
「えっと、確かぁ、近いのは『車夫』っていう古い日本語じゃな~い? 人力車を牽く人って意味だよ」
なぜ車夫が料理を作って持ってくるのだろう。余計に文意不明である。まあいいか。個人名か何かだろう。
まず、料理の写真を撮る。あのエレノア・ブライトンを悔しがらせるために、写真のクオリティは重要だ。
一つは葉っぱを切ったもの――知っている、これはサラダだ。そして、白いツブツブが盛られた白い皿――これは確かライスだ。いずれも、総裁の昼食会で食べた記憶がある。
だが、これは初めて見る。大きな注ぎ口のついた金属製の器に、茶色でドロドロの液体が湯気を立てていた。サイコロ肉と同じぐらいの大きさの、黄色い物体、赤い物体、黒い物体が浮かんでいる。見た目は奇妙だが、この鼻腔を刺激する匂いは、何故か食欲を刺激するパワーがあるようだ。早く食べろと胃が急かす。
大きなスプーンが付いている。これで、この茶色い液体を飲むのだろうか。写真を撮り終えた私は、少しだけスプーンに液体を掬い、恐る恐る口に近づける。
「おっと、もしかして『カレー』は初めてかな?」
「はい……。地球料理にはあまり馴染みがなくて」
「これは、こうやって、ライスに掛けて食べるんだ」
私は船長のマネをして、大きなスプーンで「カレー」をライスに掛ける。そして、一回り小さいスプーンで、その液体に浸されたライスを掬い、口に含んだ。
「!!」
――……痛い? 違う、口の中がチリチリする。
「!?」
ミンユェは、ゲフンゲフンと咳き込んでいる。
「……お口に合わなかったかな?」
「分かりません……もう一口」
痛みに衝撃を受けたのもつかの間、第二波に来るのは濃厚な味わいだ。その味を形容する言葉を私はまだ知らない。ただ、確かなことは、カレーのピリピリとした刺激とライスの甘みが絡み合い、絶妙なコンビネーションを演じていることだ。その調和のとれたバランスが相乗効果を生み、次の一口、次の一口へと私を駆り立てた。手が止まらない。私はどうしてしまったのだろうか。
「なにこれ~、美味しすぎない?」
と、ミンユェも、手が止まらない様子だ。発電用の蒸気タービンのような勢いで、一心不乱に口の中に掻き込んでいる。
「うん、何か痛いけど、美味しい」
船長は、私達の様子を見て、キラリと目を光らせた。
「ふむ。なるほど、二人ともスパイスを知らないんだね」
「……スパイス? ですか? 装置の動作パラメーターに一時的な変動を与えることを、『スパイスを加える』と言いますが」
「まさにそれだよ」
と船長は私を指差し、鼻高々と説明を続けた。
「香りを加えたり、ほんの少し痛覚を刺激したりする調味料のことで、味わいにちょっとした刺激を加えるために使われているんだ。もっとも、カレーの場合はスパイスこそが主役なんだが、基本となるのは主にクミン、ターメリック、コリアンダーという――」
スイッチが入ったかのように、スパイスについて饒舌に語り出す船長。
「船長、スパイスからカレーを作る話をする人は嫌われますよ」
水を注ぎに来たシェフが、苦笑いで船長を窘める。
「ああ、すまない、つい」
シェフが説明を引き継ぐ。
「ちなみに、この味は『痛い』ではなく『辛い』と表現するんですよ。英語……つまり、火星公用語でいえばspicyかな」
簡潔にそれだけ言って、シェフは去って行った。
「辛い……味」
それは忘れ去られた形容詞の用法。味に「辛い」なんてものがあったのか。
思い返してみれば、私が大好きなサイコロ肉には、ほのかに辛みを感じた気がする。サイコロ肉が人気なのは、食欲を刺激するスパイスの風味のおかげなのかもしれない。
「なんかさ~、暑くない?」
ミンユェがジャケットのボタンをひとつ外し、パタパタと手で扇ぐ。
「そうだね、空調が弱いのかな」
「カレーのスパイスは身体を温める効果があるんだよ。辛いことはhotとも言うんじゃなかったかな」
それも忘れ去られた用法だ。
「……スパイシーでホットかぁ」
再び一口。言われてみれば、確かにスパイシーでホットな感じがする。なるほど、先人はうまく言ったものだ。
しかし、さすがに、火星の食べ物で身体が熱くなるものは見たことも聞いたこともない。そもそも、なぜ地球人は痛くて熱くなるものを食べようと思ったのか。
「ところで、この浮かんでいる具材は何ですか?」
「黄色い食材はジャガイモ、赤い食材はニンジン、黒いのは肉だね」
「ジャガイモ? ニンジン?」
「それはだね――」
再び饒舌に語り出す船長。要約すると、いずれも植物の根っこだという。しかも、根っこという言葉からは想像できないほどに軟らかくて甘いのが驚きだ。だが、同じ疑問が脳裏を過る。なぜ地球人は根っこなどを食べようと思ったのか。
地球人の食へのこだわりには尊敬の念すら抱き始めたところだ。
さて、最後に取っておいた、この黒いのが、お待ちかねの肉である。
口に入れて驚く。
「嘘っ、ゼリーみたい」
柔らかく今にも崩れそうなのに、繊維質がそれをギリギリでつなぎ留めている。これが本物の肉というものなのか。ひと噛みすると、その旨味がとろりと口の中に広がる。カレーのソースと合わさると、もはや敵なしである。
「これは、うまぁ~!」
その先の記憶はない。気づいたときには、すべてを完食してしまった後だった。まだ名残惜しくて、皿をスプーンでこそぎ取っては、舐めてしまう。
「お代わりもありますよ。さあさあ、もう一杯どうですか?」
シェフがそう言った。
「えぇっ、割当資源量は!?」
「カレーの日は、お代わりをする人が多いので、多めに作っているんです。あと二、三杯は大丈夫ですよ」
「つ、次のご飯が抜きになったりしないんですか?」
火星では、個人に決まった資源割当量があった。お代わりなんてしようものなら、トイレが使えなくなるどころでは済まない。一食抜きにするしかなかったのだ。
だが、シェフは首をかしげた。
「……? そんなルールはありませんよ。在庫が少なくなると、おかわりを制限したり、全員の量を減らしたりすることになりますが、一日三食は必ず確保するようになっています」
本当にそんな美味しい話があるのだろうか。何かしらの裏があるはずだ。私は尋ねた。
「だ、代償は何なんですか?」
「ありません。食事を提供するのは公団で働く皆様への労いなんです」
怪訝な顔を浮かべた私たちを見て、シェフは笑った。
「まぁ、強いていうなら、投資ですよ。皆さんが、きちんと食べて、良い仕事をすること。腹が減っては良い仕事ができませんからね」
良い仕事をすること――それは私にとっては当然のことだ。ミンユェにとっては……まぁ……怪しいけれど。いずれにせよ、このシェフという人は、ケチな火星のコンピューターとは大違いだ。
ふと周りを見回す。そこには食事を楽しむクルーたちの笑顔がある。その目には希望が満ち溢れていた。
地球側が一足早く有人試験運行を実現できた理由――それはきっと、このシェフという人のおかげなのだろう。美味しい食事は士気向上につながる。士気が高ければ、良い仕事ができる。良い仕事ができれば、食事はもっと美味しくなる。
「では、お言葉に甘えて、もう一杯ください」
「私も~」
私たちがそう言うと、シェフは満足そうに微笑み、浮き足だったようにカウンターの奥へと消えていった。
その後、私たちは生まれて初めて、満腹すぎて動けないという状況を経験することになったのだが、それはまた別の話である。
その日の就寝前。
私はあの忌々しきお貴族様、エレノア・ブライトンにレポートを送信した。
――取材記録補足
――以上が、『カレーライス』の報告です。
――『カレーライス』のレシピを、シェフさんから教えて貰いました。でも、隠し味?というものだけは何か教えて貰えませんでした。つまり、このカレーライスはエスプロリスト号でしか食べられないということです。
――写真とデータを添付して送ります。
お貴族様とて、こんなに美味しい食事の経験はないはずだ。それを楽しむのは平民風情。さぞ屈辱を思い知ったことだろう。
……と思ったのだが。
翌朝、エレノア・ブライトンから届いたのは予想外のコメントだった。
――ルキア・レッドフォード大尉へ
――まぁ! 『カレーライス』なる料理は初めて知りましたわ! 早速、ヒカリ少尉に作っていただきますわね。隠し味については試行錯誤してみますわ。
――ところで、実は今、火星では『駅弁』なるもののメニュー開発をしておりますの。試作品の写真を送りますわ。わたくし、試食をさせていただきましたが、とっても美味でしたのよ。完成品を楽しみにしてくださいませ。
――次の報告も楽しみにしておりますわ。
……駅弁?
そうか、食堂車に閉じこもって何をしているのかと思ったら――。
添付の写真には、色とりどりの具材が詰め込まれたベントー(弁当)が写っている。説明欄には、『白飯、卵焼き、カマボコ、もみじ生麩、豆腐、サイコロ肉のあんかけ、パート・ド・フリュイ』と書かれていた。
……ゴクリ。
何だか分からないが、確かにこれは美味しそうだ。ただ、『パート・ド・フリュイ』などという気取った名前だから、どうせお貴族様専用なのだろうけれど。
――う、羨ましくなんか……!
脳内にエレノア・ブライトンの高笑いが響いた。
『わたくしの勝ちですわぁ! オーッホッホッホッ』
くっ、悔しい。エレノア・ブライトンが私を羨むはずだったのに、逆に私が羨むことになるとは! あちらにも地球人がついている。並大抵のことで勝てるはずがなかったのだ。
次こそは、もっと美味しいものを食べて、悔しがらせてやるんだから。
つづく
アオイホシ・グルメレポート ~火星ディストピア飯ネイティブ世代、地球料理にハマる~ 井二かける @k_ibuta
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